ココロド_黄月家K's weblog

考えすぎ? ココロド_心理カウンセラー_黄月家Kの 思考いろいろ、ものづくり、カウンセリング心理学、時々庭、時々日記です。

嫌気、嫌な気持ち、って何が起こっているの?

写真ネタがないので、今年をふり返ります。
夏に、庭の鳥の巣箱から、怪しいカチカチという音が・・
なんと、蜂が巣を作っていました。

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恐かったです。

外して、駆除した時の写真です。

---


今日の、お題は、「嫌気」。

 

人と接する機会に、どんな気持ちなるか?

直接的で無くても、SNSや、
あるいは、群衆の中からも、感じてしまう場合もあるかもせません。


そんな人と接触(コミュニケーション)の後の感覚について、
探っていきたいと思いました。

--

人を感じた後に、
イヤな感覚を感じる場合、

たとえば、
モヤモヤや、
自分の心が痛くなったり、
あるいは、他人に嫌気を感じたいする場合、

心の中で、何が起こっているのかを、
交流分析心理学で解説したいと思います。

 


どこかに「否定」を感じていると、
生きることに、負荷、つまり、
生きづらさを、生成してしまうことになりがちです。


だから、
「否定」の要素を、理解することで、
生きづらさを、変えることが可能になります。


人のコミュニケーションの負荷は、
交流分析心理学の「人生の構え」の理論である程度、解説できます。

人生の構えとは、
「否定  vs 肯定」「OK  or  notOK」
で、関係を考えて行きます。

交流パターンなど、
以前に書いたブログでも書きました、過去のブログは、

 

kizuki-ya-k.hatenablog.com

 

--

1)まず、そのイヤな気持ちを、ごまかさず、
時間をとって、1歩深く、探って行きます。

・モヤモヤか?
・相手がいやなのか?
・自分やいやなのか?
・その他

 

まずは、自分で「気づく」ことが第一歩。

 

--

モヤモヤの場合は、


自分の気持ちに向き合う必要があるかもしれません。

 

無意識的には、
どこかに、違和感があるけれど、
それを明確にすることに、不具合が生じるので、
曖昧にしておきたいのかもしれません。

人は、曖昧なことや、未解決のことほど、引きずる傾向があるので、
モヤモヤを抱えつづけて生活を上澄みしていくことになりがちです。

もし、本当に解決を望むなら、自分が恐れているコトが何か?
自分の心と向き合って、自分なりに理解してみると、
モヤモヤを抱える意味が理解できる分、
モヤモヤの抱える負担が軽減するかもしれません。

人生の構えでいうと、
自分に向き合っていない状態なので、自分 not OK,
他人に向かっていないので、他人 OK.

構えの状態は、
I'm not OK,You are OK.

本当の自分との間に、モヤモヤを積み重ねてしまう傾向があります。

自分の気持ちがよく解らない。
自分を感じない、という感じになる傾向と感じます。


--

心が痛い場合は、「自分がイヤ」を感じている状態です。


たとえば、
「うまく話せなかった。」
「うまく対応できなかった。」
「思っていることが言えなかった・出来なかった。」
「自分はダメ」、「自分が嫌い」。

この場合の構えは、自分 not OK

「否定」が自分に向かっている状態。

自己否定が明確なので、自分で自分をいじめている状態、
自分を保護やメンテナンスができない状態であれば、
もの凄く、つらい状態を、繰り返し、強化してしまう状態にもなりますので、
この場合は、一端、「自己否定」を止めるのが、得策です。


自分を保護してくれる他者がいれば、
I'm not OK,You are OK. ですが、
他者の保護内容や、条件付の関係の場合は、
I'm not OK を更に誘発する可能性もあります。

他人を拒んでいる状態の構えは、
I'm not OK,You are not OK.


まず、自分保護の観点から、、
自分がOKな場所や時間を、得ることが大事だと思います。

部分的にでも良いので、
自分を受け入れる、
自分を許容することが、近道です。
それでいい。それが、自分。
最初は「開き直り」に近い状態からになって大丈夫です。
たとば、「私は上手く話せませんが、それも自分らしい」と。

自分の好きなことや、モノとすごす時間を大事にすることで、
自分へのエネルギーを送ることができます。

もし、廻りの人が、暴言や暴力で、
あなたを否定するのなら、
安全な場所に、非難することが先決です。

自分OKの、時間や場所を、是非。

 

他人からの「否定」について、
ダメージを、必要以上に受けないことも大事です。


---

相手がイヤな場合
たとば、
怒り、むかつく、滑稽だ、うらやましい、など、
他人に対しての不快な気持ちで、
いっぱいになってしまう場合は、


「他人否定」に隠れている要素は、

「比較癖」、「我慢」、など、

根底に「寂しさ」「むなさしさ」「悲しみ」などの、
トラウマが隠れている傾向があります。


他人と「比較」することで、
「自分は、出来ている」、「自分は優れている」と感じることが出来る人
外部に自分の価値をゆだねている外部準拠(共依存)状態で、
自分の価値や意味を、自分で吟味出来る、
「内面の考える力」が未発達な状態に、なりがちな傾向を感じます。

自分の内面を、自分ので評価(誉める)認めることができれば、
他人と比較しなくても、
根底の、寂しさや、虚しさを、埋めることができることに気づくかもしれません。

「我慢」←抑圧
自分が、我慢していること、抑圧していることを、
他人がしていると、過度にイヤな気持ちなります。

たとえば、一生懸命な人にとっては、
人の「甘え」や、「落ち込み」、「楽天指向」、「無責任」などは、
未熟に思えたりするかもしれません。

たとえば、快楽主義の人にとっては、
人の「努力」や、「まじめ」、「きびしさ」などは、
息苦しく、邪魔に、見えるかもしれません。

 


解説としては、

他人否定、
You are not OK. の構え

大抵の場合は、
矛盾が発生した場合に、

自分のOKを、確保するための、構えの場合は、
I'm OK,You are not OK.

 

この構えの場合は、
他人をOKと認めてしまうと、
I'm not OK,You are OK.
に入れ替わるので、自分否定の問題を、
他人に転嫁している要素も含みます。

自分が悪いか、相手が悪いかの、絶対的2分法思考。

他者や、異文化との違いを認めることが出来ていない状態なので、
否定期自動思考で、「認知の歪み」でもあります。


自分OK、他人OK にした場合に、
矛盾が生じるように、感じるかもしれませんが、

人間自体が、矛盾を抱えた存在、だから、ゆえに、
機械と違って、
矛盾を抱えることが、可能なのわけです。

それはステキなことであると同時に、苦みであったりもします。


物事は、善し悪しでない代わりに、
事象に応じた「バランス」という柔軟な強みを可能にします。

自分OK、他人OK
とは、

苦みや、わびさびの理解、に近いものがあると感じます。

「否定」の負荷から、脱することは、
存在する世界は、「否定」より優位でなく、むしろ表層的には同じ。

ただ、「否定」の奥の「肯定」を感じる世界なのかもしれません。
(ちょっと哲学的な言い回しですが・・・。)

--


大学時代の、私の大好きな友人がいつも言っていた言葉

「それも、また 良し」

しばらくマネして使ってました(笑)

I'm OK, You are OK. の構えですよね、この言葉。
よくよく考えると、ステキですね。
--


結果的に、
モヤモヤ、痛みや、嫌悪などの、イヤな気持ちは、
イヤなことにフタ(←抑圧)をするのでは無く、
出来るだけ分解してメンテナンス処理して、

自分を生きれる自分(フラットな自分)に、
戻してあげることが、


建設的に、生きることに、糧になるとは思います。

休息が必要な状態の場合もありますから、
自分自身の状態を、自分で知り、
今の自分にあった、選択(考えや行動)をする、

必要に応じて、考えや行動を、柔軟に切り替えて

ご自分で、選択できてら、未来に繋がると
私は思います。


--
暗闇にも、暗闇の利点があります。

イヤな気持ちがあるときは、
そこにもきっと、未来に繋がるヒントや、サインが隠れています。

だからこそ、
人の身体や心は、「嫌」を感じる機能が備わっているのではないでしょか?

自分自身も、自分の言葉や行動、他人の言葉や行動に、
いろいろ感じてしまいます。
それでも、過度に歪んで感じる必要はないですし、
感じることは、
自分なりに理解して、消化することで、
引きずらす、

前を向ける自分で、いようと、思うわけです。

その方が、自分を活かせる気がするからです。

人より、自分が優れているとは思ってないですし、
それでも、自分が考えたり、思ったりしたことは、
自分の思うコトとして、表現してよいと思いますし。

いつからか、表現の禁止がかかっていることを、
自分に感じたりもします。

それでも、それは、言葉や配慮を気を付ける機会として、
捉えれば、それなりに、トラウマ経験を活かすこともできます。

--

年末になって来ましたね。
今年一年の漢字は、「災」ということだそうですね。

社会全体、つらい思いをされたのだと感じずにはいれません。

 

私個人としての、私個人の1年を表す感じは何ですかね・・
去年は確か変化の「変」だったような・・気がしますが、

今年は、「虹」ですかね。プリズム。

掴めるようで掴めない、観ているようで、それが実態なのか、
形而上の存在といいますか、でも、
雨上がりの・・現実と、それでも、どこか希望的な・・そんな感覚ですかね。

 

みなさんの今年一年はどんな漢字ですかね?

今度、是非、お話し聴かせて下さい。

心がつらい、重い、押しつぶされそう、割れそう、痛い時、「自分を支えるチカラ」

今年も、バターナッツカボチャで・・Halloweenメニュー、
かたちだけですが・・なんとか作りました。

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忙しかったので、今年は、手抜き、よって、ニコちゃんマーク風。

バターナッツカボチャの、過去のweblog

 

kizuki-ya-k.hatenablog.com

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心がつらいとき、
心理学的に、心の中で、何が起こっているかについて、
今日は、書きたいと思います。


今日のテーマは、「自分を支えるチカラ」です。


心がつらい、重い、押しつぶされそう、割れそう、痛い、何も感じない・・・

そんな感覚の時があります。


この状態のとき、心の中で、起こっているのことを、
心理学で説明すると、

実は、「自己否定」が生じています。

 

「自分のことが、嫌い」
自分のことを、責めている、見下している、等々・・。

TA(交流分析)心理学では、この状態を
「I'm not OK の構え」(自己否定、自己嫌悪)といいます。

自己否定の状態が一番、心がつらいです。
自分で、自分の心を責めたり、虐待している状態と言っていいでしょう。


本来、心理カウンセリング理論の根底ある、
「実現傾向」や「自己実現」など、
自分の能力を発揮して成長して意向とする傾向や、
自分を発揮しながら、社会で機能していることを感じながら、
機能する自分を実践していこうとするチカラは、
全ての人間が持っているチカラで、

発揮することは、
「自己肯定感」が大きな役割の要になります。


この「自己肯定感」が、「自分を支えるチカラ」の元となります。


「自己肯定感」は、
身体や精神の発達段階において、
受容され、共感されることで、
等身大の「自己肯定」が育ち、
自分自身の許容ができたり、
自分をある程度肯定できるチカラが育つ訳ですが、

そういった環境でない場合、
特に、その人なりの、自分らしさを否定される環境が、
発達段階や、人格形成期にあった場合は、
「自己肯定感」ではなく、
「自己否定、I'm not OK の構え」を、無意識に持っている方が多いです。

 

自分を責めやすい傾向、想いグセ、考えグセの傾向があります。

 

幼児期や成長期を過ぎても、
一定期間、否定的な攻撃をうける環境にいた場合も、
同様に、「自己否定、I'm not OK の構え」に陥ってしまう傾向があります。

たとえば、職場や学校などのパワハラ、イジメ、上下関係・・etc・・。


もともとは、環境の影響を受けていることもありますが、
「自己否定、I'm not OK の構え」になってしまうと、
自己否定感が強い状態のなので、
必要以上に、他人の影響を更に否定的に受けやすくなります。

「自分を支えるチカラ」がない、無防備な状態。

 

たとえば、

否定的自動思考という、うつの原因になっていると言われている
考え方の偏りのパターンがありますが、

その中の「自己関連づけ」という、パターンがあります。
他人の何気ない偶然的な行為も、自分のせいと、捉えてしまったり、
たとえば、
隣の人が咳払いをした、私のコトが気に入らないのか?
会社で人と目が合わなかった、私は嫌われているのか?
あるいは、1人の人から、否定的なことを言われたことを、
クラス全員が否定的に、自分のことを思っていると、
誇張して捉えてしまったり、などなど、

 

たまたま、その他の人の状態が不調で、
たまたま、違う行動をしたことを
否定的に自分と関連づけて捉えてしまったり、


「自己否定、I'm not OK の構え」の状態は、
心の疲れや、痛みが、雪だるま式に、倍増して行きます。
負のループと言われるパターンです。


「自己否定、I'm not OK の構え」の状態は、

「自分を支えるチカラ」が 弱いと言えます。

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心がつらい、重い、押しつぶされそう、割れそう、痛い、何も感じない・・・

と感じた時は、まず、

 


1)自己否定に気づく

 自分で、自分の心を責めたり、虐待している状態か、振り返りたいです。

 自分に対して、「ダメ、バカ、無能、どうせ私なんか・・など」
 乱暴な言葉、否定的な言葉を使っていないか?

 自分に対して、過大な課題「あれもこれも」を課していないか?

 つらいと感じている自分を、無下に無視していないか?(自分無視)

 これらが、ある場合は、すぐにやめましょう。
 (辛さを、自分で生成してしまっています)

 
 「自分を支えるチカラ」をつぶしてしまう、要因に気づきましょう。

 


2)否定的な自分を休む。
 
 休暇を取りましょう。
 睡眠や食事生活をおろそかにしていませんか?

 休暇の目的は、身体や生活を整えることです。
 
 身体が参っていたり、生活が乱れていると、
 身体や、脳の機能が、チカラを発揮するどころか、
 身体や脳やホルモンの不具合に、振り回されることになります。

 身体や、脳、出来きたら、心も、まず、整えた方が、自分のチカラを発揮できます。

 肝心な時や、ここぞという時に、体調を崩すパターンを持っている方は、
 「健康の禁止」※をご自身の人生シナリオに組み込んでいるかもしれません。
  ※TA交流分析心理学理論の「禁止令」の1つ。繰り返すパターン。

 作業や課題や何かに、追われているような気持ちで、
 休暇することができない状態が、長期に続いている場合は、
 強迫症神経症の傾向かもしれません。
 どこかで、区切れる場合は、大丈夫です。
 メンテナンスも仕事や課題の一つだったりします。

 
 「自分を支えるチカラ」の環境を整えましょう。


3)自分にプチご褒美を

 たとえば、
 「この作業が済んだら、自分にご褒美を」

 些細なことでかまいません。

 自分で決めた課題の、成果に対する、正当な自己肯定です。
 課題は、具体的な内容の行動面の課題の方がよいです。 
(他人や環境に振り回されない、自己肯定の練習)

 「あさ、7時に起きて、10時に寝る」これを週に3回する、
 ご褒美として、土日は、朝寝坊しよう!。

 「遅刻をせずに、学校に行く」
  1週間できたら、休日は、好きに遊ぶ。

 など・・。

 さぁ、自分に、プチご褒美を与える課題を考えてみてください。

 
 「自分を支えるチカラ」を、段階的に、育てて行きましょう。

 

4)自分は自分、人は人。

 自分と他人を比較しないでいられたら、もっと楽になります。

 自分はこれで良い(自己肯定)、他人は他人で良い(他人肯定)
 TA交流分析理論では、I'm OK, You'er OK(自己肯定、他者肯定)の構えのこと

 他人と自分は、得意も不得意も考えも思考も好みも違うのだから、
 違って良いのです。

 私の良いことが、他人にも必ずしも良いというわけではなし、
 私には私の望みがあり、望む理由があるわけで、
 同じように、他人にも他人の望みがあり、望む理由があるわけです。

 

 お互いの尊厳や権利を侵さない限り、
 自分は自分であることを行動して良いのです。
 (日本国憲法でも、人権の尊重、精神の自由、幸福権の追求など、
 しっかりと、法律で補償されているのです。)

 安心してください!。

 自分の幸せを考えることや行動することは、基本的に正当なことです。


 もしも、「自分は幸せになってはいけない」
 「自分の幸せや喜びを得ることに、後ろめたさを感じる」
 「辛さが、美徳」
 というような、気持ちになる人は、

 発達心理学(エリク・H・エリクソン)の
 幼児後期の課題の、積極性 対 罪悪感 の課題の、
 積極性の代わりに、罪悪感を持ってしまっているパターン、かもしれません。

 参考web 

発達心理学 - Wikipedia

 

 あるいは、
 TA交流分析理論の、「成功の禁止」、「欲求の禁止」などの
 禁止令を、パターンとして
 ご自身の人生シナリオに組み込んでいるかもしれません。
 

 参考web

 あなたを苦しめる幼少期の「13の禁止令」 | 人生の99%は思い込み――支配された人生から脱却するための心理学 | ダイヤモンド・オンライン

 

 自分は、自分で良いし、
 自分の出来ることを、活かせる場面や分野を見つける、
 自分の出来ることを、活かすだけで、
 自分は役に立つし、他者とつながるわけですし、
 自分も他人も大事にしていることになるのです。


 「自分を支えるチカラ」を、使いましょう。
 そのうち、「自分を支えるチカラ」が、
 「他人を支えるチカラ」の役割を兼ねてくれる時があります。
  
 他者との関係は、
 エネルギーの売買や、譲渡、奪い合いをしなくても、
 状態が整えば、一緒に、生成出来る訳です。


心の辛さは、自分を否定しないこと、
むしろ、自分らしさを、自分にしかできないことを、
活かす方向で、自分を認める(肯定)ことで、

自分も、自分の周りも、楽にすることができる仕組みです。

今日のテーマに関係する、私の過去のweblogも下記に。

 

kizuki-ya-k.hatenablog.com

 

 

kizuki-ya-k.hatenablog.com

 

 

kizuki-ya-k.hatenablog.com

 

 

kizuki-ya-k.hatenablog.com

 

 
---


またも、weblog久々になってしまいました。
最近は、実家のこともあり、
実家のことについては、大したことは出来ていませんが、
やっぱり、メンタルが割かれる気持ちになります。

そして、心を引き裂いた環境や人々との距離をとりたい自分(自己肯定)と、
その人たちのために大したことが出来ていない自分(自己否定)の、
相対する、不統合な状態が、
少なからず心の根底を濁らせて、自分が醜くみえてしまいます。

私が私のカウンセラーなら、そんな私に、なんと言ってあげるでしょう?

「まずは、自分を保てる状態を確保してから、
出来ることがあると思った時に、出来る範囲で接ししたらいかがですか?」
ですかね。

自分を保てない状態で、人のために何かをしたところで、
自分が更に切り裂かれていくか、自分を見失ってしまうでしょうから。

必ず、や、絶対は、ありませんね。

だからこそ、状態がみえるよう、
自分の感覚に、向き合って行きたいと、思ったりします。

--

寒くなってきましたが、

ときどき、
「自分を支えるチカラ」で、
自分の気持ちを聞いてあげてください。

そして、時々、お話し聴かせてください。

人生脚本、自分を「生きる」ために。

9月は、防災の月でもありますが、

東京都の「自殺対策強化月間」でもありますね。


母の亡くなった翌日、山梨の実家前から望む虹

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 ---

今日のお題は、交流分析心理学の「人生シナリオ(脚本)」です。

交流分析では、「脚本分析」のことです。

 

人は、知らず知らずのうちに、
「こう生きよう」と、既に自分の生き方のプランを持ち、
それを特に大事な場面で、強化して生きていると習性があります。


簡単に言うと、

自分で情報を吟味する能力が発達する前(物心つく前)に、
親や環境の影響を受けて、
無意識的に「このように生きよう」と、
無意識に自分に架してしまっている「人生プラン」のことを言います。


俗な言い方をすれば、
「刷り込み」であったり、
「思い込み」であったり、
昔の物語上でたとえると、
「呪い」に近いものであったりもします。


自分に不利な生き方を選ぶ方、
失敗や自虐を繰り返すクセがある方、
こだわりが強すぎる方、
などは、概ね、人生脚本に、自虐が組み込まれているかもしれません。


自殺も、うつも、人生脚本が多く見られます。


人生脚本は、
ドラマの脚本に似ています。
ドラマでも、展開は、人生脚本の装置(架せや条件)と、
同じ役割が、同じように使われます。


しかし、「人生脚本」は、
脚本に気づき、変えたいという気持ちがあれば、
シナリオを書き換えることも、可能になります。

 

自虐的なシナリオを、変えるために「再決断する」療法もありますし、

書き込んだ時の強いトラウマの記憶を、紐解くことで、
別の視線からの科学的な解釈で、
強い感情を癒やしながら、
望むシナリオに、書き換えることも可能になります。

 
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交流分析の脚本について、もう少し詳しく知りたい方のために、
参考文献と、webサイトを下記に紹介しておきます。

 

心理カウンセラーの種

脚本分析(人生脚本)とは|無意識に繰り返される人生のパターン - 心理カウンセラーの種

 

脚本分析 (Transactional analysis series (5))

脚本分析 (Transactional analysis series (5))

 

 

ビジネス心理学_人生脚本とは

人生脚本とは | ビジネス・心理学用語集:意味・解説など | ビジネス心理学

 

 

 

--

この夏に、母が亡くなりました。
度々、実家に帰り、実家の人間関係に障ると、
ひどく、心が乱れたり、疲労したり、体調を崩したりします。

自分の心の整理も兼ねて、私自身の「人生脚本」を振り返りたいと思います。

 
母は老衰。徐々に弱っていたので、突然のことでもなく。

母が亡くなり、喪主の父のサポートをするために、
距離のある実家に、行ったり来たりしました。

いろいろ考えました。

 


一説には、人は「親を選んでくる」といいますが、
私にはその意味がわかりません。

 


私はなぜ、あの母の子に生まれたのか?

逆に、「子は親を選べない」ともいいます。
私には、その言葉の方が納得できます。

出来ることなら、親なんて居ない方が良いとさえ思い続けた日があります。
そう言うと、私の事情を聴きもしないで、
私のことを、「悪い子とか、ダメな子とか、不良」とか言うのでしょう。

 

今は、そういう人々が、自動思考が染みついた
歪んだ人々と、解釈できます。

 

何も知らないのに、
親が正しくて、子どもが悪いという、
親子の上下関係が固定化した
絶対的二分法思考(決めつけ)の自動思考(思い込み)が、
未だに、根強いと感じます。

自動思考(思い込み)で歪んだ人間ほど、
人の話や事情や言葉を聴かない(苦笑)。
思考しないから客観的で対等で平等な目線を持たないのが
認知の歪み(否定的自動思考)の特徴です。
考えないから、創造力がなく、決めつけが得意な思考です。


みなさん、そろって一方的に言います。
「あなたが立派になったのは、母のおかげ、母に感謝しなさい。」
その言葉を聴く度に、吐き気がし身体の節々が痛くなり、呼吸するのがやっとです。

 
--

今回感じたいのは、
私の知っている母と、他人の知っている母は違うのだという事実です。

参列くださった、他人は、母は面倒見が良い優しい人だったと言いましたが、
私の記憶には、怒り狂った鬼か妖怪か?という顔の記憶しか残っていません。

率直に母が亡くなったことは、私にとって、
「あぁ、もうあの人に傷つけられることはなくなる」という、平坦な気持ちでした。
私の平坦な気持ちを、非難する人も居るでしょうけど、

心理カウンセラーとして、この言葉を聴くと、「どうして?」と、
事情を聴きたくなります。
心を観る人と、心を観ない人の違いなのでしょうか?

 

誰だって、親に愛されたいし、
親に可愛がってほしいですから、
親におべっか使うことすら、覚えます。

 

しかし、そうして、本当の自分と、否定的な親に好かれたい私の、
二つが分離してしまうと、病理になりなります。

そうして、母のもう一人の子ども(私とは縁の遠い兄弟)も、
統合できない自分を抱え、病理になって行きました。

病理に至らなくても、人格の同一性が無い状態では、
依存か、共依存か、いずれにしても、自律は難しくなります。


依然、答えの見つからない疑問、
「私はなぜ、母の子どもに産まれたのか?」


私が「物心ついたとき」から、
「私はなぜ生まれたのか?」という疑問がありました。

後に、大学で哲学を学び、実存主義「人の存在」を研究する発端になった
疑問だったと思います。


幸せな人は、自分がなぜ生まれれたかなど、考えないですよね。
「自分を疑う」、根底が、「物心つた時」からあったことになります。


「私はなぜ生まれたのか?」
の答えは、未だに分かりませんが、
生まれて良かったとか、思えないから、
生んでくれてありがとうと思うこともありません。

依然、なぜ、「私を産んだのか?」
私の否定をつづけ、私が居るために、母の苦労が増すと言う、
「お前のために、苦労している」という母、

なおのこと、なぜ、「私を産んだのか?」
私に知識が増えるほど、疑問の強さが増します。


私は愛された記憶はありません。
学費などは、出して頂きましたが、
幼い頃は抱っこされた記憶も、
手を繋いだ記憶も残っていません。
あったのか、なかったのか。

両親は忙しく、私はいつも一人でした、


小学生頃は、犬と夕方の空や夜の星を眺めて毎日を過ごしました。
ご飯はテレビと共に。
私は居なくてもよい存在でした。

私の家は、家業があり、両親の仕事場で、
私にとっては家ではありませんでした。

私の居場所はありませんでした。

私の友達は、風と、水と、山と、空。
夜の月と星。

家に帰るより、夕暮れや夜の空を見ている方が、心が楽だった。


私が忙しい母を気遣って、「何か手伝おうか?」と、
幼いなりに、声をかけたら、
むしろ、
母は忙しい時に、子どもの私を見ているとむかつくらしく
「お前の顔を見ているとムカムカする、あっちへ行け」と、
言い捨てました。

私は存在してはいけない存在でした。

これ、交流分析的心理学の、人生脚本でいう、
禁止令の一つ、
「存在の禁止」がかかる状況です。
「存在してはいけない」という、
親の未熟さから発せられた言葉を、
物心ついていない幼心には、命令のように潜在意識に組み込まれます。
そして、この禁止令が、無意識に、自分の人生に作用して行きます。


私の中の「存在の禁止」は、かなり、ガッツリ強かった。

私は物心ついた時から、「死のう」「私は死ぬ」と思っていました。
子どもの頃から、17才になったら、死ななければ、とも思っていたし、
私は、必要ない人間で、死んだ方が良いと、子どもの頃からずっと
なんとなく思っていました。

大人になってからも、
「死」を意識して生きました。
「死」の近い危険な深い海の仕事を選んだり、
「死」が近づくまで、自分を駆使して、過労を続けました。
まるで、「死」に急いでいるように。


人生脚本を紐解いて行くと、
もっと、いろいろ出来てきます。

私が生まれて、嫉妬した10才年上の訳あり兄弟が、
私に言い続けた言葉は
「お前なんて死んじまえ!、お前なんて死んじまえ!」
あげく、私が初めて覚えた言葉が
「お前なんて死んじまえ!」だったとか、
後に聴かされた。

家の人は、その兄弟を哀れんで、放置。

虐待は、それを放置する人の存在で、強化されるもの。
兄弟の行為を放任した家族。
母の言動を放置する家族、美化するた親類。
家族という、闇。


母は常に私に言っていた。
「そんな子は、要らない。」
「お前は、橋の下から拾ってきた。」
「お前は、ダメな子」

私が、小学校から帰っても、
「おかえり」の言葉もない。
私は、いつも存在していないのと同じ。
母や兄弟のためにも、存在しては、いけなかった。
ずっとそう感じて来た。

母の気持ちに添わない時は、
目上に逆らうな、という母のルールを忠実に守る無抵抗の私を
母は、乱暴にたたきつけ、
私の髪をつかんでコンクリートの床を引きずった。
翌日、私は唇腫らして中学に登校した。
友達に、お前んち変だな、と言われたけど、
その時は、私は、変の意味が分からなかった。
そんな、変な家だった。

結局大人になっても、

私は、母に好かれたいがために、
優秀でありたいと思い、
優秀を示す職業について、知識を沢山つけた。
だから、母のご機嫌取りのために、
実家の仕事を継ぎたくはなくなった。


私が結婚した後、

母は言った、
「あ~あ、結婚するなんて・・大学行かせて損した。」
と、私の幸福を望まず、私自身の気持ちを知ろうともしなかった。
性別の偏見も、強かった。

そもそも、跡取りの私が、女だったことで・・・
たくさんの、職業や結婚など、
差別的な言い方を、沢山された。

ということで、
私には、「性別の禁止」(禁止令)もかかっている。

私が、幼い頃から、男勝りであったり、
現在も中性的なのは、性別の禁止の、影響は否めない。

生徒会のやって、大学も卒業して、
教員免許も取って、就職もして、結婚もして、
親の描く良い子は叶えたと思うが、
私のどこが「ダメな子」なのか?
と 突き詰めると、親の私への偏った欲求を感じざるを得なかった。


母は、いつも、私にはヒステリーで、
結局、母の意に沿わない私に、
自分の目が黒いうちは、家に帰ってくるな!、出て行け!
二度と返ってくるな!!。と、
私を、追放した。
それが、私と母の、関係の最後です。

最初から、
私は、橋の下で拾われた訳で、
私は、親は居ない訳で、

ただ、私が18才まで育った、環境から、
排除されたこと、
返る故郷がなくなったことで、
私が思うより、心がダメージを受けたようで、
母が繰り返した「お前はダメ」という、メッセージを
無意識に入ってしまっていたのもあり、

その出来事の後、私は、
18才以前の、楽しい事が思い出せないという、
部分的な記憶障害になり、
実家の友達や知人のとの縁も遠くなる。
私の18才以前の人生が、暗黒に書き換わった、
という、いわゆる、「ウツ」に陥った。
18年ほど前のことだった。

「ウツ」に陥った2年間、
私は「死」ばかり、追った。

まんまと、私の人生脚本に組み込まれている、
「存在の禁止」という、禁止令に導かれ、
「死」を望む、時期が、あった。


私の「人生脚本」を、更に、紐解くと

私の、禁止令への「対抗指令」は、「頭が良い」こと、だった。
「対抗指令」とは、禁止令をかいくぐる、条件として働く。
導き手でもあり、「ドライバー」でもある。

母は、常に私を「ダメ」と言い続けたが、
学生時代、私はIQが高かったという話を先生から聴かされて、
心が救われたこと、
その先生が、私を認めてくれたこと、
そんな経験が、「頭が良い」がドライバーになっているのかもしれない。

(私なりの「頭が良い」が、成績の概念でなかったことは救いでした。)

そして、私は、
母の意に沿わず、私なりの「頭の良い」道を選び、
沢山のことを学び、ウツも克服し、生き続けるて来た。
ことになる。

ただ、「ドライバー」はドライバーで、
強すぎる場合、負荷もあるので、
一概に、良いだけのものでも、ないのですが・・。

私が「ウツ抜け」した時、思ったのは、
自分のが生きているのは、「奇跡」だと、
それほど、自分が「死」に呑み込まれていた時期があった。
18年経つ今は、忘れてつつある痛みもあるけど、
確かに、そう思った、時があった。
人は、生きるために忘れてしまうことも・・あるね。
不思議だか。
生きていけないぐらい・・強い出来事や環境も・・
人生のうちに、起こったりすることもあるね。


---

・禁止令、
・対抗指令、の他にも、
・結末(否定的な結果のイメージ)
・誘発刺激(否定的な結末を挑発する働き、悪魔のささやき)
・行動範例(親の行動モデル見本)
・脚本衝動(脚本からの脱却を壊す衝動)
などなど、他の脚本装置があります。

たとえば、

「人は早死にする」「自分は病気になる」
「自分は不幸になる」などと、言う人は、

「人生脚本」に、そういう否定的な要素が組み込まれている
ということになります。

紐解いていくと、原因が解り、その脚本を実行する必要性が、
本当にあるのか?、
今の視点と、現在の感覚や知識で、
再検討すれば、良いのです。

必要なら、新たな、
「心地よい人生脚本」に書き換えればば良いのです(笑)。

 

自分自身が、自分自身のために、選ぶ人生のために。

---

私自身の話、

私は感性豊かで、音楽やものづくりが好きで、

母は、それが嫌いで、
私のやることなすこと、否定しました。
「「哲学」「芸術」気違いのやること」
そう言い放たれた私は、それでも
「哲学」も「芸術」も選んだ私は、
いつも、自分は狂ってしまうのではないか、と、
どこかで思っていたりした。
これも、
母の言葉でかかった、「結末」だったと、解ると、
私は、狂わない、と、自分の脚本を決めることで、
私の維持できる範囲での活動で、自分らしい自信を持つことが出来た。

--

人は人の中で生きて、
だからこそ、

多かれ少なかれ、人の影響を受ける。

それが、もし、不必要で、不自由な、否定的な未来なら、

脚本を見直して見るのも、一つの手だということを、
今回は、ここに記したいです。

--

そして、


今回一連のことで、
子どもの頃からの疑問の答えを、
今回、自分に出した気がしました。

あぁ、私は、家を出て良かった。

あのまま、あの家にいたら、
間違いなく、(脚本を実行して)「死」を選んでいた。


あぁ、私は、親に排除されたのでなく、
私は、親の描いた人生を捨てて、
自分の人生を、選んだのだ。


私は、家を出て良かった。

 


家族の優しさは結局得られなかったけれど、
家の居たとて、家族の優しさはなかったと、
やっと解った。

子どもに犠牲を強いる、そんな風潮は、
あそこには、今でも顕在だと感じた。

 

何より、母自身も、母の「人生脚本」に囚われていた人なのだと思う。
彼女自身、家族や姉妹から、幼さをバカにされ、
否定的な扱いを受けていたことを、母を知る度の中で知った、時があった。

---

そして、
私がかぜ、あの母の子に、生まれたのか?


その疑問の答えは、
私が、自分で自分の人生を生きる、今のため、じゃなかろうか?。

その、知識と知恵と、チカラと心意気を、
私は手に入れたのではなかろうか?

私は、今、「本当の私と共に生きている」

--

不統合とか、
統合失調とか、

あっちの世界に行ってしまった感覚、

あっちの世界とは、
「本当の自分が不在の世界」なのだ、と
今回感じました。

いろいろな研究を見ると、
否定的な圧迫が、発症の原因になることが見えてきます。

 

「自分を、空け渡してはいけない」・・と、
苦しい時に聴いたamazarashiさんの歌詞が、頭の中に流れます。


--

前回のweblogから、随分間だが空きました。
とにかく、忙しかったです。

徹夜続きになってしまったり、ようやく、
夏休みかと思った矢先に、母の訃報。
お盆前日の夜に亡くなり、お寺や葬儀が都合が付かず、
葬儀まで1週間かかり、いろいろバタバタと、大変な日々が続いておりました。

徹夜や多忙が続きますと、やはり、
脳も心も体も疲れます。
実感します。

人間ですから。
身体も心も、お互いに作用しますね。

--


災害も多く、
大変な方も、おられると思います。
その唐突で、理不尽な痛み、どうお声をお掛けしたら良いか・・。


-- 

 

 

 

 

 

「私になる!」_自己実現。

あっという間に、5月になりましたねぇ。

白いちご、育ててみました。

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なかなか、おいしいです。
赤いイチゴは、赤くなったら鳥に先に食べられてしまうのですが、
白イチゴは、今のところ鳥に食べられることはなく、
収穫できるのが、とっても嬉しいです!。
味も、なかなか、ステキです!。

こんな品種でした。四季咲きってことは、更に楽しみ。

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赤いイチゴも、もう24年ほど育てております。

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みかんの花が咲いています。香りが良いのです。私は好きです。

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大輪のクレマチス、以前母の日に貰いました。毎年、その季節に咲きます!。
今年は少し早いか?

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---

weblog久々になってしまいました。

多忙でした。
昨年いろいろ試みましたこともあり、
いろいろな道が広がりました。

しかし自分の時間やキャパは有限で、
自分は、どう生きたいのか?を考える機会でもありました。

私自身は、活動することによって自分の存在を認知したいタイプ
いわば、仕事依存の傾向があります。
思うままに突き進むと、心身が限界越えしてしまう、経験を何度かしております。
ゆえに、やりたいことは、やりたいけど、
生気や体力を維持できるだけの、メンテナンスも必要性、
自らセルフケアすることが大事なことも、
心理カウンセラーや、メンタルヘルス指導員として、知っております。

ですので、
多忙だったといえ、それなりに、コーピングや息抜きは、
心がけて来ましたので、それなりです。大丈夫。

---

さて、今日のお題は、「自己実現

 

自己実現とは、心理学的には、
ユングの考えが元になておりますが、

多くの心理学者、哲学者、芸術家、同じように考えています。

 

自己実現」とは、
自分らしさを活かして、社会に調和している状態といいますが、
つまりは、
自分らしさとは、自分自身そのものの意味で、
「自分を実現する」という意味になります。

 

「自分になる」とでもいいましょうか。

 

私は私であるけれど、
元から私であったわけでなく、多くの影響を受けて今の私が存在します。
そして、今も影響を受けながら生きている。
常に、一つの私であることは、むずかしく、
いやむしろ、一つの面に限定されてしまうと、歪みが生じるゆえに、
人の身体は個体でありながら、人は流動的な存在でもあり、
毎日、変化していくものでもあり、
しかし、それでいて、ある一定性というますか、
特性といいますか、
そのようなものが、私を私づけているものであったりします。

人からみた私らしさもあれば、
自分の中に、理想もあれば、理想とは逆の許容に時間のかかる私もいます。
そして、自分の気づいていない自分もあります、
可能性や潜在的なものを含みます。

 

人は、考えや気持ちや身体などがあり、
葛藤や不統合を起こしやすい性質の生物です。

ゆえに、常に、悩んだり、迷ったりしながら、
小さな選択を重ねて成長していると言っていいでしょう。

そして、過去が今に繋がってきたように、
今日が明日に、今が先に影響していきます。
変わって行くことが出来るわけです。

つまり、人は、未確実な不確かな未来だからこそ、
今に意味が生じると言えます。

 

「今をどう生きるか?」

 

つまり、「自分はどう成りたいのか?」と同じ意味があるというわけです。

そしてまた、自己が確定のものでない現実、
自己にも、過去、今、未来、未知があり、不確実で不確かで、
だからこそ、可能性があるともいえる、自己。

どこに向かっていくのかは、
自己を創ることと同じ。

私の時間とキャパは有限。
何でもチャレンジしたいし、何でも知りたい。
けれど、私は有限。
私は、今をどう生き、どこに向かうのか?

もう、平均寿命の折り返し地点を越えていた。

過去に実行を望んだことも含め、
どうしたいのか?を再構築していく必要がある訳ですね。

そして私は思う、
「私らしく居られる、時間、仕事、関係を大事にしよう」と。
私が私であるために、私が私の全てを発揮して世界と繋がっていけるために、

私は私になるために、生まれてきたのだと、
私は私になるために、これまでの痛みと出会ってきたのだと、
私は他の誰でもない、私になるために、
私は、私らしさを活かして、必要とされ、
私の足りないところは、誰かに助けていただき、
感謝しなながら、生きいける、
そんなふうに、私らしく有りながら、
他者に感謝できる、そんな私であれる場所を好もう。

私は、つくることが好きで、
私は、強くないけど、不思議がある。
私は、考えることが好きで、
私は、型破りで、
私は、発想が自由
私は、人が好きで、
私は、助け合うことが好きで、
私は、繋ぐことが好き
私は、ハイセンシティブでありながら、ボケている。
私は、心を描くことが出来きる。

そんな私でいられることやものや、関係を大事にしよう。

心ちぎれても、消え残った意味は、きっとそこにある。

 

今、そんな気持ちが、心の底に流れております。

---

どうぞ、ご自分を感じる時間を、
自分づくりのために。

自分メンテナンスの時間は、
自分の「心に栄養」になりますよ。

みなさんの、自分らしさ談、お逢いしたときに、是非聴かせてください!!。

「トラウマ」の何が、何?

うちの庭のクロッカス、今年も咲いてくれました。キレイです。

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スノードロップも、寒さに負けず、

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クリスマスローズも、寒空に、大輪です。

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 変わりなく、咲いてくれること、
特にお世話してないのにもかかわらず・・・
ありがとう!。勝手に、癒やされます。

 昨年はこんな感じでした↓。

kizuki-ya-k.hatenablog.com

 ----

今日のお題は「トラウマ」

 

「トラウマ」の何が何って・・

「トラウマ」とは、心的外傷、つまり、心のキズのことです。

 

トラウマの何が厄介かと言うと、
トラウマ(傷ついた経験)によって、禁止令(幼児決断)や、
否定的自動思考(認知の歪み)を生み出し、

その後の思考や気持ちや行動に、制限をかけてしまうことだと、
感じます。

 

禁止令についてのweb上の情報はいくつか見つけました。ご参照ください。

脚本分析(人生脚本)とは|無意識に繰り返される人生のパターン - 心理カウンセラーの種

「~~するな」という思い込み 禁止令について | カウンセリング 大阪の心理オフィスステラ

TA再決断療法とは?

否定的自動思考 認知の歪みについてのweb

認知の歪みの定義10パターン ~ 思考のマチガイを見つけるツール | Fernwelt

認知行動療法で自分の考え方のクセを知ると、心がラクになった - 30代女性が過労でうつ病になってから復職するまでの記録

 

 

人間が、実現傾向に応じて、
「自分らしさ」を認知し、受け止め、
「自分らしさ」を活かしながら成長しつづけるという、
本来の人間の傾向を、制限・抑制してしまうのは、
この、トラウマによる「自分らしさ」の抑制である場合が多いです。

「自分らしさ」を抑制すると、ストレスが生じるという構図から、
トラウマを抱え続け、自らに制限や抑制をしていると、
ストレスが増すという仕組みです。

「自分らしさ」とは、自己の得意不得意や、好み、快不快、性格・思考傾向や、潜在的なものや、成長段階や、先天的なモノ、後天的なもの、身体的なもの、内部的なもの、
いろんなものを含んでいるその人の特性、「あるがままの今の自分」です。

自分の価値観にとって、
肯定的な内容もあれば、
否定的な内容もあるかもしれません。


たとえば、
私の今の、「自分らしさ」で思うと、
やっぱり、「創ること」が好き、「自由」が好き、冒険好き、ドラマテレビ好き、理論好き、外面より内面好き、太陽よりも月が好き、歳や性別、体つき、体力、経験値、など・・
これが自分、と思う訳ですが、
この「自分らしさ」を、抑制することは、結構ストレスです。

たとえば、私にとってストレスフルな状況は、
拘束的な場面、ルーチン的な作業、外面だけの世界、
という感じです。

必要に応じて、一過的にストレスフルな状況に関わることもします、
しかし、成果も結果もないストレスフルな状況が継続するのは、
やっぱり、ストレスフル!フル!です。

 

「自分らしさ」を制限し続けると、おそらく、
心身症や病理に近づく傾向となることが多いです。

だから、
出来るだけ、自分の好きな方(心地よい方)を選ぶ、ように、
自分にあうものやことを選ぶように、
生活していくことが、「自分らしさ」を活かして成長する
選択の目安になるという訳です。

 

その、「自分らしさ」の抑制になってしまう、
トラウマで生じた、思い込み(禁止令や、認知の歪み)は、
恐怖心が、拭えない状態では、繰り返し、強化されてしまう傾向もあります。

 

歳を重ねていくと、頑固で頭が硬くなるという、傾向もありますが、
それは、禁止令や認知の歪みなどの、経験を
繰り返し、強化した状態のようにも感じます。

TC(交流分析エゴグラムでいう、
CP(Critical Paren)の高い状態と言えます。

「生きやすく」なるためには、その「自分らしさ」の制限になっている、
「否定的な思い込み」を、外していくことが、的確ですが、
恐怖心や防衛心がある状態ではなかなか、
「否定的な思い込み」に気づくことすら難しいのが、現状です。


人の、好き、苦手も、実は結構、自分の選択肢を左右します。

おそらく、人は人によって成長し、人によって傷つくからだと私は思います。

 

私の場合は、
人のコトを苦手と思うと、世界が狭まりそうなので、
「苦手」と思わないようにしようと、ムリに、自分に言い聞かせてきたのですが、
やっぱり「苦手」には、理由がありました。

トラウマが生じるパターンの人間関係を、
私の無意識は、既に、「苦手」と感じていたのです。

「苦手」なパターンに当てはまる場合は、
十中八句トラウマを強化するタイプの人間関係の場合です。


カウンセリング心理学の、
「近づかない」「距離を取る」という対応も役に立ちます。

--
私の中でのことですが、

以前、コミュニティーでご一緒した人の言葉の意味が、
今も解らず、時々、頭をよぎることがあります。
その言葉の意味が知りたいので、
自分の感覚とは、逆だった、あの人の言葉を確かめるために、
「苦手」に近づく、ということを、
しばらく繰り返していた自分に気が付きました。

しかし、やっぱり、「苦手」に近づいても、
結果は、毎回、後味の悪さだけが重なります。

 

やっと、自分なり答えがでました。

 

あの人の言葉の意味は、理解出来ないままだけど、
あの人の言葉を、いつまでも気にしている(囚われている)自分に気づきました。

結果的に、あの人が、あの時、どう思ったかは、
あの人の問題で、私の課題ではなかったのではないかと・・。

必要以上に、自分との関わりを感じていた
(自己関連づけ=認知の歪み)のかもしれないと

 

あの人が、たまたまあの時、私とは違うことを思った言葉は、
私にはそんなに大事な意味がなかったのかもしれいと。

 

そう思うと、

私の中で、あの人を、過大視(気にしすぎ)していたのかもしれないと。


そう思うと、
もう、その言葉に囚われる必要性のなく、
自分の感覚を信じれば、良いのだと、思えるようになります。

 

そう思うと、
私は自分の選択に、自信がなかったから、
あの人の言葉の意味を探りたかったのではないかと思えて来ます。

 

さぁ、
自分に自信を持って・・「自分らしさ」を自分で選んで進もう!
と、今日、改めて私は思いました。

 

トラウマってほどの出来事ではなかったけれど・。
あの頃の私からの、卒業なのかもしれません。

---

「防衛」は、必要な時は必要。

人間だもの。


心のキズが、小さくなるなら、防衛の時間も大事、意味がある。

継続し続けると、逆効果ですけどね。

---

寒い冬も、緩んできますかね?

どうぞ、みなさん、自分と会話する時間を大切に!。

 

不可解なことの、自己分析 「防衛機制」

あっというまに2月も中旬

冬は空がキレイですね。
うちから見える、夕暮れの空、
何気に、富士山見えます。

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これは、月食の、月、red moonです。

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 --
前回のweblogが、12/9でした。
月一で書こうと思っているのですが、
今回は、ちょっとムリでした。

それでも、なんとか、忙しいなりにいろいろこなしていたつもりでしたが、
大事な、心理学COの昇格試験が、不合格という結果に。

 

昨年は受かっていたので、
勉強もそれなりにしましたし、
受かると思っていたのですが、

回りの方も、私自身も、信じられない結果になり、
今の状況を解析すると、

「むむ・・私の無意識がなんかやらかした?」って感じです。


人は内面は、意識が1割、無意識が9割と言われています。

意識とは、違う事態が発生したとき、
たとば、ミスが連発するとか、
忘れ物が多くなる、
うっかり寝坊する、
何となく身体が不調、

そういう時は、無意識の仕業のことが多いです。

確かに、多忙ではありましたが、
多忙だからこそ
体調管理、睡眠管理の意識、食事の意識、コーピング、など、
気を付けていました。

だからこそ、何で? と思いますし、

だからこぞ、無意識の仕業と感じるわけです。

まぁ、自分以外の要素もありました、
天候不順や、他者のスケジュールの都合など、

そう考えると、「運」や「シンクロ」的な要素もあるのかも、とも思いますが、
これも、今のところ、私の中で意味付けが出来ませんので、客観的に解析不能です。

単純に、私の意識が思っているよりも、私の身体が疲れているのだろうと思います。
確かに、肩こりや、口の中の痛みや、胃痛など、思い当たる節はあります。

 

身体の疲れを、感じていないということは、
カウンセリング心理学では、
ホメオスターシス(生命維持機能)が機能していない状態」
という見立てですかね。
あるいは、「自己洞察が充分にできていない状態」とも言えます。

感覚が鈍っている状態ということです。
つまり、身体感覚と、意識がズレている
あるいは、身体感覚を無意識に無視している状態でもあります。

理想としては、
身体と心と思考の感覚が繋がれば、
問題にむけて、自ら調整が可能になります。

そのためには、
まず、心と体と意識を休ませる。

しかしながら、

休めない状態だからこそ、この状態になる訳ですし、
自分では、最小限ですけど、休んでいるつもりも、あったります。

が、身体と意識がずれているいうことは、
自分が疲れている状況に、気づいていないという理屈にもなります。

---

さて、無意識の自分は、いったい何がしたいのでしょうか?

---

 

前置きが長かったですが、
今日のお題は、「防衛機制

無意識と言えば、「防衛機制」ですかね?。


人の不快な行動は、大抵、「防衛機制」からなっている。
と、私は、感じます。

防衛機制」についてのwebでの解説例

 

防衛機制 - Wikipedia

防衛機制の一覧と例文 | カウンセラーWEB:心理学・カウンセリングの基礎知識

防衛機制 - 脳科学辞典 


意識しがたい不安や不快に対して、「防衛」的に生じる無意識的な働き、

ということにになります。

人の防衛機制は、防衛機制の知識持って、洞察すれば、ある程度は解りますが、
自分の防衛機制は、なかなか、意識しずらいところがあります。


なので、逆に、

理解出来ない状況や、意味不明の事態、など、
防衛機制という無意識君の、影と、捉えることができます。

思ってたのと違う、という時も、
逆に、クセになってしまっている時もあります。
でも、他人からみたら、意味不明。

さて、私の無意識くんは、今回どんな防衛をしたのでしょう?

可能性があるとしたら、
「抑圧」 : 不快な認知、感情、思考、記憶を記憶から忘れさせる
→疲れていることを、忘れさせていたのかもしれません。

「否認」 : 認めてしまうと不安になるので認めない。
→疲れていること、忙しいことを、認めてしまうと、スケジュール調整が大変なので、認めなかった可能もあります。

「隔離」 : 感情部分の切り離し、感情の麻痺
→疲れていることを感情として、認知していなかった。

「合理化」 : 本当の動機を自覚せず、理論で処理
→天候や、他の人の都合が関わって、うまくいかなかった

「反動形成」 : 反対の行動や傾向を表す
→忙しいから、勉強出来なかったと認めなく無いので、勉強した風の言動・行動?。

みたいな感じですかね?

ま、自問自答は、時間が経たないと客観的な答えに至らないために、
今のところ、推測の範囲をでませんが・・。

と、こうして、自分の自己の防衛機制のせいにしようとしていること事態、
すでに、防衛機制「隔離」や、「合理化」の要素も感じます(笑)


んん・・今日も、現状、迷宮入りな自己です(苦笑)

 

結局のところ、防衛機制があるということは、

防衛したい、「不安」や「不快」があるということでもあります。

自分の弱さを認めざるを得ませんね。

 

結局、弱さを認めることを、防衛していたのかもしれません。

実は、結構凹んでいます(涙)

--

では、また、どこかで!。

 

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http://jtc-web.jp/news/shosai.php?id=220

「傷つきやすい人、怒りっぽい人」

あっという間に12月ですね。

先日、空の真上に、虹が・・ なんか、イイことありそう!

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うちの庭のモミジも、鮮やかになりました。

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--

今日のお題は、
「傷つきやすい人、怒りっぽい人」

 

一見、正反対のように思えますが、
実は、要因に共通点があります。

それは、

劣等感(コンプレックス)

 

自己受容出来ていない劣等感(コンプレックス)は、
心の状態として、I'm not OK の状態です。

解りやすく言うと、

「自己嫌悪感」が根底にあります。

 

心理カウンセリングで「自己嫌悪」がうかがえる状態を、
「実現傾向が発揮されてない状態」と見立てます。

「実現傾向」とは、
カール・ロジャーズの理論で、
「人は、自分の持っている潜在的な能力や、自分らしさを発揮して、
建設的な方向へ向かおう(成長しよう)とする傾向」を持っているという内容です。

私なりに解説すると、
本来、人は、自分の能力を発揮して、成長するチカラを持っている。

そして、その自分の能力を活かして成長するチカラを発揮する条件は、
自分が「本来の自分」で居られる状態、ということです。

逆に、自分の能力を活かせない状況というのは、
「本来の自分」で居られない状態、
つまり、本来の自分の要素を、否定的に偏って捉えている場合です。


人は、身体や、考えや、気持ちや、行動など、様々な要素の複合体で、
想いの外、矛盾を抱えやすい構造になっています。

例)
「頭とカラダは別」← 身体反応と、考えの、矛盾や不統合な状態のこと
「キモ可愛」← 思考と 嗜好(気持ち?) の不一致や矛盾
ツンデレ」← 行動・態度や気持ちの不一致
「建て前」← 思考や行動と、気持ちの矛盾や不一致
「忖度」← 共依存的思考(思い込み)や行動と、気持ちや実際の法律などの矛盾など

自分の中で、矛盾や葛藤や不一致の状態があるとき、
その矛盾した状態の、あるがままの自分を受容できる状態の場合は、

たとえば、
人間は矛盾がある生き物、こんな時もあるさ。
今回はやむ得ないところは残るが、次に活かそう。
納得いかないところはあるけど、今の裁量では、これがベストだった。

などなど、自分で自分を納得できたら、
次回に向けて、経験を活かして、裁量の幅も広がるし、
他者の苦しい気持ちや、苦い経験も理解出来る、人間の深みにもなり、
更なる成長へ繋がる可能性も高まります。


しかし、
自分の中の矛盾を自己受容できていないときに、
あるいは、思考がパターン化(否定的自動思考)して、偏っている場合に、
自分の中の、片方の自分の側面を、「自己嫌悪」するI'm not OK の状態になります。
(「I'm not OK」とは、交流分析心理学の用語で「人生の構えの理論」)


I'm not OKの状況は、
自分で自分を抑圧する、あるいは、
自分で自分を酷使する、あるいは、
自分で自分をいじめるといいますか、自分を大事にしないといいますか、
「本来の自分」を傷つける方向に作用します。

つまり、
自己ケアが出来ない、
自己内部でエネルギーを消耗する、
という状態になり、成長どころでない状態が、自己内部で発生しています。
そういう状態では、
他人と交流するエネルギーすら維持できなくなり、
更に内向的になったり、ひきこもたりしてしまうと、
自力でもエネルギーの確保が難しく、
外部からのエネルギーも届きにくくなるという、
悪循環にも・・。


「傷つきやすい人」は、
このI'm not OKの状態で、
ただでさえ、自己内のエネルギー量が少なくなっている状態で、
更に、自分を責めるタイプと、考えられます。
自分に自信がないので、他者の言葉に必要以上に過敏に反応してしまう
外部準拠の思考サイクルと言えます。


「怒りぽい人」は、
I'm not OKの状態で、
弱い方の自分(自分の一部)を切り捨てることで、
心を強くしようとムリをしているタイプと考えられます。
心理学用語でいうと、
防衛機制がはたらいているタイプ。
たとえば、
抑圧(弱い自分を拒絶する)
否認(弱い自分できない自分を認めない)、
隔離(弱さの感情を麻痺)、
置き換え(否の対象をすり替える)
合理化(他者を批判して正当化する))、
打ち消し(反対のことをしてなかったことにする)
反動形成(正反対の態度や行動)
などの無意識的に防衛機制が働いている状態と考えられます。

自分を維持する(守る)ために、
事実や他者を否定する態度や思考を持つ
外部準拠のサイクルと言えます。


どちらも、本人も周囲も辛い状態が、あると思います。


では、どうしたら良いかと考えますと、
1)まず、自分の「I'm not OK」の状態に気づく(自覚する)。

これ一番大事です。
人は、実現傾向を持っていますし、
生命維持機能の感覚が戻ってくれば、
バランスを維持しようとする生理的機能(=ホメオスターシス)も機能します。
いわゆる自己治癒力。
人は、本来なら充分な機能や能力が備わっているのですから。


もし、その先を、
私が心理カウンセラーとしてファシリテートするとすれば、

2)自分がどうしたいのか、自分の欲求や希望を探る(「I'm OK」の方向を探る)。
3)自分の内面や自分のカラダの状況など、自分の別の側面を知る。
4)2と3の調整点を、ひとつづつ、少しづつ試して、「I'm OK」を増やしていく。

という感じでしょうか。
(実際はケースバイケースですが・・。)

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今回、
「傷つきやすい人」、「怒りぽい人」を、
お題にしたかった背景には、

そういう人多いなぁと、社会事情に感じるからでした。

たとえば、
あおり運転、ネットリンチ、過度な批判、
心が表現できにくい風潮、言いたいことを言えない人々、
裏アカウント

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「I'm not OK」の構えの背景には、「You'er not OK」の構えの存在があります。
2つの構えが相乗して、増えているようにも感じます。

交流分析心理学だと解りやすいのですが、

クリティカルCritical Parent(厳格・支配的)な性質傾向は、
「You'er not OK」の構えとして発せられる傾向がり、
「I'm not OK」の構え(=Adapted Child 順応・自己抑制した性格傾向)を
誘発する交流傾向があります。

つまり、

「You'er not OK(批判的)」の人に近くに、
「I'm not OK」の人間が増える。
という構図です。

 

状態を変えるなら、
「You'er OK」(=あなたはあなたで良い)で交流を始めると、
「I'm OK」(=私は私でいて良い)が、増えて、

「I'm OK」が生まれて、
自分の内部で自信(自己への信頼)を少しづつ積み重ねるることできると、
他人を批判したり、自分を抑圧したり、交流を閉鎖しなくても、、
自分を維持できるようになります。

 
理論上は、こんな感じですが、
実際には、行ったり来たりを繰り返して
少しづつ・・変化を受け入れる過程の時間経過が必要なので、
「You'er OK」で受容的な見守り役が、
そばにいるといいのかなぁと・・
思ったりします。

他人のことを「あなたはあなたで良い(You'er OK)」と
思えない場合は、
自分自身が、共依存(外部準拠)に陥っている可能性があります。
自分自身の確立ができていれば、
他人をコントロールする必要もなくなり、
他人が、どうであれ、自分は自分、他人は他人と、
それぞれの人生の課題を分けて考えることができます。

「You'er OK」の人が、身内や先生だといいのですが、
そこがクリティカルCriticalな場合は逆効果なので、、
心理療法や、心理カウンセラーが
お役にたてる場面というか、時代なのかぁと思ったりもします。

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私の方は、と、申しますと、
しばらく取り憑かれていた(笑)I'm not OK の感覚が、
ようやく、取れてきました。

手順は、自分の欲求を、とにかくあきらめず伝えて、
回りを囲っていた「You'er OK」の壁を、
少しずつ・・変えてゆきました。
私にとっては、ベルリンの壁さながらでしたが・・。

まずは、自分らしさを活かしたい・・と、願います。

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今回は、アートの体験がない方でも、楽しんで参加出来るよう
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交流分析心理学を応用した、アートワークです。
作ったアクセサリートップは、お持ち帰りいただけます。

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季節は、寒くなって来ました。
こんどは、自分の心を温めて、みませんか?