ココロド_黄月家K's weblog

考えすぎ? ココロド_心理カウンセラー_黄月家Kの 思考いろいろ、ものづくり、カウンセリング心理学、時々庭、時々日記です。

「上下関係」の悩み、謎の足跡

最近、雨多いですね。

夏に2Fのベランダの手すりに、発見した、謎の足跡

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2Fですよ、どうやら、雨樋の橋と伝って上ってきたようです。

2Fに食料はありません・・何のために? 何者?

猫? 猫は雨樋を上るのでしょうか?
狸? この辺りでは観たことないです。

謎です!。

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うちの庭には、カマキリが住んでいますが、

カマキリの足跡ではなさそうです。

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今日のお題は 「上下の関係」

 

身近に上下関係は、ありますか?

物事を「上下」「優劣」で、捉えるクセはありますか?

たとえば、親と子、先生と生徒、社長と社員、部長と部下、姑と嫁、
いろいろな関係があります。

これらは、確かに、責任の重みに、違いがあります。
他にも、違いはあります、が、どちらが偉い、とか、どちらが、ダメというものではありません。

子がいるから、親になれるわけで、
考えようによっては親になるチャンスを子に貰っている訳です。
先生と生徒、社長と社員も、部長と部下も、嫁姑も同じ。

違いはありますが、生きる権利や、情緒を持つ権利、考える権利、表現する権利、
それは、人間みな平等です。

平等な関係が、人間関係の中で、不自由な状態だと、
情緒や思考や行動が、成熟する機会を失ってしまい、
内面が発達不全になってしまい、大人になってからも、
内面の発達不全なところを、他人に依存してしまって、
自律できない、生きづらさを抱えた大人になってしまいます。

だから、むしろ、
上の立場の人間は、
生きる環境、情緒を感じる環境、考える環境、表現する環境を、用意してあげる、
それが、自律した人間を育むことになります。

上のものが、より弱きもの、未熟なモノのお世話をするときは、
それらの自律的な成長の妨げになるらぬよう、
お世話しすぎず、自律できる力を育むために、
おおらかでありながら、客観的な視点で、
お世話(面倒をみる)の境界を、見極めることが、
導き手としての、ファシリテータ力につながります。

しかし、
上下の関係を、優劣にとらえるタイプの方もいます。
上が、下を、奴隷のように扱ったり、モノのように、消費物のように扱う場合,
いわゆる、弱肉強食思考ですね。
あるいは、お世話を仕切って、この自由がなく、
結果的に支配するタイプの場合もあります。

ここでは、
平等な上下関係と、
不平等な上下関係、と区別して言いましょう。

違いは何か、というと、
個人が尊重されているか、とうところです。

「平等な上下関係」では、個人が尊重されていることになります。
人間は、自ら自信をもって調整する力を養って、成長します。

しかし、尊重されなければ、感情が負に傾いて、
相手か自分かどちらを破壊するようになると、
(多くの事例を観て)私は捉えています。

なぜなら、人は、自分の能力を発揮したいという、実現傾向をもっているという、
(カール・ロジャーズの)理論があります。
それをベースに考えれば、
個人を、尊重される中では、より調整の取れた機能を身につける方向に働くけれど、
個人を、尊重されない中では、まず、発揮するための障害になっているものを、
壊すという段階を、必要とするからだと、私は考えます。

(人が実現傾向を持っているというのは、

新しいものが成り立つ前には、クライシスという段階が、
多かれ少なかれありますから。

では、「不平等な上下関係」とは、なんでしょうか?

1つめは、
上位者の劣等感が背景になります。
本当に、心身、能力、情緒、ともに、優れているなら、
下を卑下する必要がありません。
彼らが劣(下)を必要とするのは、自分が優(上)だと確認したいためです。
極めて個人的な外部準拠の満足のために、関係を利用しているだけ。

2つめには、
上位者が、アダルトチルドレンの要素を持っている場合が考えられます。
アダルトチルドレンとは、「養育者の間にトラウマを抱えた成人」という定義ですが、
アダルトチルドレンが持っている、思いグセの傾向に原因があると考えます。
つまり、人格形成期の養育環境の影響で、いくつかの、
機能に苦手感を抱えている、その苦手感(思いグセ)が、原因だと私は考えています。

具体的には、
1)自分の思っていることを伝えられない
 (言ってはいけないと思っている、おべっかや嘘を言ってしまう)
2)相手の思っていることを聴けない
 (きっとこうだろうと、勝手に解釈してしまい、
  相手の訴えを自分の概念に当てはめて歪んで捉える傾向、
  または批判されている気分になりすぐ感情的になる、
  または、かわいそうと感情移入して余計なお世話をしてしまう)
3)両者の話を客観的に並列して、調整できない。
 (優劣や、上下にすり変えて、調整しようとしない、
  喰うか食われるか思考。一方的)

単純に、自分の気持ちを伝えて、相手の話も聴いて、
利害のあうところを吟味して調整するば良いだけですが、
1)、2)、3)ができない、クセを持っていると、
トラブルが起こりがち、起こしがちになります。
そらが、生きづらさの原因になってしまいます。

だけど、大人になってから、そのクセや習性を直すのは、
とっても時間がかかるし、
ある程度の知識や、客観的な視点も必要になります。

私自身、母親が、親に意見すると、激怒したりする人でしたらから、
あまり、自分の意見を冷静に言える環境もなく、
1)が育つ環境はあまり良くなかったです。
そして、母は、人の話を客観的に聴くことができず、
下の立場が意見することに常に激怒していましたら、
私は話を聴いてもらえる環境が不十分だったので、
人の話を聴くという見本もなく、
2)を習知する環境が不十分だったと思います。

なので、大人になってから、心理学を学んだりして、色んな場面で
1)、2)、3)が大事という結論に至り、今、心がけているという段階です。

単純に、私もアダルトチルドレンの一人ということです(笑)。
だから、誰かを、批判や、批難するるために、
このブログを書いているわけではありません。

私自身の、内観を深めるために、整理しているという要素が一番大きいです。
あとは、自分の思っていることを、伝える、
つまり、1)の段階の訓練でもあります。

4年ほど前に、ある出来事があってから、
この、ブログの初期冒頭にも少し書いてありますが、
完全に心閉ざしていまい、自分を、自分の思っていることも、言うどころか、
心さえ、押し殺して、自分自身も消えそうだった、そんな経過があり、
やっとこんな感じ、という経過があります。
すみません。


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最近、いろいろあって、
ま、その、痛い方に働く思いグセをぬぐって、
自分の本当の気持ちを見つめていこうと、
模索してましたら、
また、いろんな気持ちにぶつかりまして、

だから、少し、内観して、自分自身を整理したいと思いまして、
今日は、時間を自分の整理のために使って、書いてみようと思いました。
こういう時間、大事なんですよね、本当は。

でも、やることが沢山合って、
自分のために時間を使うことに罪悪感がって
でも、この「罪悪感」は、実は、痛い方に働く思いグセなんです。
だから、ぬぐう必要があります。

自分が、自分らしくあるために、
「罪悪感」は要らない。のです。

誰かに迷惑がかかりそうなら、
ありのままを1)伝えて、2)相手のご意見も伺った上で、
3)調整すれば良いです。

もし、その1)、2)3)が出来ない関係ならば、
それは、不平等な上下関係が作られていて、
それは、悲しいですが、建設的な関係でないと、気づく必要があります。

最近自分の心に耳を傾けると、
予想外の感情を発見したりしました。
へぇ、って。

事実を認知するって、簡単なようでいて、
結構、痛みを伴うことがあるから、抵抗や防衛が出てしまいますね。

自分の読みが間違っていたりすることを認めることであったり、
自分に思い込みがあることを認めることであったり、
自分の痛いところを、知ることになったりしますから。

だから、メンテナンスする時間が必要になりますね。
心が痛いときは。

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みなさま、どうぞ、時々、ご自分の心の声を聴いてやってください。
聴くだけでいいんです。
聴いてあげるだけの方が、いいんですよ。

知っている、だけで、良いんですよ。
人は、認知されることが、心の栄養ですから。

余計なお世話が先にあると、逆に話せなくなっちゃうんで。

どうぞ、心と会話をして、心を認知してあげて、心に栄養をあげてください。