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ココロド_黄月家K's weblog

考えすぎ? ココロド_心理カウンセラー_黄月家Kの 思考いろいろ、ものづくり、カウンセリング心理学、時々庭、時々日記です。

ガーデンリフォーム2_造作全容編。 「嫌悪」という心理について_随筆

昨日に引き続き、ガーデンリフォームで、気になるところに手を入れてみました。
今日は、造作と全容編。

まず、小道の脇などを、枝で囲って、お花を植え込めるエリアを作ってみました。
枝は、以前剪定で切ったものを使用しました。
西側

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リビング寄りエリア

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菜園との境。

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植栽植え込みとの境に。

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机を置く予定のアーチの下に、壁を作ってみました。

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下はレンガを積んで、向かって右の、シャクナゲなど
花の木は、見えるように、作りました。

パーゴラの脇に、手製の棚もサイズを合わせて作りました。

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全体的にはこんな感じです。

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真上からみるとこんな感じ。

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板の小道の間の土には、ラッキークローバー等々植物を養生中です。
中央に扇型の宝探しの砂場があります。今回は形を再調整しました。

入り口、蒲萄棚のパーゴラ下からみると、こんな感じ。

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アーチの下に、机を置くとこんな感じ。

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アーチの下に流木ベンチを置くとこんな感じ。

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ちなみに、前回のガーデンリフォームのweblogは こちら。

kizuki-ya-k.hatenablog.com

 昨日のガーデンリフォーム_小物偏は こちら 。

kizuki-ya-k.hatenablog.com

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「嫌悪」という心理について

「嫌悪」という、ネガティブ系の事象は、
一般の人は考えることも避けたくなるのかもしれません。
いわゆるタブー的な心理なのだと思われます。

私の大好きなピクサーの、次期映画で、2015年7月18日公開の、
「インサイド・ヘッド 」は、
11歳の少女ライリーの頭の中にある5種類の感情ヨロコビ(JOY)カナシミ(SADNESS)イカリ(ANGER)ムカムカ(DISGUST)ビビリ(FEAR)たちが予想もつかない新たな冒険を繰り広げる。という内容らしいですが、
昨年の段階では、ムカムカ(DISGUST)って確か、「嫌悪」と訳されていました。

映画の中で、ムカムカ(DISGUST)がどう描かれているかは、まだ解りませんが、
人が避ける「嫌悪」という感情をピックアップしていることが印象的で、
私も「嫌悪」について、考えてみたくなったのでした。

実は、時々「嫌い」という感情に心がとらわれてしまうことがあります。
でも、最近は、「○○なんて嫌い!」ということは、非道徳的言語となって来ています。最近はヘイトスピーチは、ダメージを与える攻撃的要素のある表現(暴言)という概念に変わって来ています。なので、そういう知識のある人は、「嫌い」という言葉使わないようになって来ました。

私の場合は、「嫌い」を「苦手」という言葉に変換して使うようにしています。

ネットの本屋さんで、「嫌悪」について解りそうな本を探しましたが、それっぽい本を読んでも、なかなか納得のいく解釈が得られませんでした。

好き、嫌いは、生まれる前から決まっている、というような赤ちゃん研究の論文もあり、「嫌い」も、ごくごく、感覚的で本能的なもの、という考え方もあります。

逆に、経験の蓄積による、後天的な「嫌悪」というのもあると思えました。

「虐待」_斉木桂子著_創英社/三省堂書店
(日本カウンセリング普及協会の理事である筆者の、幼少から成人までの出来事や行動や心の問題を、具体的な事例として、心理学的に解説・解釈を綴った本です。) 

虐待―子から母への手紙

虐待―子から母への手紙

 

 この本を読んでいて、アダルト・チルドレンインナーチャイルドの節を読んだとき、私の中で、ある仮説が成り立ちました。

その仮説によって、少なくとも自分の意味不明で説明できなかった、ムカムカ、イライラの事象の解釈できた気がしました。

アダルト・チルドレンとは、問題のある親や家庭で育ち、その体験が成人になっても心理的外傷(トラウマ)として残っている人のことです。

インナーチャイルドとは、子供時代の頃の記憶や心情、感傷の事で、潜在意識の中で子どものままでいる自分のことです。

アダルトチルドレンは、子どもであることが許されない状況で人格形成したので、子どもである部分を否定することで自己肯定が成立してしまっています。なので、自己や他者の子ども的な部分を許容することが苦手ということになります。
なので、アダルトチルドレンは、通常、インナーチャイルドを否定したり無視したりしてしまいます。
この否定・無視が、「嫌悪」となるのだと私は推測します。

否定・無視する要素がある人を、アダルトチルドレンである率が高いと考えたとして、アダルトチルドレンは心に傷を持っている人で、
逆説的に導き出せば、「嫌悪」は、「心に傷のある人」が持つ感情なのかもしれません。

つまり、子どもの部分の自分や他者を、愛せないでいる人は、否定感を抱きやすい。
その度合いが強いと「嫌悪」を抱きやすいと推測できます。
つまり、「嫌悪」で嫌っている対象は、実は、自己の中の、置き去りにしてきた子どものような気持ちで、それに類似(投影)したものを、「嫌悪」の対象にするのだと、推測出来たわけです。

なので、自分が封印しているものが「稚拙」であれば、「稚拙」を嫌い、
「甘え」であれば、「甘え」を嫌い、「弱さ」であれば、「弱さ」を嫌うという
仕組みなのではないかということです。

ただ「いや」と思う、その一見説明不能な「嫌悪」とは、実は、自分の中にあり、
そして、嫌悪の度合いは、おそらく、
自分で押し込めている度合いと比例しているのだと思ったのでした。

そして、「嫌悪」を示す人は、
つまり、無理をしている人(アダルトチルドレン)と思われます。
いじめっ子が、優等生というパターンとも合致します。

アダルトチルドレンになった原因(トラウマ)を知り、インナーチャイルド(子どものままの自分=満たされない自分=愛されたい自分)を認知して、許容し、改めて無条件に愛してあげることで、心を満たし、置き去りになっていた心を抱き上げて満たすことによって、自分や他者を肯定して向き合うことが出来るようになるという概念の療法があります。

実は、私、以前、インナーチャイルドを癒やす療法を受けたことがあるのですが、
結局インナーチャイルドを癒やしてやることが出来きなかった経験があります。
なので、未だ、私の中には、置き去りにしている心があることになります。
私はその影を、何かや誰かに見いだしたとき、強い否定を感じてしまうのだと気づいた訳です。

先日までは、自分の外の要因だと思っていたので、解釈が反転しまして、驚きがありました。

今日はここまで。

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先週、急に思い立て、
思い切って、即日、心理カウンセリングの勉強をはじめました。

元々、大学、哲学科卒で、実存主義を研究していたことから始まり、
教員免許も持っているので、発達心理学・教育心理学なども学んでいました。
20年ほど前にも、カウンセリングの実践技術講座を受けたこともあり、
その後も、独学で心理学・臨床心理学・発達心理学を学んできたので、
内容がとってよく理解出来て、水を得た魚のごとく、
気持ちも思考もとっていい感覚で、いい感じで、わくわく感があります。

実は、こんな引き出しも持っていた私です。
ふっふっふっ(笑)。
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過ごしやすい季節になりました。
どうぞ、良き週末をお過ごしください!。