ココロド_黄月家K's weblog

考えすぎ? ココロド_心理カウンセラー_黄月家Kの 思考いろいろ、ものづくり、カウンセリング心理学、時々庭、時々日記です。

自分喪失、「自分のカケラ」

サボテンの花が咲きました。

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サボテンの花

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目的があって、頑張っていたはずなのに・・・
好きなことをやっているはずなのに・・・

なんだか、むなしい・・

楽しくもなく、悲しくもなく・・
感覚がにぶくなているような・・
何も感じない・・ような・・。

 

「本当の自分」を 何処かに置き忘れていませんか?


・ あ忘れ物、うっかり

・ 遅刻、寝坊、

・ 倦怠感、やる気が出ない

・ 身体が思い通りに動かない


そんなときは、「本当の自分」を忘れないで!のサインです!。


・ 無性に反抗したい

・ 言われた通りしたくない

・ 別のことがしたい自分がいる

こんな時は、速く「本当の自分」に気付いてやって欲しいタイミングです!。

 

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ということで、

今日のお題は「本当に自分」

 

「本当の自分」といっても、

身体も、心も、行動も、どれも、「自分」に違いないので、
「嘘」の自分とか、「偽り」の自分がある訳じゃないです。

内面と、態度が意識的に分離してしまっている場合は、
「嘘」や、「偽り」と感じる自分の一面が、ある場合もありますが、

気づけていることは、素晴らしいです!。


気づく部分があるのなら、偽りの意味付けや割り切り、
あるいは、修復や方向転換の可能になるからです。


大抵の人は、疲れたり、悩みを抱えていると、視野が狭くなり、

自分のいろんな要素、

たとえば、一生懸命な自分、思いやる自分、考える自分、自分の感覚、弱い自分など、
が、偏ってしまっていることに気が付かない事があります。


「自分」と一言でいっても、

人間は、身体と心、思考と感覚、強さと弱さ、
大人っぽさ や 子供っぽさ など、

矛盾を内在しています。


「矛盾」があって当たり前、というのが、「人間っぽさ」であったりします。


ゆえに、人間は、迷いやすく、非合理な部分が多くあります。


だから、「悩んだり」、「考えたり」する経験が、
自分のアイデンティティを育てるわけですが、


現代人は、時間がないらしい。

 

時間をケチるということは、一見、合理性で、建設的のように思えるけれど、

経験や、考えるチカラ、悩みを抱える強さ、
痛みやダメージを癒やす回復の時間や機会をも、
同様にケチってしまうので、

現代人は、自分のことを考えるチカラの経験が少なく、
矛盾に弱く、痛みやダメージに弱く、
自分を癒やす前に、防衛と攻撃の違いすら微妙な場面も、見受けられます。

 

自分の中の、別の自分、
矛盾した自分に気付くことが、第一歩だったりします。

 

矛盾の大抵は、

頭ではわかっているんだけど・・の、理想や、学習している自分

VS

素の自分、自分の状態や感覚や、キモチ

の 板挟みだったりします。

 

それは、理想だったり、合理性だったり、結果・評価思考だったりする要素と、

VS

自分の生っぽさや、人間ぽさの要素だったりします。

 

一生懸命がんばり過ぎているときは、
頭や、思考に偏りがちになりますし、

偏りを通り過ぎると、
思考しても、身体が反対の状態になる・・
みたいな、自分の中が、バラバラの状態になってしまっている
ということになります。


だけど、意識は、思考や理想に偏っているから、
片方の、忘れている自分を認識できなかったりします。
「自分のカケラ」に気が付かないなんて・・思いたくもないから・・
思い込みと無意識が、更に、自分のカケラを 観ないように
柔軟性を欠いた自分の方へ、硬く偏ってしまいがちです。


取り残された「自分のカケラ」は、自分に見捨てられて悲しいね。


何処か、遠くで、さみしさや虚しさが自分を包むのは、

「自分のカケラ」を何処かに置き忘れているからなんですよ。


「本当の自分」とは、忘れがちで、受け入れがたい
矛盾し自分であったり、自分の弱さであることが、多いです。

 


人間は、構造上、矛盾を抱えやすい存在なのです。

弱くていい。
矛盾があっていい。
人間だもの。

ありのまま、ありのまま、
矛盾があるからこそ、方向転換もできる、可能性も広がる。
矛盾があるからこそ、考えられる。
弱さがあるからこそ、学習できる。
考えられる。


自分の中の、矛盾や弱さに気付いたら、

自分の別の部分で、見捨てず、見守り、寄り添い、
時にお世話労れることが、
自分を成長させるコツだったりしします。

 


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どうしたら、自分のカケラを愛せるのか?。

 

自分で、自分のお世話ができるようになる。

そのために、自分の状態に目を向ける。

そのために、まず、「安全な場所、自分が居てもよい場所を確保」する。

自分を壊さなくても、愛されない自分でも、居て良い場所。

それは、時々、ひとりきりになれる場所であるかもしれないし、
想い出の場所であるかもしれないし、
誰も知らない、自分が出せる場所であるかもしれないし、
あるいは、シェルターや 
カウンセリングルームだったりするのかもしれないけれど、

自分の中の、傷ついた自分と一緒に入れる場所、
それが、安全な場所。

 

自分の状態に目を向ける。
自分の中のカケラの声を聴いてみよう。


自分も他人も同じだよ(対等)。


もしも、自分(他人)が 悲しんでいたら、優しくしてあげて。

もしも、自分(他人)が 泣いていたら、そばに居て抱きしめてあげて。

もしも、自分(他人)が 怒っていたら、話を聴いてあげて。

もしも、自分(他人)が 喜んでいたら、喜びを分かち合って。

もしも、自分(他人)が 迷っていたら、待ってあげて。


時間や成果では、得られないものが、
そこにあるから。

幸せや、幸福感は、時間や成果で得られるのは80%まで、
どうしても、足りない20%があるのなら、

それは・・

 

もう一人の、自分の中の
置き去りにされている「自分のカケラ」の存在だったりする。

 

 

自分の中の片割れが、愛されない自分なら、
自分が満たされる感覚は半分になってしまう。

自分の片割れが、本当に愛されたいのは、
自分自身なんだよね・・。


立派だから、愛する、愛されるわけでなく、
条件付の愛なんて・・本当の愛じゃなんだよ。

ただ、存在していることが、
そこに、存在していてくれること、
それ自体が愛なんだよ。


ま、私自身も、自分嫌いの王者で、
「自分のカケラ」を、自分で粉々に砕いてた時期もあったと思います。


それでも、こんな私が、
「自分のカケラ」を・・ま、抱きしめることは、なかなか難しいですが、
寄り添うことは、出来てきたのかなと・・
思うこの頃です。

人には、「本当の自分」大事にしてくださいね! と
言いつつ・・


自分は、まだ時々、忙しさにかまけて、
「自分のカケラ」を、何処かに忘れてしまうことも、まだまだあります。


でも、上手く行かないときは、
意図的に、「自分のカケラ」を探しに行きます。


こんな「カケラ」守ってやれるのは、私しかいないのだから・・(苦笑)。

(ちょっと、ディスりはいってるかも知れない言い方ですみません・・。)
(私も、無条件の愛を知らずに大人になった経緯がそうさせているのだろうと思います。)
(ま、このようなキズや痛んだ私も、私のカケラなのだから、
 痛んだ私も存在していて良いと思うことにします。)


以前、「本当に自分」と出会うことについて、
ワークをした事がありますが、

その時、一人の学生が言ってた・・「ほろ苦い」感じって。


人間って・・複雑やね・・(苦笑)。