ココロド_黄月家K's weblog

考えすぎ? ココロド_心理カウンセラー_黄月家Kの 思考いろいろ、心理分析、ものづくり、時々庭、時々日記です。

否定的自動思考。庭の癒やしスイカ。

あっという間に、9月になりました。
私の方は、作業部屋を引っ越したり、子どもの夏期休暇などもあり、
バタバタで、weblog、間、空いてしまいました(笑)。

うちの癒やしの庭で、スイカ育ちました!。7/29頃の写真、そろそろ食べ頃。

f:id:kizuki-ya-K:20160904224134j:plain

手のひらサイズの可愛いスイカでしたが、味は、甘くておいしかったです!!!。
8/2頃、食べたときの写真。

f:id:kizuki-ya-K:20160904224144j:plain

これは、台風一過の過ぎた夕暮れの空、8/22、18:32
一見くらいのですが、いつになくオレンジがとっても鮮やかで、美しく見えました。

f:id:kizuki-ya-K:20160904224153j:plain

以前書きましたが、綺麗な空は、1日頑張った人へのご褒美なんて・・
あぁ、最近、空みれていませんでした・・。
ということは、ご褒美を受け取らずにいるのと同じでしたね・・

 

---

 

さて、今日のお題は、「否定的自動思考」。

最近受けた、心理学カウンセラーの実践講座で出てきた言葉(言語)で、
なんか、妙に、納得したといいますか、
心に入ってきた、探し求めていた答えのような感覚のある言葉でしたので、
書いてみます。

意味は、否定的な思考を、吟味なく、自動的に自分に対して思ってしまう思考、
いわゆる、「否定的な想いグセ」のことでです。

たとえば、

「自分は、ダメな子」
「自分はどんくさい」
「自分はバカだ!」
「自分には、力がない・・出来ない」などなど、いろいろあると思います。

私にもあります。

「自分は嫌われている」とか・・「自分は変わっている」とか、

 

この、何の吟味のなく、自動的に否定的に評価してしまう思考は、
一見深そうですが、実は、浅い思考なんです・・って。

くり返し吟味を重ねてきたものと比べると、浅い幼稚な思考と言うことになります。

この、、「否定的自動思考」、つまり、「悪い想いグセ」が、
ウツや、諸々の心身的な、苦痛を作り出しているもののベースだと
知ったので、なるほど、といいいますか、
自分が、知りたかった、ウツからの回復の方法の具体的な道が、
見えた気がして、私の中の、最近のヒットワードになっています。

私自身も12年ほど前に、2年ほどウツを煩いまして、
その後、病院のお世話になってはいませんが、なんとなく、
心から、楽しさを感じられない日々を長く過ごして来まして、
真にウツから脱する、良い方法が解らずに、なんとなく今に至っていたので、
なんか、「否定的自動思考」を変える行動療法の話をきいて、
まだ続いているうす暗い心に光が見えた気がしました。

 

「否定的自動思考」とは、「悪い想いグセ」で、
「認知の歪み」な、訳ですが、
なぜ、「否定的自動思考」を持ってしまったかというと、大抵の場合、

子供の頃、思考が発達する前から、誰かに言われた言葉を
そのまま受け取ってしまって自己の中で習性化したり、

共依存関係(上下のある関係)で、
関係上の症状で、否定的コントロールとして、そういった言葉をくり返し
言われていたなどが原因です。

交流分析という心理学でいうところの、人生脚本だったり、

アダルトチルドレンで理論で言うところの、思考や吟味段階以前に身につけた
悪い意味での、役割的概念だったり、

その辺りの理論と、大枠で同じです。

親や他人が自分に言った否定的な言葉は、本当に絶対ですか?

 

逆に、「肯定的自動思考」を持っている場合もあると思いますが、
肯定的で前向きな自動思考の場合は、自分を否定せず、嫌悪せず、
逆に、力付けてつれるものであれば、心身的な苦痛な症状の原因にならないので、
問題ない、変える必要はないこととなりますね。

さて、

深く考えもしないで、否定的な思い、みなさんは、持っていますか?
いくつ気がつきますか?

もし、一つでも、思いあたったら、
まず、吟味してみることも、手です。
本当に、そうなのか?その裏付けは、どこにあるのか?。

 

私の、現在の否定的自動思考、で思い当たる
「自分は嫌われている」と・・「自分は変わっている」は、

思い返すと、数年前に、ママ友に言われた、
「あなたは、嫌われている」「あなたは変わっている、理解出来ない」という、
言葉そのままでした。
(ベースは、似たような内容の母からの否定的ストロークがあるのも確かです。)

ショックでした。
そのまま、私の心に入り込んで、ここ数年ママ友と話すことが出来なくなりました。

言葉の影響力ってスゴイですね。

その時は、どの辺がそう思うのか?聴いたり、冷静に受け答えしてましたし、
その方が、どても感情的になっていたのも解っていたし、
自分は冷静であろうと努めて、いましたし・・
でも、その言葉がショックで、自分の中で反復されて、
どうやら自動化していたみたいです。
自分、弱っていたと感じます。

今から思えば、たった一人の癇癪的な言葉に、
そこまで影響を受ける必要はないのに・・、
人の輪に入れなくなって、何を苦しんできたのだろうと・・。

こう思うと、自分が、心が弱いと、相手のせいにしてしまったり、
相手を悪者にしてしまう要素もありますね。

自分は、自分。
他人の影響はほどほどに(笑)。
それが、実は、他人のためにもなります。

 

では、せっかくなので、私の否定的自動思考を変えていきましょう。

「私は、あの人に嫌われているかもしれんませんが、それが何か?
そこには経緯と理由があります。私は冷静でした。それが嫌だったのかな?」

「私は、確かにあの人の癇癪や怒鳴りなどの否定的コントロール的行動に、乗らずに、勤めました。共依存的思考からすると、脅しに屈しない私は確かに変わっているように思えるでしょうし、理解出来ないでしょうね」

はい、ちょっと、吟味しなおしてみました。
第一歩です。

アドラー心理学で、よく言いますが、「嫌われる勇気」といいますか、
自分のアイデンティティーを確立することは、
自分で吟味して、その結論に責任を持つという重みの積み重ね・・なのでしょう。

アドラー心理学、最近本を読んでいるのですが、
私にあってるみたいで、心が前向きなれます。

--

今日もちょっと、入り込んで、長くなりました。

どうぞ、自分らしい9月をお過ごしください!。

レモンキノコ。サイコパス

梅雨もあけまして、暑い日が続いています。
私の方は、梅雨の間はなぜか、結構、心が重苦しくありましたが・・
このまま、心も明けてくれるといいなぁ・・・なんて・・(笑)。

レモンキノコ、今年もはえてきました!。かわいいです!。

f:id:kizuki-ya-K:20160731221551j:plain

あっという間に、傘が開いて、すぐしおれました。

f:id:kizuki-ya-K:20160731221536j:plain

前回は、確か、2014年、8月でした。
コガネキヌカラカサタケという熱帯原産のキノコらしいです。

 過去のweblog

kizuki-ya-k.hatenablog.com

 最近のはまっているもの、フルーツホオズキです。

f:id:kizuki-ya-K:20160731221604j:plain

春頃、知恵番組で、フルーツホオズキが、血液がサラサラになるスゴイ食べ物として
紹介されていたのを観まして、
8年ほど前に購入して、何となく、毎年、生えてくれてくれていたのですが、
今年も1株、成長してくれまして、
今年は、しっかり、沢山いただいています!。
実は、甘くて美味しいですし、健康に良いとあっては・・(笑)。
注目です!!。

f:id:kizuki-ya-K:20160731221615j:plain
さわやかな甘みなのに、しっかり甘い、
さわやか練乳みたいな・・味のイメージですか?。

今年は、庭に面した掃き出し窓に、気が付いたら、
なんと、2つも、蜂の巣が出来てしまい、退治駆除しました。私が。

f:id:kizuki-ya-K:20160731221626j:plain

そんなこんなな夏が始まっております。

---

今日のお題は「サイコパス

昨日、ずっと前に録画してありました、
NHKの「心と脳の白熱教室」の「あなたの中のサイコパス」(2016.2.12放送)
を観まして、とても面白い内容でした。

サイコパス」というと、
反社会的・冷酷・非道な犯罪者(悪いサイコパス)のイメージがありますが、

オックスフォードのケヴィン.ダットン博士によれば、
サイコパスの特性は、実は、非暴力的で知的な環境での、サイコパス素質は、
(いわゆる良いサイコパス
投資家や、弁護士、実業家、英雄の方が、
サイコパス度が高いことが解ったということでした。

つまり、サイコパスの特性は、活かし方によっては、
優れた能力となると言うわけです。

私は、カウンセリングのトレーニングを通して、
自分の中の感情が、あまり、出てこないことを感じていまして、
ま、自分に厳しい人や、まじめな人に多い現象なのですが、
感情の隔離やら、抑圧やらで、感情が意識化になかなか現れないタイプだと感じて、

それが、どういう意味なのか、考え込んだり、感情を取り戻したいと
もがいてみたりもしてみましたが・・。

そんな不安が、良いサイコパスという考えて、少し和らぎました(笑)。
感情の意識化が鈍くなっているからといって、それはそれでいいのかもと。

感情に囚われないということは、
悪い言い方をすれば、冷淡ですが、良い捉え方では、冷静という利点があり、
人にふり回れるような気持ちの沈みもなく、自分を保てる淡泊さや、
防衛で身動きが出来ないようなこともなく、探求心でチャレンジできる大胆さも、
直感力の優れた部分も、結構、仕事や物事を成し遂げるために、
とっても有利に作用する素質というわけです。納得。

そして、サイコパス性の高い人は、そうでない人より、
洞察力が高いという実験結果も、面白かったです。

気になる方は、どこかで番組を観て観てください。

ちなみに、私が気になったデータは、

サイコパス度の高い職業は、
企業最高経営責任者、弁護士、マスメディア関係、セールス、外科医などで、

サイコパス度の低い職業は、
介護士、看護師、療法士、職人、美容師、慈善活動家、教師など、

つまり、共感したり、思いやりを持って接する職業の方は、
やっぱり、感情力がその橋渡しになっているのかな?という、
私の勝手な仮説が立ちました。

心理カウンセラーも、療法士だから、
サイコパス性の高い人には向かないのかもしれません・・と、
なんか、勝手に納得してしまいました(笑)。

私自身は、
現在は、感情は豊かではありませんが、結構、恐怖心を持っていたり、
プレッシャーに弱かったりするので、
サイコパス度テストでは、平均以下でした。
若い頃の自分を想定すると、結構、冒険家・野心家で、感情的な部分は強かったけど、
説得力遣いまくっていたころもあり、
今よりは、サイコパス度が強かったように思います(笑)。

面白いですね(笑)。

「感情」という、探し物のため、
サイコパス性がちょっと気になったこの頃でした(笑)。

 

ちなみに、最近のドラマの登場人物ですと、

「異常犯罪捜査官 藤堂比奈子」の、藤堂さんや、
真田丸」の茶々さん、も、サイコパス度高そうな感じがしますね。

--

暑いですが、どうぞ、ステキな夏を!。

 

庭と、人魚と、インナーチャイルド

7月になりました。熱いです。
22:00なのに、この部屋、31°です。

庭に桃の木を去年植えまして、今年、花も少々さきました。
実は、2つ、つきまして、とっても美味しく出来たみたいです。
(私は食べてない(笑)。)

f:id:kizuki-ya-K:20160702215119j:plain

最近、好きな花、「ベリウム、ベビリアンデージー」

グランドカバーにと思って、セレクトしましたら、なかなか可愛いんです。
花は、4~10月まで咲きます。
小さくて可憐なデージー調の花が、可愛いんです(笑)。

f:id:kizuki-ya-K:20160702215128j:plain

このピンクの花は雑草のクローバーの花。
意外と可愛いんで、そのままにして、鑑賞してしまいました。

f:id:kizuki-ya-K:20160702215140j:plain

--

ここ数日、はまっている曲があります。

SETSUNA SPIRALさんの「人魚」

ITunes 配信限定シングルということで、早速、購入してみましたら、
なんか、はまってしまいました。
スゴイ体感です、
純粋で、張り詰めた空気の中で、迷い込みそうな、痛みの空間。
溺れそうだ。・・スゴイ世界感だ。
たまりません・・・。
サウンドプロデュースが、あの、ギターリストの西川進さん。
 感情直結・・してしまった・・またしても・・。

www.youtube.com

 

 

----

最近、心に直結する曲を聴いて、フォーカシングをするようにしています。
本当の自分の声を聴く練習といいますか、内的な自分との会話の練習といいますか。

 

今日のお題は、「インナーチャイルド・セラピーワーク」

昨年の秋から、インナーチャイルドファシリテータの資格を取ろうと、
講座を受けています。
詳しい内容は、著作権の関係で書けませんが、
インナーチャイルド」とは、講座の中では、
「内なる子供」とか、「自己の中核」とか言ったりしますが、
私の解釈に変えますと、「本当の私」という感じでしょうか。
「裸の魂」とかでもいいかもしれません。

ここからも、私の解釈です・・。
それぞれの「本当の私」は、それぞれの個性があって、
生まれ持った素質や、育った課程で身につけた能力もあります。
その「本当の私」が発揮出来る環境が、自己実現しやすい環境といえますが、
人は、経験の痛み蓄積で、「本当の自分」を守ろうとする故に、
「本当の自分」を封印したり、制御しようとして威圧してしまったり、
隠してしまったりしていることがあります。
つまり、自分に無理している生活の状態です。

そうなると、なかなか、自己の能力を充分発揮できなくなり、
そのうち、「本当の自分」を見失うようなことが、多々あります。

常に、仮面をかぶっているような自分や、
自分の素質と合わない様式に囚われて、自己嫌悪のループにはまったり、
それ、大抵は、「本当の自分」とコンタクトが取れない状態だと思えます。

 

インナーチャイルド・セラピーワーク」というと、

生きづらさの原因になっている、子供の頃のトラウマに気づき、
嘆き、感情をはき出すためのワークみたいな印象がありますね。
私も、他のセラピーワークで取り組んだときはそんな感じでした。

けど、今回受けているインナーチャイルドセラピーワークは、
その奥の、ハイヤーセルフ(高次の自己)までの内容も含まれていて
とっても、私にとっては、魅力的な内容でした。
時空を超えた繋がりのような感覚です。7次元に繋がる感じでしょうか・・。
これも、私の解釈ですので、ご了承ください。

ハイヤーセルフ(高次の自己)に繋がると、
大抵の答えが返ってきます。
私の解釈で言い換えると「内なる神」とかそんな感じですかね?
神との対話、みたいな本がありましたが、それと同じだと私は解釈します。

ま、そんなこんながあり、

私は、「本当の自分」と対話する練習を最近しています。
元々、作品のアイデアや、気づきは、「本当の自分」の領域なので、
私は、得意なことだったりします。

つまり、防衛を働かせてしまう外側(仮面)の私では、
真実は見えないわけで、感覚もにぶりますし、
直感もさえませんし、
防衛ための習性の活動だけで、疲れ果ててしまう感覚が私にはあります。

そんなこんなで、
時々、答えてくれる高次の自己の感覚や存在も私にはよくわかりますので、
解釈は早かったです。

というわけで、「本当の私」との会話を訓練中なわけです。
「本当の私」は、結構、面白いです。
自由だし、泣いたり、すねたりも、、最近ちょっと、解るようになりました。

ま、その、

インナーチャイルド・セラピーワークの目的は、
自分のインナーチャイルド(本当の私)のお世話を
自分で出来るようになることなのですが、
つまり、結構、みなさん、
自分の心が乱れたりしたら、
他人に泣きついたり、他人の反応で、心の穴を埋めたり、
モノに依存してしまったり、と、
自分の心のお世話を、他のものや人にさせることありませんか?
その辺のことを、自分で出来るようになるためのワークなのです。

最近、自分の一人の時間が増えました。
これ、実は、「本当の私」のお世話をしている時間なんです。
以前は、友達との交流や、ネットやメールや飲み会に時間を沢山使ってた頃がありました。誰かと関わっていないと、さみしい自分がいた気がします。
これ、他人に自分のお世話を求めている状態だったような気がします。

今は、逆に一人の時間が持てないと、
本当の私が、ざわつきますし、
人に対しても、自分に対しても、結構、キツクなってしうのが、わかります。
そうやって、自分の調整も試みて行くのでしょうね(笑)。

興味のある方は、「本当の私」の声に耳を傾けてみてくだい。

--

では、どうぞ、ステキな夏の始まりを!

 

庭の百合、軌跡のヒナ、長い6月でした。

梅雨ですね。雨、雨。
いかがお過ごしでしょうか?

まずは、今年もゆりが綺麗に咲いてくれました。

f:id:kizuki-ya-K:20160629230326j:plain

色とりどり、あんな色、こんな色

f:id:kizuki-ya-K:20160629230352j:plain

f:id:kizuki-ya-K:20160629230401j:plain

f:id:kizuki-ya-K:20160629230412j:plain

f:id:kizuki-ya-K:20160629230419j:plain

f:id:kizuki-ya-K:20160629230430j:plain

f:id:kizuki-ya-K:20160629230439j:plain

f:id:kizuki-ya-K:20160629230447j:plain

癒やされます。

そして、庭の巣箱に、シジュウカラが来まして、
気が付いたら、ヒナの鳴き声がピヨピヨしまして、
とっても、嬉しかったです。

f:id:kizuki-ya-K:20160629230455j:plain

リビング窓の正面に、巣箱を設置してあるので、
カーテン越しに、観察していました。
とっても、楽しみでした。
ヒナが孵ってからは、親鳥が慌ただしく、何度も何度もえさを運んで、
子供のお世話が大変なのは、人間も鳥も一緒だなぁ・・なんて・・おもいつつ
誇らしげに、毎日観察しておりましたら、
一週間ほどした、ある朝、窓のシャッターを開けると、巣箱の正面、
枝に、ネコがとまっているんです。しかも2匹。
まるで、チシャネコのように、枝に、猫が、とまってる。逃げないんです。

巣箱を襲われました!!。猫の親子の様です、この2匹の猫。片方は小さかった。
私が脅かしても、ぜんぜんどかないんです、この猫達。

まだ、巣箱の中に、ヒナが残っているからでしょう。
でも、地面には、数羽の、羽が・・もう・・何羽かは襲われた後だったようでした。
悔しくて、猫を追っ払ったけど、何度も来る。

それで、酢をまくなどの、猫対策したけど、結局、次の明け方にまた襲われてしまったようで、朝には、巣箱が、傾いてしまってました。

この黒、ホワイトソックスが親猫。

f:id:kizuki-ya-K:20160629230339j:plain

結構、猫好きで、猫カフェとか行っていたけど、
この一件で、ネコ、しばらく苦手になりました。
まだ、ノラネコを観ると、悔しくて、やりきれない気持ちになってしまいます。

ノラネコも、親子、鳥も、親子、でも、やっぱり、毎日観察して気にしてただけに、
ネコに襲われたのがショックでした。

2度の襲撃にもかかわらず、奇跡的に、1羽、ヒナが残りました。
軌跡のヒナでした。

けど、よっぽど恐い思いをしたのでしょうか、
まだ満足に歩けないのに、巣から逃げ出してしまうようになり、

そのたびに、私が巣に戻してあげるということを4日ほどしました。

巣から落ちても、親がえさをあげて・・。

f:id:kizuki-ya-K:20160629230514j:plain

ある日、ヒナが道路の方に行ってしまい、子供達につれていかれたり、

ヒナの扱いを知らない子供の行動が、他の子供の心に、いろいろ感じさせたり、
子供間にも、いろんな気持ちがわきおこったり、いろんなことがありました。

保護して、巣に戻したけど、子供が心配して見に来たりして、

親鳥が近づけなくなったり、また、ヒナが脱走したり・・
そんなこんなで、結局、最後のヒナも・・。すくってやれなかった。
ヒナが泣かなくなってからも親鳥は、ずっと探しに来て、鳴いてました。
親ってすごい。なんだか、悲しかった、とっても悲しかった。

心が泣いた日でした。

するどい猫の爪痕、猫は木にのぼるんですね

f:id:kizuki-ya-K:20160629230522j:plain

---

今月はいろんなことがありました。

お仕事は、楽しくて、充実していて、
私やっぱり、アプリの仕事好きだぞ!って、実感しました!

そして、心理カウンセラー2級の資格試験、や、トレーニング。
月の最初に1次試験に通過して、
3日ほど前に、2次試験に望みました。

今日、合否の発表でした。そして、不合格でした。

あぁ・・いろいろありました。

いろいろ頑張りました。
でも、及びませんでした。厳しいです。

ちょっと頭冷やして、要因を探ります。また次回チャレンジします。

今月は、いろいろ重なって、忙しくもあり、緊張もあり、焦りもあり、
喜びもあり、悲しみもあり、交感神経maxでもあったし、
心が右往左往しましたし、頑張ったし、
自分の心を掘り下げるようなこともあって、自己洞察にはまったり、
でも、現実が追いついてなかったのかな
私にとっては、長い6月でした。

そういえば、いつも、6月って調子悪いかも・・。

さっ、ちょっと、自分の心の声を聴いてみます。
明日からの自分のために。

「今、私の心が言ってるのは、忙しいと心を見落としがちだね」って、

---

それでは、どうぞ、自分らしいステキな毎日を!!。

「生きる」。 トンボ玉体験も。

こんにちは!。
みなさん、それぞれの5月なのでは、と、想像します。

私は、少しワガママをいいまして、
諸々後回しにして、家族の協力を得て、
GWの前半に、一夜、自分だけの時間を持てました。

一晩だけの、自由なので、何をしようと考えましたが、
その辺は、後半で。

そして、伊豆でトンボ玉体験にチャレンジ。

下は、子どもの作品↓。

f:id:kizuki-ya-K:20160511120752j:plain

これは、緑が子どもの作品、黄色紫が、私の作品

f:id:kizuki-ya-K:20160511120803j:plain

子どもが、2回目に作った長方形のトンボ玉、
ブレスレッドにして頂きました。
どの角度からみても、なんとも、ステキな色合いです。

f:id:kizuki-ya-K:20160511120817j:plain

私が欲しいです(笑)。

こちらのお店

 

www.glasmalerei.jp

 

----

 


今日のお題は、「生きる」


体や状況は、生きているのですが、
いまひとつ、「生きてる」実感が持てないとか、
または、「死にたい」とどこかで思ってしまったり、
そういう感覚になることが、私はあります。

いろいろな、モヤモヤとか、空虚感を抱えている状態なのだと思います。

私の場合、ずいぶん、そんな状態が続いていた気がします。

 

これまで、心理学を学んだり、いろいろな体験の中で、
様々な気づきがありました。
自分のモヤモヤや、よく解らない感覚を言語化していく上で、
出てきた言葉が、
「自分は既に、死んでいると思っている」感覚があるとか、、
「自分は、透明人間になりたい」だとか、
「何も感じない、私は心をなくしているのでは?」だとか、
そういう言葉が、出てきていたわけですが、

そういう自分の感覚と向きあう事ができて、
洞察を深めて来まして

たぶん、これ、「生きている」という実感を得ていないという状態なのだと
捉えることができててきました。

実際には、「生きている」んですけど、
毎日、様々なことをこなし、
いろんなことを考えて、前向きに進めているつもりなのに、
空虚感がぬぐえない。

だから、「もっと、頑張らねば、もっと」と思ってしまうけど、
現実的には、「もっと」を実現する余裕も、体力も、環境条件もない。
満たない、満たせない、自分を嫌悪する
という、いわゆる負のスパイラルに陥ります。

本当に欲しいものは、「生きている」実感があればいいです。
では、その実感とか何でしょうか?

それは、おそらく、「今を生きること」なのではないでしょうか?

大抵は、過去に囚われている。
あるいは、未来を考えすぎて、不安になる。

その2つが今を生きていない原因のような気がします。

なので、
「今を生きる」ということは、過去や未来に囚われないということ、
「今を大事に感じる」という理屈になります。

どういうことかと言うと、
結局、自己受容ということになります。
自己受容とは、ありのままの自分を受け入れる。
好きな自分はもとより、嫌いな自分も自分の側面であることを踏まえる。
そんな、痛い自分の、痛みを感じることかもしれません。
あるいは、好きな部分の自分を素直に喜ぶことなのかもしれません。

そんな、凸凹な自分を認めて、凸凹な自分に即したものを選ふ、

ということだと、気づいた訳です。


私が、しばらくなくしていたものは、「自分」でした。
私の落とし物は、「自分」でした。
私が探していたものは「自分」でした。
本当の自分、今の自分。
「過去の自分」でなく、「理想の自分」でもなく、
今の、等身大の、若い頃よりも格好悪いけど、妙な深みのある、
けっこう痛い「今の自分」でした。


そして、その自分を取り戻すために、
また、自分を確かめるため、自分を感じるために、
自分の思っていることを、言える、表現出来ることをしようと思いました。

過去の日記を元に、自分を振り返ると、
自分をなくしたころ、
言っても伝わらない感をとても感じていて、
自分は変わっている、自分は受け入れられない存在感を持ってしまい、
本当の自分の気持ちを、出さなくなった気がします。
それが、「透明人間になりたい」という感覚になったのかもしれません。

振り返りの、元になったのは、
私が2001年~自分webで公開していた「光と闇のダイアリー」という日記でした。
2009年頃から、公開を辞めていました。

GWの前半の一夜に、この日記の続きを書こうと、
止まったままの、時間を進めようと、
見えなくなっていたものを、編集しようと、した訳です。

まだ、2012年までしか、追記出来てませんが、
こんな自分もあったと、自己受容するに至り、復刻してみました。

そして、主旨を新たに、「黄月家K's 気づきlog」を公開することにしました。
昨年からの「自分」の言葉を随時追記して行きます。

黄月家K's気づきlog

黄月家K's Old Day_光と闇のダイアリー

--

みなさん、

どうぞ、ステキな一日の実感を、楽しんでください。

心のバランス

東京多摩地方、今日は、暖かく穏やかな天気でした。

九州地方の皆様、ご関係者の皆様、
いろいろ大変なことが続いていると思います。
お気持ちも大変だと思います。どうぞ、どうぞ、ご自愛ください。

私も出来ることをしていこうと思います。

春のうちの庭↓。

f:id:kizuki-ya-K:20160417012213j:plain
スノーポールとテントウムシ

下は、ももの花

f:id:kizuki-ya-K:20160417012222j:plain

毎年咲いてくれる、この赤い花(球根)

f:id:kizuki-ya-K:20160417012229j:plain

モミジの芽吹き

f:id:kizuki-ya-K:20160417012240j:plain

ジューンベリーの花

f:id:kizuki-ya-K:20160417012250j:plain

野生種のチューリップ、これも毎年咲いてくれます。

f:id:kizuki-ya-K:20160417012257j:plain

芝桜

f:id:kizuki-ya-K:20160417012309j:plain

これは、あげびの花、ヒヨが花を食べにきます!。
美味しいのかな?

f:id:kizuki-ya-K:20160417012318j:plain

----

今日のお題は、「心のバランス」

 

最近、なんだかとても忙しくて、
「時間がない」という感覚に追われて、
思うように、物事に関われず、イライラしたり、
結局、やりきれなくて、上手く行かず、落ち込んだり、
いろんなことがいっぱいで、ざわざわしたこの頃でした。

そうは言えど、外は春ですね(笑)。
花も綺麗だし。

「やらねば」「やらねば」と、自分を責め立てていたようで、
先週も、ちょっと時間的に落ち着いてきたのに、
焦りが抜けなくて、「今のうちにやらねば・・」と
結局、休めずじまいでした。

歯車が、上手く回っていないような、
空回りしているような感覚が自分の中にあって、

何が悪いんだろう?と考えまして、

ふと我に気づきました。

つまり、忙しいと生きるバランス崩しませんか?

「やらねば」という思考やルールが優位になって、
自分の心や情緒、身体を置き去りにしているってこと、
ありませんか?

これ、カウンセリング心理学で言うところの、
現実原則と快楽原則のバランスの理論ですね。
人にはそれぞれのバランスがあって、
過ぎたるは、及ばざるがごとしです(笑)。

バランス、崩してましたね、最近の私。

もうこうなると、気持も情緒も身体も見失ってますから、
自分が本当は何をしたいのか、すぐに心が出てきません。

焼け石に水のような、作業を繰り返したり、
そんなことの連続で、全く満足感も得られず、心が乾いていく感じです。

2.3日考えて、昨日、やっと心の声が出てきました。
私の心と情緒と身体は、「休みたい」って、言ってました(笑)。

そうなんです。疲れているんです。
疲れている自分に鞭を打ち続けていたこの頃だったんです。
そのうち、自分が疲れていることすら、解らなくなっていたような感じです。

がんばり屋さんにありがちな、状態ですね。

さて、それに気が付いたといっても、
今をどうして良いものやら、悩んでしまうのが、また困った私です。

自分をいたわる、自分にご褒美をあげるクセが、ありません。
だから、すぐ、自愛を忘れてしまう。

実は、まじめなので、積もっている作業を投げすのも苦手です。

かといって、

しんどいと、視野も狭くなりますし、いろいろ上手く行きません。
心もふさぎがちになりますし。

だから、今度、こうなった時のために、すぐ思い出せるように
私の持ち直し事項を、書いておこうと思います。

①睡眠時間を充分確保しましょう。
②心が疲れたら、作業を止めて、空を見ましょう。
③心が疲れたら、作業を止めて、花や土の手入れをしましょう。
④情緒を忘れかけたら、大好きなドラマや映画を見ましょう。
⑤自分の心の声を聴くための、時間を作りましょう。
⑥それで、作業が溢れたら、自分と作業を見切りましょう。

最近、どれもこれも、出来ていませんでした。
今日、夕方少し、②③の時間をつくることが出来ました。

上記の6つを、心のバランスがとれなくなったら、
自分自身に心がけたいと思います。

みなさんも、どうぞ、ご自分のバランス回復
ご褒美として、好きなことなどを考えておくといいかもしれません。

--

春ですね。どうぞステキな時間を楽しんでください。

ニセモノの世界

だいぶ、暖かくなりました。

毎回思うけど、クリスマスじゃないのに・・(笑)
うちの庭、玄関わきのクリスマスローズが、満開です。

f:id:kizuki-ya-K:20160319085036j:plain

もう、たぶん3年か、4年目ですか(ど忘れ)

f:id:kizuki-ya-K:20160319085043j:plain

上から見ると、この量。

f:id:kizuki-ya-K:20160319085050j:plain

こんな色も端の方に咲いてます。(ピンぼけ)

f:id:kizuki-ya-K:20160319085056j:plain

玄関アプローチの入り口の、ムスカリもかわいい。

f:id:kizuki-ya-K:20160319085104j:plain

ハッピークローバーも、冬越えして元気です。

f:id:kizuki-ya-K:20160319085114j:plain

----

今日のお題は、「ニセモノの世界」

この世は、ニセモノだらけ、張りぼてが並んでいる仮想世界。
そんな、感覚が、私の中でずっとありました。

そして、自分もひょっとしてニセモノなのではないかと・・。

カウンセリング心理学を勉強しながら、
最近わかってきたことは、
「考え(思考)」と、「気持ち(感情や心)」と、「行動」、「意味」が、
一致していない状態が続くと、心や、身体や、行動に、不具合が出てくるのが
人間なんだということに、私自身気づいてきました。

私自身も、もちろん、いろんなしがらみがあったり、
簡単じゃない経験が沢山あったり、
複雑な感情が積もっていたりしているので、
一致してない部分を沢山、持ってす。

しかし、その別々なものが、一つの身体の中に、宿っている以上、
別々のままを続けて行くと、どこかが分離してしまう訳です。

そして、そういう場合に、
いろいろ、折り合いを見つけ出して、
現状・現実の状態の自分を納得して、
歩き出すことができる心と体の状態にすることを、
心理学では、「統合」といいます。

単純に、心(思っていること)と、考えと、行動が、一致していると、
足し算じゃなくて、乗算的な、力が入ります。
自分の能力を100%、発揮出来る状態というわけです。


しかし、最近の、現実社会は、なかなかそうはいかない。

まず、現代社会は、結果主体で、行動と思考が、優位で、
感情や気持ちがおざなりな部分を感じます。

マニュアル社会の弊害ですかね?

表面的。

そこで、私が「ニセモノ」と感じているのが、何なのかを言語化できました。

「行動」と、「思考・考え」に、「気持ち(心)」が伴っていない状態を
私は、ニセモノと感じていたのだと。

こういった、表面的な状態だと、心底の力がないので、
途中で果てて、中途半端になったり、
心を無下にしているので、人を物扱いして、
マイナスな心のエネルギーを駆ったりして、足止めの結果になります。

前回のweblogで、書きましたが、
「人の心を動かすのは、心だ」と、私が改めて、感じたのは、そこです。

結局、人は、思考や論理では、とりあえず、動いたとしても、
心が伴っていなければ、長続きはしない。
思考や論理を支える心が見えなければ、
思考は論理は、時代の価値観とともに朽ち果てる。
だけど、心があれば、
自分の想いと同時に、他者の心も想像できて、柔軟な変化を遂げつつ、
お互いに成長してゆけるものになるといったところでしょうか?


では、心は、どいったものか?

心とは、情緒部分、感情部分、などなどで、
本来なら、動機などに関わる部分です。

つまり、私がこれまで使っていた言葉に置き換えると、
方向=ベクトル。どちらを観るかという、向きとでもいいましょうか。

そして、心の成長は、
考えや思考、行動のスキルと同じように、
心も、経験をつむ必要がります。
まず、感じること、
次に、感じたことを表現すること、
その経験のくり返しで、感覚も、育ちます。

しかし、幼児期などに、心を軽視した環境で人間形成をすると、
なかなか、心=情緒が育ちません。

具体的には、
感じることを禁止されるケース、や、否定されるケース。
心を無視されて、コントロールされるケース。などがあります。

具体例としては、
子供が「痛い」と感じたとすると、
親が、「痛くない!」「痛くない!」と
たちまち、否定したり、
子供が、「悲しい」と感じたことを、
親が、「そんなことが悲しいのなら、生きてゆけないぞ!」とか、
親の感覚を押しつけたり、

ありがちですね。
私も、されたし、したと思います。

親は、親の、強くなって欲しいとか、いろいろな子への想いがあるのでしょうけど、
実際には、子供の情緒(心)の成長を、阻害する結果になってしまって、
こうした中で、大人になると、
思考優先で、自分の気持ちもよくわからい、
よって、人の気持ちも想像できない、という、
偏った成長になってしまう訳です。

あるいは、
自分の心が感じられたとしても、
それを表現しても、受け入れてもらえない環境だと、
自分の心を、無下に、よって、人の心も無下に、
そんな、心の伴わない、生き方をしがちになります。

人の心や情緒が成長するためには、
「感じること」の自由と、「表現の自由」が、大事なのですね。

かといって、
法律やルールやマナーを害する、行動が伴うモノは、
社会性の中での、行動との調整が必要だし、
表現だって、攻撃性や、暴力性があるのは、
他者の気持ちへの配慮ができないという意味で、
未発達な心理がある状況なのかもしれません。

それも、ありがち、なので、
心の成長とともに、バランス良く、行動や、思考も、
社会性的部分の成長が必要になるのも、うなずけます。

心だけでも、行動・思考だけでも、中途半端な状態という人間の仕組みですね。

 
「本音」と「建て前」
そんな、文化もありますね。
昔の私なら、「建て前だけ」の人間を「ニセモノ」と感じていたと思います。
だけど、その「だけ」が、キーなんです。
「本音」がどこかに見え隠れしていれば、
おそらく、「完全なニセモノ」ではないのかもしれません。

 

最近、メディアや、SNSや、ワイドショー、様々な場面で、
表面的なコメントだけの、人々が多い気がすると、
感じているのは、私だけでしょうか?
いわゆる、「ニセモノ」を感じます。

かといって、心を話す、自由度が、社会の仕組みになくなってしまったような。
失言をすると、炎上して、根掘り葉掘り掘り起こされて、
人の足下をすくって、情け容赦なく、窮地に追い込む、
社会から乾させる、ような風潮もあります。

建て前ばかりの、言葉。
これは、心理の深層で、恐怖から防衛している姿のようにも見えます。

体裁を気にして、心を話さない。
本音(心)を、話せる場所がどこにもない。

今のこの国は、「ニセモノ」を創り上げるように機能しているのかもしれませんね。

そして、この国ごと、「ニセモノ」になってしまうのかもしれません。

おおっと、これの発言↑は、否定的コントロール調でした、すみません。

このように、恐怖や、不安をあおる、事態を連想させて、
人の気持ちをコントロールしてしまうことを、
カウンセリング心理学で、分析しますと、
「否定的コントロール」という言います。
共依存症や、アダルトチルドレンが持つ、行動の傾向です。

子供の時(人格形成期)に、
自分の心や思考を、自律する方向で、経験すると、
人間関係において、
①自分のことを話す
②他人の話を聞く、
③違いを、わかって、調整する
ということが、出来るようになるのですが、

人格形成期に、
まず、自律的存在に扱われずに、「話を聞いてもらえない」
と、上記の①、②、③が、できなくなってしまう傾向にあります。

「自分のことを話すこと」は、情緒(心)に深く関係しています。
なぜなら、自分のことを話す(言語化する)ためには、
まず、「自分のことを感じる=自分のことをわかる」必要があるからです。

情緒も、経験値があって、
経験して情緒(心)を感じることを、繰り返すことで、
心が成長します。

こうして、人の情緒が、健全に成長できる家族や社会が、人間の成長には必要です。

そして、情緒の成長の機能を持たない、家庭環境のことを
カウンセリング心理学では「機能不全家族」といます。

だから、情緒の成長の機能を持たない、社会のことは、
「機能不全社会」と言えそうですね。

長くなりました。

今日のお題をまとめると、

まず、自律的に「話を聞いてあげること」が、
この「ニセモノ」製造社会には必要なのかな?と。

社会のひとりひとりが、成長していけるために、
「話を聞くこと」をする、そのためには、
自分の感情や思考は、他人の感情や思考とは別物なのだと、
区別できる距離感を持ちつつ、自分も機能する必要があるのだと思うわけです。

他人のことで、心が動くのは、心が機能しているということだし、
それは、それで健全だけど、
「・・すべき」とかといって、思考や、行動を押しつけたり、
それに、従わない他人を、けなしたり、攻撃するのは、
「否定的コントロール」なので、共依存症の傾向が見受けれる人、
と言う心理学的な解釈になります。

否定的な社会は、怖いですけど、
「自分を感じる」ことを止めないでほしいです。
「自分のことを話す」場所を持って欲しいです。

「否定的コントロール」の実態を知ってほしいです。
恐怖は眼をふさぎますが、それが、全てじゃないということです。

つい、「否定的コントロール」的なこと言っちゃいますが、
矯正や、強制や、攻撃や、必要以上の否定をする必要は、ないのです。

だって、私は私、それと同じように、あなたはあなた。人は人、
私の心は私のモノ、私の人生は私のもの
あなたの心はあなたのモノ、あなたの人生は、あなたのもの
私とあなたは、違って良いのです。
あなたと私も、ちがって良いです。
あなたも尊重されるべき人間で、
私も尊重されるべき人間です。
みなさん、そうですよね。


さて、
あなたは、「ニセモノ」?
私は「ニセモノ」?

---

だんだん、春になってきました。
花粉ショー大変ですが、
花や、空や、風景に、眼を向けてみたくなりました(笑)。

どうぞ、ステキな3月をお過ごしください!。