ココロド_黄月家K's weblog

考えすぎ? ココロド_心理カウンセラー_黄月家Kの 思考いろいろ、ものづくり、カウンセリング心理学、時々庭、時々日記です。

「人間関係を見抜く 3つ言葉」新しい距離感

今日のテーマは、「人間関係を見抜く言葉」

 

私は、私。 あなたは、あなた。

そんなふうに、お互いの違いを認めあって、
違う価値観を、認めあえるのは、

対等な関係と、
適切な境界(操作しない、されない距離感)が、必要です。

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他人や、外部の影響を受けすぎているなぁと、思う時は、
少し、物理的な距離をとった方が良い場合がほとんどです。

新型コロナ感染症対策でよく使われる、
「社会的距離(Social distance)」という言葉、

心理学では、パーソナルスペース(personal-space)の3段階目、
影響を受けすぎず、相手と会話ができる距離(1.2 - 2 m)、のことです。


学校や職場が始まっても、
心の距離を、意識することで、
自分を守ることが、可能になります。

人を、見抜こう。人間関係を見抜こう。


私の場合は、子供の頃から人と距離の感覚が遠いので、
1m以上の距離を保つ方が、安心できます。
(ボケキャラですが、感覚が鋭い(HSP)ところがあるための
無意識の自己防衛かもしれません。)


誰でも、自分が不安定な時は、
他人を気にしすぎたり、他人のフォローやお世話が欲しくなったり、
しがちになります。


関係に、嫌な感覚が有るときは、要注意!。


不安定な状況が続く場合は、
他人との距離感が、曖昧な関係

つまり、
私とあなたは、同じ?、どちらが上?、どちらが優位?
あなたは、私の全て・・・、私はあなた? 私は誰? 、悪魔?、神?、
なんて、ところまで、対等性が崩れる時がありますね。


自己の不安定な状況から、自律するためは、
上げたり下げたりするのでなく、されるのでもなく、


自分を対等に扱ってくれる存在を持つことが、
心的安定(心的自律)への、大事な出会いになります。
本来は、友達だったり、心理カウンセラーだったりするのかもしれないけれど、

対等でない構えを持った、社会(学校・職場・家庭)環境を持ってしまうと、
精神の成長的な学びの環境が失われてしまう可能性があります。


影響を受けすぎない距離を取ろう!。
自分を取り戻そう!。


対等な人を、見抜けるようになろう!。


見抜く、コツは、簡単です。
「言葉使い」でわかります。


「ありがとう」
「ごめんなさい」
「お願いします。」

この3つ言葉、

この「3つの言葉」がある世界では、がんばれる。
この「3つの言葉」がない世界では、人は、嫌な気持ちになります。


なぜだと思います?


この「3つの言葉」は、人の価値に関わる言葉だと、私は思います。

つまり、「人の価値」の価値感は、「3つの言葉」で、見抜けるということです。

 

自分を取り戻す方法は、

1)「3つの言葉」を使う人と接する。
2)「3つの言葉」を使わない人と、距離をとる。
3)「3つの言葉」を自分自身が使う。


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人と人の境界のことを、カウンセリング心理学では、
バウンダリー(境界)といいます。

人の価値を、対等に保つための、境界です。


境界を越えるときは、「お願いします。」
報酬として、「ありがとう。」が、大事です。

「お願いします」と、
「ありがとう」は、

人の価値に関わる言葉だから、大事なんだよね。


「お願いします」と、「ありがとう」を言えない人は、
人の価値を、対等に扱っていない人。


自分の価値を知っていれば命令ではなく、「お願いします」といえるでしょう。

「お願いします」は、バウンダリーを超える許可と、
自分の要望を適切に伝える言葉であったりする。

他人の価値を認めているのなら、「ごめんね」ではなく、
「ありがとう」と素直に感謝できるでしょう。


「お願いします」と、
「ありがとう」は、人の内面の価値感の目安でもある。

 

「すみません」は、
「私は違います」という意味です。

「要求にご希望に添えず、すみません」という、「境界」を示す言葉です。
「No」という、意味です。

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がんばり屋、お世話ぐせのあなたへ

 

一生懸命がんばっているのに、

なぜ、私たちは幸せを感じられないのだと思う?

それは、自分が軽視されていると感じるからじゃないかな?
行動ぐせや過去の常識のための、我慢や自己犠牲は報われない。

我慢や自己犠牲は、ある程度は必要だけど、
必要以上にすれば、自分の中に、不満や恨みが生まれる。
自分の中に、不満や恨み、辛さを抱えていると、
人当たりがキツくなる。

自分の中の不満は、過度の我慢や自己犠牲が原因なんだよ。

話し合いに寄らない我慢や自己犠牲は、報酬がないので、
報われない。虚しさだけが、心に残ります。


自分自身を責めるか、我慢を強いた他人を責める結果に結びつく。

 

その我慢の報酬は何?

 

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人間には限界がある。
人は、弱い。

だから、人は協力するように出来ている。
社会は、協力する時に、発展に転じる。


違う者が協力するためには、お互いの違いを、理解することが大事だし、
伝える合うことが大事。

 

誰でも、
子供の頃は未熟だし、成長は矛盾を産み、
矛盾の中で、自分はどう生きるか悩み、
それぞれの自分自身ができあがって来る。


素質も、環境も人それぞれだから、
自分も、他人も、人知れぞれ。

つまり、みんな違うということです。

それでも、みんな
自分をあきらめない限り、
自分の最良の道を選んで、生きている。


頑張って生きている自分も、尊重するし、
頑張って生きている他人も、尊重する


違う者同士を、尊重するということは、
違いを理解して、調整し合うということなのだと思う。

どちらかに合わせるということではないと思います。
上か下かでもない。


違いを理解しあうためには、
「伝える」ことが必要になってくるよね。

言葉選びは、大事になる。


「3つの言葉」で、人が解る。

 

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「強くあれ」という人生脚本の対抗指令(思い込み)、
突き進む価値感が、私の中では存在していると思う。


自分の弱さを認めたら、自己の価値が崩壊するぐらいの価値感だ。


だけどね、
「過ぎたるは及ばざるがごとし」といいます。


「強い」「強くあれ」にも、
良く作用する部分と、悪く作用する部分があります。

良い範囲では良いのだけど、
自己犠牲や我慢は、過剰ということになります。

 

良いの範囲は、「ありがとう」と言われる範囲。
なぜなら、役にたっているとこうこと。

 

悪いの範囲は、「お願いします」が言えない時。
なぜなら、それは「強がり」で、結果的に、「我慢」や「自己犠牲」になってしまうから。


丁度良い「強い」は、年齢や経験や、身体や心の状態でも変わってくる。


もし、変わらない「強さ」の概念をもっているなら、
他人にも「強さ」を強要してしまっている。
あるいは、当たり前の「弱さ」を軽視・攻撃してしまう。
その「強さ」は、本当に、適切な「強さ」なのかな?


自分も、他者も我慢しすぎず、
両立するために、お互いを理解するために、
伝えるを、あきらめないで。


伝わらない時は、距離を取りましょう。
少し、休みましょう。


明日の自分自身を信じて。

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生きて・・

 

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自分が正しいことを証明したいために、
人を傷つけてしまう人へ


一生懸命のあなたはステキです。
がんばって来たことが、ステキです。
変化することは、あなたのがんばりの「否定」でなく、
更なる「成長」です?

こくこくと変わる環境や現状を、たんたんと理解することは、
過去のあなたの努力を「否定」するのでなく、
過去のあなたがあったからこそ、築ける成長です。

現実を理解することは、いささか、痛みも伴うことがありますが、
自分の別の側面を知ることも、自分を変えることも、
とても勇気がいることで、
いろいろ乗り越えて来た、あなただからこそ出来ること。
成長する時のきしみに驚くかもしれないけれど、
自分の成長するチカラを信じましょう。

過去の自分も、未来の自分も、
違う他人と、境界を明確にすることで、
あなた自身を守ることができます。
他人との境界が、共存できる成長するあなた自身のステキさを、引き立てます。

本当にステキな人は、他人を落とさなくても、
輝くのだから。