ココロド_黄月家K's weblog

考えすぎ? ココロド_心理カウンセラー_黄月家Kの 思考いろいろ、心理分析、ものづくり、時々庭、時々日記です。

巣箱と、自己洞察と、傾聴トレーニング

今日は、2/29 4年に一度のうるう年ですね。
weblogを今月1回でも書くことができて、なんとか、間に合って、よかったです。

巣箱。
子どもが、国立市市民祭りに行った時に、巣箱を出店のコーナーで
なんと無料で作らせて頂きまして、その巣箱に、色や加工をしまして、
こんな仕上がりになりました。制作は、うちの子ども(小学低学年)です。

屋根は、葉っぱ、壁は、張り板風の仕上がり。

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葉っぱの境目は、彫刻刀で溝を、私が掘りました。
入り口、穴の下に、止まり木もつけて。

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庭の木に、つけてみました。

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とりさん、来てくれるとうれしいです!。

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最近は、心理カウンセリングの養成講座が、いろいろ架橋に入り、
心理カウンセリングを行うための、傾聴トレーニングを受けたり、
交流分析の講座が架橋を迎えたり、
自分自身が、習った心理学論理を用いて、自己洞察を深めたり、
先生に心理カウンセリング受けながら、自分の問題に取り組んだり、
なかなか、心が、ざわざわと、していたこの頃でした。

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最近気づいたのは、

「人の心を動かすのは、心だ」と言うこと。

気づいたというより、思い出したという感じです。

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傾聴トレーニングのエピソード

最近、心理学の講座をうけつつ、
心理カウンセリングのトレーニングをしたりしています。

カウンセラー役(CO)も、クライエント役(CL)のやります。

その中で、
私がカウンセラー役をして、CL役の方の話を傾聴します。

が、CL役の方が、どんな悲しいと言っても、
どんなに、怖いと言っても、
そういうお話しを聞いても、共感できない自分がいました。
そんなこんなで、自分は、失感情ではないかと、気づいたわけです。

それで、次の回に、
私がCL役をして、人の話を聞いても何とも思わないことや、
昔はいろいろなことを感じて、音楽やCGの活動をしきたけど、
今は、何も感じないという、自分の中が、がらんどうで、空虚だと感じること、
を話しました。

トレーニングですと、
心理学理論に沿って分析し、適切な療法や技法をどう適応していくかを
考える、「見立て」をします。
つまり、分析されて、告知されるということになります。
これ、私結構私には快感なんのですが、
普通のカウンセリングでは、
CL自身がまだ気づいていない自分の心の状況をや見立てがあっても、
CLが受け入れられないので、見立てをCLに話すことはしません。
私が快感に感じるのは、自分が失感情だからかもしれません。

トレーナーの見立てでは、
私の感情が沸き起こらない状態を、心理学理論に置き換えると、
「防衛機制の隔離」という心の状態と分析し、
適応する療法を、「フォーカシング」としました。

「隔離」とは、
受け入れがたい感情部分を切り離し、
体験にまつわる感情を麻痺させる無意識的な心の働きです。

「フォーカシング」とは、
感情や、気持ちの言語化が難しい段階の人のための療法で、
身体の感覚を感じていただき、その感覚にしっくりくる言葉を探し、
自分の心に気づくという、
療法なのです。

私、これまで、個人的に、好きな音楽(特にギターリストの西川進さんの音楽)を
聴いて、誰にいわれたでもなく、
ずっと「フォーカシング」やってきたなぁ・・って!!!
音に感じる自分の感覚を言語化してきたな、って。

そういう、時間って、だいじなんだなぁって、思ったこの頃でした。

10数年前に、私、鬱病を2年ほど患いました。

あの頃、私は、CGの仕事がとっても忙しく
掛け持ち掛け持ちで、睡眠時間も1週間で2時間なんてことを、
やってましたら、鬱病になりまして、2年ほど、心が真っ暗闇の住人のでした。

あの時から、あれだけ好きだった人の音楽や言葉は、
私の分厚い壁(防衛機制)に遮られ、私の心に入ってこない。
みたいなことが数年続きました。
けど、西川進さんのギターの音だけは、勝手に心に入り込んで来る。
私にとっては、特別な音。

今は、回復していると思っていたけど、
情緒が、付いてこなかったと、今頃、気づきました。
だから、「私は死でいる」という、気持ちが離れないのだと思います。

情緒を、気持ちを、心を、取り戻したいと、
今、思います。

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そんなこんなで、気が付けば、2月も、あっちゅう間。

そして、更に、思い出したことがありました。

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それは、

「愛とは、理解すること」

私は、人のことを理解しようと、しなくなっていた。
心が自分の苦しみでいっぱいで、人のことを受け付けなくなっていた。

思い出した。

あぁ、これ、私が、CG作品にCGキャラに込めてきた、愛の形だった。

草も、木も、水も、花も、動物も、モノも、
他人も。
みんな、全部、理解しようとしていた私が、かつて、いた。
それを、作品に込めていた私がいた。

そして、私が大好きな
ギターリストの西川さんの音にも、それを感じる(笑)。

なんてことを、今日は感じております。

「理解」って、心理カウンセリングで言ううところの、
共感的理解と同じだと、気づいた訳です。

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さ、そろそろ、春近し、ですかね?

みなさま、どうぞ、ステキな春をお過ごしください。

「ネガティブ」と「ポジティブ」。1月の庭

うちの庭、今年は花が沢山咲いています。
季節がちょっと・・。

これは、1月のホタルブクロ。

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1月のマリーゴールド

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1月のなんだけ、この花?

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1月のキンギョソウ

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1月の日本水仙

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1月のスノードロップ

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1月のスノーポール

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1月のプリムラ

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1月の柑橘。

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昨日、今日は、東京多摩地方、ようやく結構冷え込み
朝は、霜で一面真っ白でした。
しかし、庭は、季節がよくわかりません(笑)。

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さて、今日のお題は、

「ネガティブ」と「ポジティブ」


「ネガティブ」は悪いこと?

そんなふうな風潮を感じるのは、私だけでしょうか?

落ち込むのは、悪いこと?
悩むのは、悪いこと?

むやみに、ポジティブ仮面をかぶることが良いことなのでしょうか?

私自身は、
このweblogを始めたとき、「ネガティブ日記」と題したぐらいですが、
ネガティブにも、良さがあるのでは・・なんて・・思ったり、
そんなことを書いたりしていました。

では、ネガティブとは、いったい何でしょうか?

形容的なネガティブとは、webで調べますと、
否定的なさま。消極的。という意味だそうです。

なるほど。
思考的には否定的で、行動的には消極的、ということですね。

確かに、物事を否定的に捉えると、行動力が落ちて消極的になります。

だけど、「私は本当はすっごくネガティブな人間です」という人の方が、
人の心に残る大作を作ったり、
人の気持ちにヒットする音楽をつくったり、
人のためになる発明をしたりすると、
感じます。

なせでしょう?

私の思うに、
ネガティブな人は、感受性が豊かで、傷つきやすいという特性があり、
それゆえに、落ち込みやすく、落ち込みを重ねると、
否定的で消極的になりやすいとも考えれます。

しかし、厳密には、感受性が豊かで落ち込み易いことは、
ネガティブではありません。
その後の、受け止め方と、行動でネガティブか否かということになるのだとすると、
私の中のネガティブの概念が変わります。

「否定的」という側面について言えば、
本来生まれたばかりの人間は「否定的」ではありません。
赤ちゃんを観るとわかります。
何でも怖がらずに触ったり、なめたり、口にしたり。
何も怖がらずに、人を直視したり。

つまり、「否定的」は、学習の産物と言えます。
つまり、育つ環境によるところが大きいとも言えます。

特に、人間関係上は、親や養育者の、
共依存的な否定的コントロール下で、身につけた思考(思い癖)と言えます。

否定的コントロールとは、
否定的な側面を想像させて、行動や気持ちを制御しようとする行為です。
たとえば、「○○しないと、××になってしまう」などです。

親としては、ありがちです・・
(私も良くそういう言い方をすることがあります。私の母親もその手の人でした。)

なので、否定的なネガティブは、養育者から引き継がれたものということになります。
しかし、それを受け止めて考え、どう行動するかしなかで、
ネガティブ100%なのか否かの分かれ道なのだと、とらえることが出来ます。


では、逆の
ポジティブとはなんでしょう?

肯定的であるさま。積極的なさま。と調べられました。

思考的に肯定的で、行動が積極的ということになります。

確かに、否定的思考より、肯定的思考の方が、心の負荷がなく、楽です。
楽しさも感じやすいと思われます。
消極的より、積極的の方が、発展が有り、進歩しやすく、成長しやすく、
たとえ、失敗があったとしても、
肯定的に捉えることで、次の行動につながり
よりよりものに近づける率も上がるモノかもしれません。

風潮が言うように、
ネガティブは悪く、ポジティブが良いというのも、よく解ります。

 

だけど、私の中で、どうしても、ひっかかるのです。

思慮深いことは、ポジティブ的印象ではありません。
どちらかというと、ネガティブ。
無頓着で脳天気は、ネガティブではありません。
どちらかというと、ポジティブ。

しかし、思慮深いことが悪く、脳天気が良い、ということは、言いがたい。
確かに、心は脳天気の方が楽なのかもしれませんが、
感動的な、人間的な厚み有る成果物は、思慮深い人の方が作れると思うのは私だけでしょうか?

結局のところ、
ネガティブと、ポジティブ、どちらが良いかは、
自分の求めているところがどこなのかによる部分もあるんじゃないでしょうか?
一概に、ネガティブは悪く、ポジティブが良いとは、私は言いにくいです。

結局のところ、
私には、もの凄くネガティブ(思慮深い)な側面と、
もの凄いポジティブな行動力がありますから、
私は、両方の側面を持っていることになります。

おそらく、みなさんの中にも、時と場合によって両方の側面があるのではないでしょうか?

その、時と場合を、読み分ける感覚は、
感受性が豊かな人間の方が、得意なのかもしれません。

だとすると、どちらが良いとするのは、
総合的に考えると、意味のない評価なのではないでしょうか?

私の思うに、
そもそも、人間は矛盾を内包した存在なのですから、
その相対する矛盾を、肯定的に捉えるなら、
是非や、上下や、善悪を決めるのでなく、
その相対する側面の、バランスを見つける方が、賢いのではないでしょうか?

と言うわけで、
多くの皆さんは、ネガティブを否定しますが、
私は、あえて、ネガティブを否定しません。

今日も独り言・・続きます(笑)。

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ほんとに、寒いですね。

みなさま、どうぞ、暖かくしてお過ごしください。

主婦的「イライラ」と、「共依存」

あけましておめでとうございます!。
いよいよ2016年になりました。

みなさま、どんなお正月でしょうか?
私にとっては、いろいろ内観が必要な感じです・・。

今年も、どうぞ、よろしくお願いいたします。

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箱根九頭竜神社の手水。昨日は、雪が舞っていました。

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今日の今日のお題は、「共依存

年末年始は、子どもも夫もお休みで家に居ますので、
なぜか、イライラしてしまう、主婦はいませんか?

私はその一人です(笑)。

その苦痛は、おそらく、共依存かもしれません。

共依存」とは、「外部準拠状態」のことで、
物質や他人や出来事によって自分の気持ちや価値が決まる状態のことです。
愛情や、喜びも、悲しみも、苦痛も、他から与えられるもの思っている状態です。
自分の外のものに基準があるため、
結果的に、いつも振り回されるという感覚があり、
確立した安心と自己の自身を得ることができない状態で、
常に不安や不満を抱えやすい状態となります。

たとえば、
お金があれば幸せ。モノがあれば幸せ。資格、学歴、結婚、王子様はきっと来る・・etc
いろいろなものがあります。
戦後の日本は物質主義社会だったので、多くの方がそうなのかもしれません。
いわゆる、他者物依存。共依存がフツーなのかもしれません。
でも、これが辛さをもたらす原因であることが多いのも事実です。

対して、「内部準拠状態」とは、
愛情も喜びも悲しみも、自分の内側からもたらされると思える状態のことです。
自分の価値は自分の心と行動によるので、自分を信じることができ、
自分の中に、自分の価値の基準があるので、結果的に、捉え方しだいで、
自分を救うことができ、失敗を成功に転化することも出来ます。
安心と自信を自ら確立しやすい状態となります。
つまり、自律した状態と言えましょう。

共依存」と言う言葉、20年ほど前に習ったカウンセリング心理学では、
一番最初に学びました。

共依存」が辛い心の現況といっても、言い過ぎではないのです。

わりと、日本人の文化は、「共依存」的な部分があるのかもしれません。
他者を気にするというのは、ある意味では、「気が利く」ことであり、
「共感力」があって、人の気持ちを察する、思いやりの能力とも言えます。
そこまでは、日本人的に、否定したくない、利点だと思っています。

しかし、自分の心までも他者に空け渡してしまっている・・
というのは、自分でない、ただの、物体のようなもので、
それで、心を持つ人間としては、矛盾を抱え、辛さを感じるようになる
という仕組みなのだと私には思われます。

さて、家族(他者)が始終家にいるこの時期、
「イライラ」してしまう私は、
家族によって、自分の心が乱れる外部準拠状態で、
つまり、共依存状態にあると気づきます。

では、イライラしない自分をつくるためにはどうしたら良いかというと、
家族(他者)が終始家にいても、
自分は自分、という自分を確立することなのでしょう。
たとえば、家族の世話で忙しく、自分らしい時間が作れないのであれば、
家族が居ても、自分らしい時間を作ればよいことになります。
はい、そういう時間を作って良いのです。
もし、それで、家族が私に怒るのなら、家族が共依存状態なのだと思われます。
家族にも自律を促しましょう(笑)。

あるいは、他者に時間を捧げるのでなく、
自分がやりたいからやっていると思えるようにすれば良いのです。
思えるところで、一線を引けば良いのです。
他者の評価を気にせず、自分で評価してやれば良いのです。
と、思いながら
明日を過ごしてみます(苦笑)。がんばれ私。


みなさま、心新たに、どうぞ、良き1月をお過ごしください。

12月と、今年の私の漢字は「心」

Merry Christmas!

あっという間に、もう年の瀬ですね。

先月、洗面兼脱衣所の棚をつくりました。

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ドアや、洗面所や洗濯機の位置関係もあり、棚を置くのが難しいところでして。
これまでは、向かって正面に、洗濯機と隣接して市販の棚を置いていました。
正面が棚(h120×w80×d29)で、棚の形や色もとりあえずだったので、
圧迫感があったので、棚を変えたかったのですが、なかなか合った棚がみつからず、
結局作ることに。

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こんな感じ。ホームセンターで木材をかって、板以外はカットしていいただきました。

板は、斜めカットが出来ないということで、私が、電動ノコギリでカットしまして、
こんな感じにできました。やっぱり、難しい(笑)。結構、ぐらぐら(笑)。
でも、見た目、スペースが、随分すっきりしました。良かった!。
すっきしすぎて、つまらないと子どもが、板の正面に柄テープを貼りまして、
こんな感じになりました。

12/4 庭のモミジもやっと、紅葉。

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12/7 ベランダからの空。
以前、ステキな美しい空は、一日頑張った人へのご褒美なんて
ブログに書きましたけど、最近、空を楽しんでいませんでした。
もったいない(笑)。久々の美空(ビそら)、心がうるうるです。

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ここ一ヶ月は、お友達の展示会やLiveや、いろいろお誘いやご案内をいただき、
いろいろ観て、感じていました。みなさん、とてもステキです。

心理学の勉強の方も、忙しく、バタバタと時間が過ぎて、
いろいろあった割に、私は心がイイ感じでフラットな状態の12月だった気がします。

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今年の漢字は「安」ということで、
みなさん、安心したいんだぁ・・と感じつつ、

私の一年の漢字は、と考えてみますと、「心」です、きっと。
今年は、カウンセリング心理学を改めて、約20年ぶりに学びはじめまして、
いろいろ心理学的な論理や考察を改めて学びまして、
いろいろ、考えることも、考えさせられることも、多かったですし、
これまでの、私スタイルの哲学的な自己洞察も好きでしたが、

心理学的、自己洞察は、人間関係を核に分析洞察する見地からからの自己洞察で、
改めて、自分が、誰かに影響しあって、今の自分になっていると、
良い意味でも、良くない意味でも、そう感じる複雑な心境を、
自覚する一年でもありました。
心を見つめ直して、自分の心を改めて感じ始めている一年です。

来年も自己洞察続きます(笑)。

みなさまにとっては、どんな一年でしたでしょうか?

どうぞ、良き年の瀬をお過ごしください。

衝動買いパーテンション。 「恋」の仮説

こんにちは!。
一昨日、衝動買いしてしまいました・・パーテンション!。
一目惚れです!。

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中古なので、壊れる部分もありますが、こんな細かい手仕事作品、
今時新品でかったら、むっちゃむちゃ高いのでは・・と想像します。

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この色合いと手仕事の細かさと、
光を通す空間的な・・感覚と、
やっぱり、一目惚れです(笑)!!。

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こんな感じで、部屋のしきりに立てみました。

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私の作業部屋、壁が白、カーテンが、焦げ茶の白柄レースが手前仕様ですが、
私的には、シンプルで、味気ない感じでした。
長年そんな感じだと・・私自身もだいぶ、味気ない感じになったと
最近感じておりまして・・
だから、思い切って、理屈抜きに、衝動買いしてみようという気分になりまして・・。
思い切りました・・。
良かったです!。
なんだか、ミラクル感が気持ちにプラスされた感じがしています!。
へっへっへっ!。

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今日のお題は、「恋」

最近、カウンセリング心理学を勉強しているのですが、
一作月、「恋愛心理分析講座」の受講を修了した!。
(パチッ!パチッ!パチッ!)

結婚して、20年以上も経ちますので、
今更恋愛もないだろう・・と・興味なさげながら、
とりあえず感のまま受けたのですが、
内容的にかなり、興味深く、教養として、速攻役立つ知識がてんこ盛りでした。

内容は、受けてみてのお楽しみとして欲しいところなので、
深く言いませんが、

私は、この講座を通して、
「人が何を求め、何を恐れているか」ということが、解りました。
深いです。

 

そんなこんなもあり、

私の今、現時点の「恋」について、
ちょっと書いてみたくなりました。

ある時期から、「恋とは、病気」という他者の言葉が私の概念になっていました。
確かに、データ的には、ホルモンの影響下にある行動心理でもあるようです。
(ここでは、愛と区別しています。)

輝いている人が時々いいますね、
「恋をせよ!」と。

ちょっと前、疲れは果てていた私は、
「恋なんてエネルギーの無駄使い」とすら思っていましたが・・・(笑)。

そして、今、
自分を見つめ直したり、おそらく、自分の変換期にさしかかりつつかる今、
パーテーションに一目惚れして、感じたのですが、

恋とは、おそらく「求める」=「ベクトルをもたらすもの」なのではないかと。
つまり、やる気、前向き、前進、的な力が
「恋」によってもたらされるのではないかと・・。
仮説できたわけです。

輝いている人が「恋をせよ!」という理由がここにあるような。

健全であるかぎりは、
おそらく、前向きホルモンがでる代物なのだと、気づいた訳です。

さて、私が今恋しているモノは、
購入したパーテーション、
ギターリスト西川進さんの音や曲、
深夜アニメ「ノラガミ
Tvドラマ「掟上今日子の備忘録」
などなど(笑)。

自分が生き生きして来るような気がしています。
これ「恋」の効能かもしれません。

そう考えると、もっと恋してもいいかな・と(笑)。

今の私にとっては、なぜか、現実の人間より
作品や、音やモノの方が今は魅力的です(笑)。
それらを通して、作者の想いに想いをはせているのかもしれません。
というか、ここに私の「恐れ」が隠れているのでしょう(笑)。

(効能が、苦痛や恨みにかわったら、共依存・依存注意報です。
そんな時は、心理カウンセラーなどの専門家にご相談をオススメします!。)

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最近は、私的には、なんだか忙しくあっというまに、11月も後半になりました。

今日は、だいぶ寒くなって来ましたね。
どうぞ、良き11月をお過ごしください!。

Happy Halloween!!

Happy Halloween です!。

今年の仮装は、憧れのティム・バートン監督の
コープスブライドに、挑戦してみました。

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骨は、子どもが描きました。

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頬のタトゥーシールも手作り。

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材料は、Tシャツ2枚(白・黒)アクリル絵の具、
ダイソーのレースカーテン、レーステープ、カチューシャ。
手持ちの黒手袋と、腹帯です。カツラもダイソー

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こんな感じになりました。

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近くのお祭りパレードに参加!。

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10月最終日の今日は、東京多摩地方、急に冷え込んでいます。
どうぞ、暖かくして、お過ごしくださいね。

バッタカマキリ。「言えない」心理_他パターン

東京多摩地方、今日は薄曇り。
私の方は、10月は、心理学の講座受講を増やしたので、
結構ハードな月になりました。
けど、通学の合間に大好きなギターリストの西川進さんの曲をどっぷり聴いたり、
無意識をどっぷり意識したり、とても心に有意義な10月となりました。
そのぶん、あまり、外界を意識できなかったんですけど・・(笑)
なので、庭の写真もちょっと前の。

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うちの庭の住人、
7月にあった時は、若々しいかった。カマキリさん。

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今月お逢いした時は、りりしく、色も、身体の太さも・・すっかり大人びて。

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パッタさんは、8月は、一人。

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9月の終わりには、二人になってました。

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みんな元気で何よりです。

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本日のお題は、「言えない」の別のパターンについて、


前回、「言えない」は、
厄介な関係のバロメーターみたいなことを書きたかったのですが、
言葉足らずでした。

人間関係に問題を抱えやすい人のパターンとして、
私の仮説では、次の1パターンになるのでは?と
最近考えるようになりました。

1)言いたいことが言えないタイプ
2)言いたいことを言えないから、つい、湾曲して伝えるタイプ
3)言いたいことを、シンプルに言えなくて、言い過ぎるタイプ

※言いたいことを「言えない」のではなく、「言わない」のは、
この範囲外として考察を進めます。

私の場合は、主に、3)ですが、立場の概念に縛られて、1)の時もあります。
気持ちが高ぶっていると、過大表現的もあるので、
2)も時々あるのかもしれません。

考えてみると、
1)の「言えない」タイプも、更に細分化できます。

1_1)言いたいことがあるのに、言えない
1_2)言いたいことがわからいが、言いたいことがある気がしてモヤモヤ感が残る
1_3)言いたいことはないが、モヤモヤ感が残る


前回は、1_1)について書いたことになります。

1_2)と1_3)は、意識と無意識の違いです。

カウンセリング心理学によると、

人は、
「体験」を、「考察」して、「気持ち」が沸き、
それを踏まえ、次の「行動」をする、そして、また「体験」する。

というループの連鎖が、人の毎日を構成しているとのこと。

「体験」「考え」「気持ち」「行動」は、時々、飛び飛びになったりもしますし、
心が乱れている時は、特に、順不同になることもあります。

そして、「考え」と「気持ち」が明確な人は、めずらしく、
大抵の人は、これまでの経験から、いろいろ簡略化しています。
「考え」は、思い癖(慣れた思考パターン)を持っていて、
「気持ち」を忘れがちの方がいたり。
「考え」と「気持ち」が矛盾していることに、気づかないで、
ただ、「モヤモヤ」感を感じているだけだったり・・。
ま、いろいろなパターンがあるわけです。

カウンセリング心理学によりますと、その
「考え」と「気持ち」を拾い出して、
自分を再確認していただくことが第一歩になります。

しかし、
「○○せねば」とか、「○○でしょ!」とか、「○○するべき」とか、
「考え」が強くて、
「気持ち」がなかなか出てこない方が、現代には多いような気もします。

これは、1_1)か、1_2)のタイプ。
「考え」主体、「気持ち」置き去りタイプ

マニュアル社会の障害ですかね?

逆に、「気持ち」先行タイプは、
「私あれダメ!」「嫌い!」などの感覚に似た形で、受け取る感じでしょうか?
「気持ち」主体タイプ。

それでも、どちらかが、主体をとっていれば、
行動そして、次の体験につながることができます。

「考え」と「気持ち」がバラバラの時、
人は、動きが止まるような気がします。
「動けない」という感じになります。
(たぶん、1_3)タイプ)

このとき、どうしたら、良いか?

バラバラな「考え」と「気持ち」をまず、引き合わせて、
矛盾した状態を自己認識する作業が必要になります。

最終的には、
矛盾を自己認識した上で、統合できるところは統合して、
統合できないところは、対決して、動ける思考と心を取り戻すことになります。

しかし、
まず、「考え」と「気持ち」を、表出するのがとっても大変です。
なぜなら、表出させたくない理由があるから、消しているわけですから、
いろんな抵抗が思考と気持ちに先に出てきちゃいます。

そういう場合は、アート療法や、○○療法などで、
無意識にコンタクトして、無意識から、自己洞察をはじめるという手法もあります。

そして、その課程を人に見守ってもらって、
自分を認知してくれている人を持つということが
かなり大事だったりしします。
それが、カウンセラーだったり、
本来は、親であったり、家族であったり、するのだと思います。
人は、誰かに認知して欲しいという「本能」がありますから。


私の場合、
私は、孤独だという気持ちがものすごく強い人間ですが、
最近、つくづく、そう、感じます。
いろんな意味で、ほんとに遠くからですが、私を見守っていてくださる方に感謝です。


話はそれましたが、

「言いたいこと」は、出来るだけ、言いましょう!。
できるだけ、言いたい時に、言いましょう!。
立場に関係なく、話会えるのが、本来の「親密な関係」です。
もし、言って、受け取らない人は、「親密な関係」にはなれない人ですから、
もし、そうなら、割り切りましょう!。

そして、できれば、「言いたいこと」の最後に、
「私はそう思っている」と付け加えましょう。

他者と、自分を区別する言葉で、人のせいにしないための言葉です。
人をむやみに批判したりしないための言葉です。
本当の自分を引き受ける言葉です。
本当の自分を好きになるための言葉です。

くれぐれも、「人がそう言っていた」とか、
「世間がそう言っている」「みんなそう言っている」というような
人に責任転嫁するような言い方は、しないでください。
言いたいことは、自分の言葉で話せば、きっと伝わります。

もし、伝わらないのなら、その関係はなくてもよい関係なのだと思います。

あぁ、ちょっと熱く書いてしまいました(笑)
私らしい。

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ではでは、どうぞ、良き内観の秋をお過ごしください!。
いやいや、食の秋か? 読書の秋か?