ココロド_黄月家K's weblog

考えすぎ? ココロド_心理カウンセラー_黄月家Kの 思考いろいろ、心理分析、ものづくり、時々庭、時々日記です。

「ネガティブ」と「ポジティブ」。1月の庭

うちの庭、今年は花が沢山咲いています。
季節がちょっと・・。

これは、1月のホタルブクロ。

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1月のマリーゴールド

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1月のなんだけ、この花?

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1月のキンギョソウ

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1月の日本水仙

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1月のスノードロップ

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1月のスノーポール

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1月のプリムラ

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1月の柑橘。

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昨日、今日は、東京多摩地方、ようやく結構冷え込み
朝は、霜で一面真っ白でした。
しかし、庭は、季節がよくわかりません(笑)。

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さて、今日のお題は、

「ネガティブ」と「ポジティブ」


「ネガティブ」は悪いこと?

そんなふうな風潮を感じるのは、私だけでしょうか?

落ち込むのは、悪いこと?
悩むのは、悪いこと?

むやみに、ポジティブ仮面をかぶることが良いことなのでしょうか?

私自身は、
このweblogを始めたとき、「ネガティブ日記」と題したぐらいですが、
ネガティブにも、良さがあるのでは・・なんて・・思ったり、
そんなことを書いたりしていました。

では、ネガティブとは、いったい何でしょうか?

形容的なネガティブとは、webで調べますと、
否定的なさま。消極的。という意味だそうです。

なるほど。
思考的には否定的で、行動的には消極的、ということですね。

確かに、物事を否定的に捉えると、行動力が落ちて消極的になります。

だけど、「私は本当はすっごくネガティブな人間です」という人の方が、
人の心に残る大作を作ったり、
人の気持ちにヒットする音楽をつくったり、
人のためになる発明をしたりすると、
感じます。

なせでしょう?

私の思うに、
ネガティブな人は、感受性が豊かで、傷つきやすいという特性があり、
それゆえに、落ち込みやすく、落ち込みを重ねると、
否定的で消極的になりやすいとも考えれます。

しかし、厳密には、感受性が豊かで落ち込み易いことは、
ネガティブではありません。
その後の、受け止め方と、行動でネガティブか否かということになるのだとすると、
私の中のネガティブの概念が変わります。

「否定的」という側面について言えば、
本来生まれたばかりの人間は「否定的」ではありません。
赤ちゃんを観るとわかります。
何でも怖がらずに触ったり、なめたり、口にしたり。
何も怖がらずに、人を直視したり。

つまり、「否定的」は、学習の産物と言えます。
つまり、育つ環境によるところが大きいとも言えます。

特に、人間関係上は、親や養育者の、
共依存的な否定的コントロール下で、身につけた思考(思い癖)と言えます。

否定的コントロールとは、
否定的な側面を想像させて、行動や気持ちを制御しようとする行為です。
たとえば、「○○しないと、××になってしまう」などです。

親としては、ありがちです・・
(私も良くそういう言い方をすることがあります。私の母親もその手の人でした。)

なので、否定的なネガティブは、養育者から引き継がれたものということになります。
しかし、それを受け止めて考え、どう行動するかしなかで、
ネガティブ100%なのか否かの分かれ道なのだと、とらえることが出来ます。


では、逆の
ポジティブとはなんでしょう?

肯定的であるさま。積極的なさま。と調べられました。

思考的に肯定的で、行動が積極的ということになります。

確かに、否定的思考より、肯定的思考の方が、心の負荷がなく、楽です。
楽しさも感じやすいと思われます。
消極的より、積極的の方が、発展が有り、進歩しやすく、成長しやすく、
たとえ、失敗があったとしても、
肯定的に捉えることで、次の行動につながり
よりよりものに近づける率も上がるモノかもしれません。

風潮が言うように、
ネガティブは悪く、ポジティブが良いというのも、よく解ります。

 

だけど、私の中で、どうしても、ひっかかるのです。

思慮深いことは、ポジティブ的印象ではありません。
どちらかというと、ネガティブ。
無頓着で脳天気は、ネガティブではありません。
どちらかというと、ポジティブ。

しかし、思慮深いことが悪く、脳天気が良い、ということは、言いがたい。
確かに、心は脳天気の方が楽なのかもしれませんが、
感動的な、人間的な厚み有る成果物は、思慮深い人の方が作れると思うのは私だけでしょうか?

結局のところ、
ネガティブと、ポジティブ、どちらが良いかは、
自分の求めているところがどこなのかによる部分もあるんじゃないでしょうか?
一概に、ネガティブは悪く、ポジティブが良いとは、私は言いにくいです。

結局のところ、
私には、もの凄くネガティブ(思慮深い)な側面と、
もの凄いポジティブな行動力がありますから、
私は、両方の側面を持っていることになります。

おそらく、みなさんの中にも、時と場合によって両方の側面があるのではないでしょうか?

その、時と場合を、読み分ける感覚は、
感受性が豊かな人間の方が、得意なのかもしれません。

だとすると、どちらが良いとするのは、
総合的に考えると、意味のない評価なのではないでしょうか?

私の思うに、
そもそも、人間は矛盾を内包した存在なのですから、
その相対する矛盾を、肯定的に捉えるなら、
是非や、上下や、善悪を決めるのでなく、
その相対する側面の、バランスを見つける方が、賢いのではないでしょうか?

と言うわけで、
多くの皆さんは、ネガティブを否定しますが、
私は、あえて、ネガティブを否定しません。

今日も独り言・・続きます(笑)。

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ほんとに、寒いですね。

みなさま、どうぞ、暖かくしてお過ごしください。