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ココロド_黄月家K's weblog

考えすぎ? ココロド_心理カウンセラー_黄月家Kの 思考いろいろ、ものづくり、カウンセリング心理学、時々庭、時々日記です。

ぶどうジャム。「怒り」について

10月になりましたね。
私の方は、夏は制作ができなかったせいか、
9月は映像制作が楽しくて、心が映像作りにはまってました。
10月になりまして、また心理カウンセラーのトレーニングも始まり、
心が、内観にシフト中です。
9月に、1年学んでいた、インナーチャイルドセラピーワークを終えまして、
「もう、自分に嘘はつかない!」って思いまして、
自分を感じながら、生きていますと、いろいろ発見があったり、偶然があったり、
ほんと、どきどきわくわくなんだけど、実感があって、
無理せず、自分を隠さず、大きく見せず(笑)、小さく見せず(笑)、
でも、まだ、小さくなる傾向を、ぬぐえなかったり、
そんな、よちよち歩きの毎日を送ってあります(笑)。

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少し、バタバタで、時差でてしまいましたが、
この夏も、うちの癒やしの庭、ぶどうが豊作でした。8/23頃のぶどう

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今年は、玄関アプローチまで、枝が満ちました。

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収穫してみましたら、バケツと洗面器3杯。8/23

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ジャムにします。皮を取って、中味だけ、一度煮て、種を取るために、こします。
一度煮ると、種とりやすいです。

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今年は、バタバタで家にある砂糖を使いました。きび糖。
コクがあり、白砂糖より、深みのある美味しいジャムになるので、
この砂糖を買い置きしてあります。

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そしたら、せっかくの、半透明なぶどうが、こんな色に!。

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今年のぶどうジャムは、こんな色に!。ま、味は美味しいんですけどね(笑)!。

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ちなみに、昨年のぶどうぢゃむは、こんな感じ、

 

kizuki-ya-k.hatenablog.com

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今日のお題は、「怒り」。

 

強い感情は、フタをすると、心のモヤモヤになって、
自分自身に雲をかけてしまいます。

その人が、気持ち良く、全身全霊で前進出来ない時は、
大抵、くすぶった感情が雲やキリとなってモヤモヤと邪魔をしています。

こういう状態は、「感情の浄化が必要な状態」と見立てます。

感情を浄化するには、その強烈な感情のために、時間をとって、
安全な場所で、じっくり感じて、
充分に自分のその時の感情を汲んであげる、
または、(カウンセラーなどに)汲んでもらうことによって、
その感情を持った自分を一人にしないで、追いやらないで、
そんな自分も含めた自分をいたわることが、感情の浄化に繋がります。
本当の癒やしは、
1)向き合う勇気と、
2)安全な感情の行き場所をつくること(カウンセリングなど)と、
3)充分な嘆き、
4)その後の新たな気づきにより、
5)気持ちの再生という行程をたどります。

しかし、大抵の場合は、向き合いたくない理由があって、封印しているわけで、
1)から、5)まで、どこの課程でも、「抵抗」が起こります。

さて、
「怒り」も、出しにくい感情、ため込みやすい感情の代表例です。

過去に、たとえば、「怒るのはカッコ悪い」とか、
「怒るな」とかと、重要人物に怒りの感情を禁止された、
禁止令(交流分析用語)を持っている場合もあります。

「怒り」は、もの凄いパワフルな感情です。
だから、やり場を間違うと、いろんな弊害を伴うことがあります。
だから、厄介と感じる。

私の場合もそうでした。
私の母が、怒りを「復讐的行動(自他に破滅的に投げ出して遮断すること)」に
変えやすいクセを持った人で、
それに翻弄された経験から、私の中で、「怒り」は人も自分も傷つけるという、
思い込みを持ってしまっていたからです。

他に、怒鳴ったり、暴言や暴力で、
怒りを「攻撃」に変えてしまうクセのある人もいますし、
怒りは、厄介と感じてしまいます。

単純に、自分が弱っていると、怒っている人を「恐い」と感じてしまう習性もあります。

だけど、人間だから、自分が軽視されたりと感じたりもすれば、怒りも沸きます。
その怒りを、適切に処置できないで、ため込んで蓄積してしまったり、
自分が悪いのだからと、怒りを自分に向けてしまうようになる人もいます。

抑うつは、実は、怒りを抑制して、自分に向けている状態のことです。
自分では、「怒り」を自覚できない状態かもしれません。


私が、うつを煩った時も、自分を責めて自分に怒りをぶつけて
自分を激しく嫌悪(批難)している状態だったと、
今だから、振り返ることができます。


抑うつから、脱する課程では、
自分に向かった怒りが、
方向を変えて表出する課程が必要になります。
自分の中の怒りの存在を、認める段階です。
その時、ためていた怒りがあふれ出ます。
だけど、当時の私には回復の知識もなく、
怒りを表出させることが、うまくできず、長い間、
自分を責めて、自分で自分のエネルギーをうち殺していた状況だけが続いていた
気がします。

正直、怒りの対処法を学んだ今でも、まだ上手く自分の「怒り」に対処できませんが、
怒ってもいいのだよ。ということは、自分に言っています。

だけど、怒り(感情)と、行動、思考は、別物だと思ってください。
怒りと、暴力的要素は、別物だと、ぐれぐれも理解する必要があります。

怒りの感情は、あっていい、人間だもの。
だからといって、
他者を攻撃したり、他者が健やかに生きる権利を奪ったりする行動に出るのは、
暴力(的)行為で卑劣になります。

なら、どうやって表出させるかというと、

1)とにかく、「怒っている」自分の気持ちに気づいて、
 怒りを認知してあげてください。「怒っているだね」って。
 自分の気持ちを無視しないで、あげてください。
2)次に、どうして「怒っているのか?」何について「怒ってるのか?」、
 些細なことでも、くだらないことでも、全部、箇条書きしてみてください。
3)そして、そんな怒りが生まれる環境や、関係を嘆いてください。時には、
 他者の悪口になるかもしれませんが、それも、経過課程の1つです。
4)とことん向き合って、考えて、嘆き尽くすと、
 怒りに隠れていた別の側面が見えてきたりします。
5)気づきがあれば、新しい視点で、新しい明日を構築することが、
 可能になっていきます。


私もカウンセリングを受けて、表出の課程をたどりましたが、
2)の場面で、怒っている自分の自己否定も根強くぶり返しましたし、
 こんな細かいことを考えるのはくだらない、と、表出への嫌悪もありました。

逆に、怒りの相手への、怒りが膨張してしまうのでないかという不安も出てきたり、
自分の怒りを、コントロールできなくなるのではないか、
という、気持ちも感じたりもしました。


これ、実は、全部、「抵抗」です。「抵抗という課程」です。
それだけ、自分を強く押さえ込んでいたので、道のりはそんなに簡単でなかったです。

でも、それの「抵抗」を感じて意識することによって、
「制御」を経験して覚えていく課程なんです。
制御できる安全な場所(心理カウンセラーと一緒になど)で行うことが、
助けになります。

 

でも、まだ、やっぱり、私の中で「怒り」の表出には、
まだまだかなりの抵抗があるのを感じます。

できるなら、人を責めたりしたくなし、
できるなら、平和でいたし。


しかし、そうすると、やっぱり、自分が負をため込んでしまうので、
生きるエネルギーを無くして行きます。

結局のところ、
「怒り」だって、存在していいし、
なかったことにはできない感情なのだということです。

そして、適度な「怒り」の気持ちを打ち明けることは、
まわりに、自分を解ってもらう切っ掛けにもなります。
(怒りを感じていることを、伝えることと、
 相手を、攻撃する言動や行為をすることは、別物です。
 区別してください。)

あと、「怒り」を適切に表現出来ない場合の事例として、
共依存関係に陥っている場合があります。
共依存関係とは、共依存の性質のために、世話をする側とされる側のペアで、
上下関係を構築した関係です。
上下関係のために、言えない、言ってはいけない、
言える立場にないという思考になり、
主張ができなくなる機能不全な関係です。

共依存症の症状として
「自己ケアの障害(自分の欲求を適切に伝えられない)」に陥ると、
その場合、押し込められた怒りが蓄積して、
やがて「恨み」という症状行動の元になってしまいます。

そういう意味でも、「怒り」は、適当な段階で、
適切に、向き合っておきたいと思います。

「怒り」の感情に向き合うと、
相手に伝えたくなることがあります。

心理カウンセリング養成講座の先生は、「怒り」を当該関係者に向けると、
受け入れてほしいという、欲求とは裏腹に、
もっと、傷つくことになる、と言ってました。

まぁ、怒りをぶつけて、解ってもらえるなら、
最初から、怒りを抱え込むことにはならなかったと思いますから、
そうかもしれません。

そういう場合に、有効なのが、
「怒り」を「欲求」に、変えて、伝えることです。

「怒り」とは、実は、第一感情でなかったりするという、くせ者です。

たとば、人が「怒り」を感じる時は、多くの場合、
欲求の障害が発生した場面なんです。

たとえば、○○したいけど、上手く行かないとか、邪魔が入ったとか。
あるいは、「言われたくないことを言われた」とか、
これも、自分で向き合いたくないこと、隠している行為の障害ですね。

評価的な言葉に怒るときは、大抵、軽視されたという感覚が伴います、
軽視されたいくないことを、軽視されるのも障害ですね。

「邪魔しないでください」とか、
「バカにしないでください」などの、欲求に変換することもスキルです。

だけど、いざ、相手に向かうと、、
結局、不満だけが連なって、欲求変換にいたらず、
相手の、防衛をあおって、相手の怒りを倍増させてしまう、ことがほとんどです。

私も、いつもそうなってしまいます
(反省、不器用ですみません)・・。

それでも、怒りが出せなかった頃よりは、関係や気持ちが、ましな気がします。

自分に嘘をつくよりは、関係も心も楽です。
(相手の共依存度合いにもありますが・・。)

 

つづき、


軽視されることの怒りについて、
コンプレックスがあることによって、
怒りを抱く場面は倍増します。

この場合は、怒りは第2感情で、根底には、劣等感という感情があります。
その劣等感を作っているのは、
軽視されるさみしさやむなしさという感情だったりします。

「怒り」とは、ちょっと複雑というか、実は仮面的で、
防衛的な要素もある感情なのですね。

真の要素がコンプレックスならば、
比較してしまう外部準拠的な思考から、
自己の価値観(アイデンティティーの確立)に成長することが、
「怒り」を減らす要素になったりします。

こう考えると、怒りっぽい人というのは、
感情と逆に、コンプレックス(劣等感)の固まりだったりしますね。

そう考えると、いつも怒っていて、恐い印象の人の、心の中が、察せますと、
恐怖も半減しますね(笑)。

私は、身内に「怒りん坊」な人がいて、いつも怒っていて、
何でも怒ります。暑いとか、駅に人が多いとか、そんなことまで。

いつも、怒られているうちに、
「私が悪い」という否定的自動思考になってしまっていたのですが、

こうして、後から、いろいろ学んでから考えると、
他人が怒っている原因が、自分のせいと、思うのは良くないなと、思いました。

他人の機嫌は、他人のものなので、案外自分とは、関係ないことがあります。

むしろ、自分が原因と思ってしまうと、
「怒り」の感情が、出せなくなるので、
「あぁ、機嫌がわるいんだなぁ」と距離をとって
察してみることも必要だと、最近わかって来た次第です。

正直、「虫の居所が悪い」なんて言葉もありますし、
ホルモンバランスや、体の状態、心の状態も、影響しますから、
全部が、他者のせいな訳もなく、「怒る」時もあるわけです。

なにより、怒る経験も、怒る権利も、怒る自由も、
感情や情緒の成長に必要不可欠な部分でもあるわけです。

それは、自分にも必要だし、他人にも必要なのだから、
全ての「怒り」を嫌悪しては、情緒や感情の行き止まり、
つまり、生きる原動力が生じない状態が発生してしまいます。

つまり、ここでも、
良い悪いでなくて、バランスということになります。

バランスの取れるところで、
ほどよく表出するスキルも、必要を感じます。

私は、まだまだです(笑)、
劣等感もありますし、
体や、ホルモンバランスや、寝不足など、他の要因も沢山ありますし、
まだまだ、「怒り」に右往左往してしまいます・・未熟者ですみません・・。

どうぞ、お互いの成長のために、遠目でみてください(笑)。
お互い様でお願いします!。

長くなりました。

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最近、東京多摩地方、曇りがおおくて、日照不足でした。
今日は、晴れ、心もたまには、天日干ししようかなぁ・・・(笑)。

では、また。