ココロド_黄月家K's weblog

考えすぎ? ココロド_心理カウンセラー_黄月家Kの 思考いろいろ、ものづくり、カウンセリング心理学、時々庭、時々日記です。

「いじめ」初期、夏スイカ

うちの庭も夏、スイカが採れました!。

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随分前の話ですが、GWに、国立の親子の陶芸体験に行ってつくりました。

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木のような、一輪挿しのつもり花瓶、(2輪ぐらいは立ちそう、高さ5cm位)

白いの方は、鉢カバー(小さめ)。

子どもの作品は、

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心に優しい作品に感じました。

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今日のテーマは、「排他」つまり、「いじめ」初期

今回は、小学生、中高学年の、グループ化と「排他」衝動にいて、
考えてみました。

 

小学生も、中高学年になると、
なかよしグループをつくったり、
グループに固執したりする傾向が多く見受けられます
そのグループ化による弊害について考察してみます。

エリック・バーン交流分析心理学的では、
7才~11才は10才前後は、比較が分類が出来るようになり、
理論な伝え方が出来る年頃で、この時期に取り込んだ理論は、
人格形成上の、理論的な思考や判断のもととなる
性格を作る基礎的な理論を構築する年齢になります。

たとえばこの時期の、成功体験は成果理論として、
また、弱肉強食や排他的優越などの歪みを理論的に取り込むと、
以後の人生でそれを応用していく人格となる傾向があります。

また、エリク・H・エリクソンによる発達心理学によれば、
6才~12才頃は、生産性(勤勉性) 対 劣等感が課題の時期。

この二つの理論から考察すると、
比較や分類ができる能力を理論的に活かして、
生産性(成果を得る感覚?)を感じられる生活(家庭や学校)や体験を
得ることがが望ましいことになります。
歪みの中で、活動に対応した成果を得れない(感じられない)場合には、
以後の心理性で劣等感が心の軸になってしまう傾向と考えられます。

これからのことから、
知識や頭脳、能力の発達にしたがって、
他者との違いや、個性を、
適切に、客観的に、平等に、偏見に偏らない関係が築かれなかった場合に、
以後の生活の中で、自分を肯定するために、他者否定をする必要が生じ
排他やいじめの傾向を持つことになるのだろうと、考えることができます。


現状の小学・中高学年の子ども達(近頃は大人も)をみていると、
比較や分類できることが、排他に繋がる傾向も感じます。
排他は、他を落とすことで、自分の優越感を得る方法、
劣等感の裏返しです。
実は、自己肯定感が低く、
他者を落とすことで自分の価値を上げるという仕組みです。

その背景には、子ども達が、子どもであることを、
子ども自身であることを、
尊重されていない環境などの現状があるのかもしれません。

他者に認められる基準が、
「自分であること」の他に存在する外部基準が
主体になってしまっているということです。

排他を肯定する理論になる、基準は、
外部準拠(共依存)となり、自ずと自らを縛る結果になり、
生きづらさの基になります。


方向性としては、
比較、分類が出来ことを、
客観的に理論で応用して、生産性に繋げるこことが、叶う環境づくりが、
排他の不快をなくしていく方向性だと感じます。

具体的には、比較分類の対象となる、個性を、生産性に繋げる、
「個性を活かす」「違いを活かす」という方向と考えます。

つまり、「適材適所」の原理の応用で、生産性に繋げる仕組みとなります。

自分が自分らしさを活かして、他人に受け入れられる体験を積み、
また、自分に出来ないことを、他の人の力をお借りて、
劣等感を持たずに、素直に感謝できる仕組みのことです。


自分と他人は、違う。

違う故に、助け合いができる。

助け合いの繋がりのある仕組みです。

 

では、実際、どうしたら良いのだろうか?と、
カウンセリング心理学の理論を応用して考えてみました。

大人になってからの、心の問題の多くは、
子どもの頃に、身についてしまった、
歪んだ「考えグセ・思い込み」の応用(否定的自動思考)が原因となります、
これを心理学用語で「認知の歪み」といいます。


人格形成期の中では、「歪み」のない、
平等で対等な応答や、営み、関係の確保が望ましいことになりますが、
現実は、社会も家庭も学校も、「歪み」が存在します。

「歪み」を抱えた大人達の歪んだ世界が、
子どもの歪みの背景にあることは言うまでもありません。

しかし、不必要なダメージを受けないために、
また、「歪み」を他人に押しつけないために、

1)「歪み」だと理解していることが大事です。
「歪み」とは不平等で偏った考え方や思い込みのことで、
自分に対しても、他人に対しても、関係に苦痛をもたらします。


「歪み」の原因は、「ディスカウント」です。
軽視や見下しによる否定的な感覚を受けた、心の傷(トラウマ)によるものです。
排他も、他者コントロールも、暴力も、無視も、ディスカウントにあたります。
言葉だけでなく、態度もです。
本来、人は年齢や立場や性別、貧富に関わらず、人である尊厳は平等です。
人は人です。

そのことから考えると

みんなが幸せな未来を創るためには、
軽視や見下しという、
2)不平等で心が傷つく、発言や行動をすることは、
「悪意」だということを、認識することが大事と感じました。


3)同時に、個性や違いは、可能性をはらんでいるステキものという認識も、必要になります。

4)その上で、自分を活かす(実現傾向の発揮)ために、
自分を知り、他人を理解しましょう。

5)必要であれば、お互いを尊重出来る方向で調整を試みましょう。

と、私は、カウンセリング心理学理論を踏まえて考えました。


実際に、自分を活かすためには、
本当の自分のコトを知り、伝える必要があり、
他人の話を聴くためには、劣等感を持たない「自己の確立」が必要になり、
調整をするためには、「柔軟な思考」が必要になります。


私も親ですし、
私にも、子供の頃があり、
分類、比較の時期に、痛みの経験もあります。
どこまで、自分や、まわりが、歪みのない世界を実践できているかは・・
相手があることだけに、難しい部分もありますが、
少なくとも、知識があれば、
軽視や見下し、無視などにより、受ける心のダメージを軽減できます。

そして、不快を感じた時は、
「不快」な状況であることを、
相手や周囲や支援者や環境にしっかり伝え返してあげることも、
連鎖を食い止める方法となります。


また、長くなりました。
読んでくださって、ありがとうございます!!。


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東京多摩地方、曇りや雨の多い日が続いています。

私の方は、やっぱり、なかなか時間の調達が、まだ上手くできませんが、
それなりに、できることを・・やっていこうと・・思う次第です。

みなさま、今の自分を感じることができるような夏を
お過ごしくださいね。

 

化石発掘。 「本音」トーク。

こんちは、6月になりました。
私も、歳を重ねました(笑)。

この化石は、木の葉化石センターさんから、
購入した化石が入っているかも原石を、割って発掘体験したもの

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木の葉の化石、こんなに!!。

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次の化石は、化石は、神流町恐竜センターの化石発掘体験で
発掘した二枚貝や、巻き貝の化石。

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発掘できると、うれしいです!。
いずれも、春のことでした。

そして、今は、今年も、庭にゆりが咲いています!。

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短い期間ですが、花が大きいので、迫力あって、
庭がパッとして、印象的にキレイに感じます!。

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今日のお題は「本音」

「本音」で話できる関係のことを、
カウンセリング心理学では、
真実の交流(ふれあい)「親交」、
または「親密性」という言葉が使われます。

人間関係において、本音で話せる交流は、
I'm OK. You'er OK.の関係
つまり、「あなたはあなたであって良いし、私は私であって良い」、という
自律的な対等な存在感がベースになります。

「親交」は、
質の高い存在認知(=心の栄養、交流分析心理学用語)となり、
心が潤います。
また、
実現傾向(自分らしさや潜在意識を発揮していこうとする傾向)の基になったり、
自分のことを話すことによって、
自己への新たな気づきの機会になったり、
自分の気持ちが整理できたりします。

また、相手の話を聴くことによって、
相手や自己への新たな気づきの機会になります。

もちろん、心地よい気持ちばかりではないです。
思いもよらぬ本音は、時々ショックだったりもします。
それでも、嘘や、裏面よりも、信頼できるのは事実、
あなたは、それでOKだし、私がどう思ってもOKということです。
時々、わかり合えないままの場合もありますが、
「わかり合えないところがある」という距離感を、
持つことも必要になります。

お互いに尊重できる関係がそこにはあります。

なぜ、それを許容できるかというと、
基本的信頼がベースにあるからだと思います。

自分とは、違う考えや行動や反応であっても、
その人自身は、その人なりに、自分に誠実だと思える。
という感覚だと思います。


逆に、
「本音」で話せない、「親交」が築けない、という状況は、

大抵の場合は、
自分自身のアイデンティティーの確立がなされていない場合、
つまり、外部準拠な判断に、自分をゆだねている状態、
または、共依存症(人に依存している状態)の傾向がある方は、
自分の価値の基準の確立が、外部や他者によるので、
人との違いを許容できない傾向があります。

受けたショックを、他人と自分の境界が曖昧なために、
自己への否定的評価として受け止める傾向もあり、
また、自分を労ることを、他者に依存するために、
傷つき、労りを求め、更に、傷つくという、
悪循環ループになってしまうことがあります。

なので、「本音」の話ができる「親交」は、
お互いの、自律性が必要になります。

自律性が未成熟傾向の方にとっては、
「本音」は、不安な交流となり、
「本音」や「親交」を避ける傾向があります。

共依存症の5つの障害に「親密性からの逃走」という障害があります。

外部準拠や共依存傾向がある場合は、
外部から自尊心を得るために、上下の関係を必要とするために、
「対等」で、「本音」を聴けないし、言えない、傾向があります。

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カウンセリング心理学の基本概念で、
カール・ロジャーズの、「実現傾向」の理論があります。

「人が持っている潜在的な能力や自分らしさを発揮していこうとする傾向」のことで、
信頼のある環境の中では、誰でも、自分の能力を最大限に発揮して、
環境と調和して自己を実現(自分を発揮して自分を役立てるようとする成長力)を発揮する傾向がある、
という理論です。

つまり、信頼されて自己を発揮出来ることが自己成長につながることなります。

「信頼」と、「期待」は、区別して下さい。

「信頼」は、範囲は限定的であることもありますが、無条件であるに対して、
「期待」は、条件として作用し、他者コントロールとなってしまうものです。

「信頼」は、自律的であるのに対し、「期待」は、外部準拠的な使用要素です。

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「本音」で話ができない環境でいると、
自分のことを感じたり、気づく機会が減り、
自分自身がよく解らなくなることも、あります。

また、他者や外界との、
自己(自分)に対しての、認識のズレ生じ、
本来の自分とは違うことを、望まれたりして、
疎外感などを感じたり、
本来の自分の否定感に感じたり、
生きづらさにつながる傾向も発生します。


このような場合は、
カウンセリング心理学では、
ジョハリの窓」の理論を応用して、
自己開示をすることで、
他者や外界と、自分自身のイメージのズレを修正していくことで、
自分が自分らしくあれる環境を作れることを
オススメすることもあります。

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つまり、「本音」で話すことは、
他者を、軽視、侮辱しない限り、
「本音」で話す関係は、
精神の成長においても、心理的成長にとっても、
人間関係においても、
生活環境としても望ましい、こと、になります。

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しかし、現実の今の日本社会は、
「本音」で、話づらい、と感じているのは、
私だけでしょうか?

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現実、自己開示すると、
情報を利用しようとする人もいるし、
広範囲に広まれば、悪意のある方もいる。
自分と他者の違いが受け入れられず傷ついたり、
本音を、非難、侮辱する人も多い。

「本音」を話しづらい世の中・・

そして、「本音」の関係を経験できず、
信頼を経験できず、
自己の実現を発揮しづらく、
本来の自分ではない、仮面をかぶって生きる・・
生きづらさの、悪循環ループ。

を、感じているのは、私だけでしょうか?
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情報を利用しようとする人、
悪意のある人、
傷つきやすい人
本音を、非難、侮辱する人、


などなどの方が、何らかの心傷をお持ちで、
何かを回避するために、
それらの「認知の歪み」を持ってしまったのかもしれませんが、
こして、「本音」で話しづらい世の中と、解釈していること自体、
悲観的にとらえる私の「認知の歪み」があるのかもしれません。

私の「認知の歪み」か、「客観的な洞察」なのかの境目を吟味するには、
やはり、他者のフィードバックも必要となりますが、
気を使いあってか・・
他者のフィードバック(本音)も受けにくい世の中・・

と、思うのは私だけでしょうか?。

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とにもかくにも、

私としては、
できる限り、「本音」で、
自己や、人と接して行こうと
思っている次第です。

自分や、自分に関係する他者の成長を想って、
信頼出来る関係を、実践して行こうと、
思う次第です。

ただ、やはり、闇雲に「本音」では、
リスクもあるので、
信頼が必要な相手かどうかを、
範囲の境界として見極める必要もありそうですが・・。


「本音」で話せる「対等な関係」が、1つでもあると、
自分の成長、他人の成長に、つながります。

是非、記憶の端っこに。

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最近は、自分的には、やはり、時間の使い方が課題でした。
心的に体力的にも自己調整すると、
タスク的にやりきれないことが発生したり、
自分の自己調整機能が、家族の生活に関連していたり・・
結局、生活や優先事項自体を調整する必要性を感じて、
ここ3日ほど、「30分早く寝る」に、挑戦中。

自分にあったバランスはどこなか?・・模索中です。

この手の話、自己調整は心理学的には良い方向なので、
心配のご連絡いただいたりして、びっくりでした。

まったく、大丈夫です(笑)。

 

また、自己を出せば、
自己のイヤな面(自己嫌悪)も感じたり、
反省の苦みを感じながら、
「私は、大したことないなぁ」と、
大したことない自分も、本当の自分なんだなぁと
自己受容する訳ですが、
自己受容すると、
不思議と、大したことない他人(笑)も、
理解出来たり許容できたりするという・・

この過程が、

I'm OK. you'er OK. (自己肯定、他者肯定)に行く過程で、
なぜが、一度、I'm not OK (自己否定)になるのか、の、謎の行程を

経過しているのだろうなぁ・・と
感じたりもしつつ、

苦みも、味も噛みしめながら、
歳を重ねている今の私です(苦笑)。

本当に、大したことない私でスミマセン・・。

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どうぞ、それぞれの自分を感じつつ、
それぞれの6月を!。

またいづれ、どこかで
あなたの「大したことない」お話し聴かせてくださいね。

人生の構え「I am OK, You are OK.」TA理論

もう5月。

月に1度は、weblogを書こうと思っていましたが、
今月は、いろいろ重なって時間のやりくりが大変で、
久々に、脳みそが、茶ガラ状態のような感じを久々に感じました。
以前よりは、睡眠など、自分の生態機能を確保できるようにはなりましたので、
休めば、回復できる感じではあります。
ある程度、自己調整機能が使えていると思うと、
自分の変化もまぁまぁだと思えます。

今回は、余裕がなく、初の写真はなしパターンになりそうです。

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前回「自分ファースト」は、自律のためという内容のweblogを書きましたが、
「ファースト」は、目的が自律にあるから、成立するのであって、
他罰傾向のある場合の「ファースト」は、困ったなぁと
最近の情勢を観て、追記で感じおります。

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今日のお題は、
「I am OK, You are OK.」

 「交流分析」という心理学の、「人生態度、人生の構え」という理論です。
「人生の構え」とは、自分が他者にどのような結論を下しているか、
という思考パターンで、4つのパターンがあります。、
それは、人生に対する基本的な態度であり、人生の立場でもあり、
人は、その自分の「基本的な構え(態度)」を、
生涯にわたって、立証(確かめ)しようとする(立証を繰り返す)、
という理論です。

 

人生態度のパターンは、以下の4つです。

1)「I am OK, You are OK.」
2)「I am not OK, You are OK.」
3)「I am OK, You are not OK.」
4)「I am not OK, You are not OK.」

「OKである」と、
愛されている、価値がある、優れている、賢い、楽しい、役立つ、
成功する、(肯定的)・・etc

「OKでない」と
愛されていない、価値がない、能力がない、劣る、バカ、
安心できない、間違っている、(否定的)・・etc

などの感覚が、自分や他者に対して、あります。

それぞれ、
1)「I am OK, You are OK.」は、協調、共存
2)「I am not OK, You are OK.」は、回避、孤独
3)「I am OK, You are not OK.」は、独善、排他、
4)「I am not OK, You are not OK.」は、拒絶、自閉
という自他の関係の傾向を持ちます。

「人生態度、人生の構え」は、おおよそ7才ぐらいに、
決断すると考えられています。
つまり、自分の思考力で吟味した結果として成立するものでなく、
思考力が発揮される前の人間環境による影響が大きい、
時期の、成立と考えられています。


1)の、「I am OK, You are OK.」の構えの場合は、
自分を受容され、他者との違いに許容ある環境で育まれた傾向があるようです。

2)の、「I am not OK, You are OK.」の構えは、
後悔や、心配、謙そんすると、親か自分を認めてくれると思えた場合が
ベースにある傾向があるようです。

3)の「I am OK, You are not OK.」の構えは、
イライラや、他者を攻撃、かんしゃくを起こすと、
親が自分の存在を認めてくれた体験がベースになる傾向があるようです。

4)の、「I am not OK, You are not OK.」の構えは、
見捨てられ感や人間尊重の扱いを感じなかった環境や体験が
ベースになる傾向があるようです。

「構え」や「態度」に「気づいて」、
自らの在り方を変えていくことも、可能です。
その場合は、おおむね、4)3)2)1)の順で変わって行く傾向があるようです。


「I am OK, You are OK.」の構えは、お互いに尊重し合うことが出来るので、
人間関係が楽になり、生きづらさを解消できます。
それ以外は、何らかの否定を常に抱えているために、
なんらかの生きづらさを持つ傾向がうかがえます。

交流分析(TA)理論の、構造分析(自我状態)からすると、
CP(Critical Parent きびしさ)の高さは、You are not OKの構えと関係が深く、
NP(Nurturing Parent 優しさ)の高さは、You are OKの構えとの関係が深く、
FC(Free Child 率直さ)の高さは、I am OK の構えとの関係が深く、
AC(Adapted Child 順応)の高さは、I am not OK の構えとの関係が深いようです。

交流分析心理学を詳しく知りたい方のために、
参考的なwebページをいくつかピックアックしておきます。

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はじめての交流分析・エゴグラムを詳しく解説

交流分析 - Wikipedia

交流分析とは?エゴグラムから人生脚本まで分かりやすく解説 | カウンセラーWEB:心理学・カウンセリングの基礎知識

TA交流分析


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私の場合は、
結構、変化している感じがします。

5年ほど前、いろいろイヤな思いが沢山重なってしまったときからしばらくは、
4)「I am not OK, You are not OK.」で、自閉傾向にあったと思いますし、
カウンセリング心理学や、交流分析を学んだ今は、
FC(Free Child 率直さ)とAC(Adapted Child 順応)の高さが入れ替わって、
3)の「I am OK, You are not OK.」に変化していると感じます。
あとは、NP(Nurturing Parent 優しさ)が今よりもちょっとわずかに高くなれば、
「You are OK.」に反転する状況です。


元々は、どんな構えだったかと振り返ると、
私の母親は、私に謙そんや服従を求めましたので、
傾向的は、「I am not OK, You are not OK.」が内在するリスクは高いと考えますが、
実際の環境は、親の仕事の関係で、ほぼ放任状態でもあったので、
FC(Free Child 率直さ)も高く、
生徒会や部長など、まとめ役なども頻繁にしていたので、
NP(Nurturing Parent 優しさ)も高かった傾向もあり、
結婚前は、友達も人付き合いも多かった経緯から、
「I am not OK, You are not OK.」になったのは、
友達も人付き合いが変化した頃、と、自己解釈出来ます。

一般的に、
I am not OK が、I am OK に、変化する過程で、
これまで出来なかった自己主張をする際に、
You are not OK、つまり、他者否定の行程を通過する過程が必要になります。
ので、経過点としての、You are not OK、も存在するので、
You are not OK、だって、大事な時期があります。

ただ、それが、固定してしまうと、
やっぱり、生きづらさが伴う事実は否めません。

いじめや他者批判などは、You are not OK の構えの典型のように思えます。
そう考えると、些細なことが敵視される、最近の息のつまりそうな、日本社会は、
You are not OK の構えの人が多いなぁ、
という印象も受けます。
という指摘すら、私のYou are not OK の構えから来る感覚なのかもしれませんが・・。

You are not OK、の根底は、
CP(Critical Parent きびしさ)の高さがあるために、
CPの傾向として、きびしさや、厳格さ、規律的、と同時に、
批判・批評強く、支配的な要素も強くあるため、
常に、怒りを抱える傾向も、あります。

常に怒りを抱えている状態は、心理的にも、脳科学的にも、生態的にも、
負荷のある性格傾向で、
人間関係(交流)的にも、ストレスが高い状態と言えます。

なんとか、自他を尊重できれば、楽になるのになぁ・・と
自他共に、思う今日この頃です。


優しさの不足、感じているのは私だけでしょうか?
優しくされたいし、優しくしたい、そう思うのは、私だけでしょうか?

 

ちょっと、お疲れでそんな風に思ってしまうのかなぁ?・・私。

あぁ、優しくされたいですね・・
みなさんは、いかがですか?。

インナーチャイルドファシリテータ的には、
自分自身を優しくいたわってあげて下さい・・
という、くくりになるところですが・・。

 

「自分ファースト」の真意。アスファルト土筆。

あっという間に、3月も終わり、もう春ですねぇ。

硬いアスファルトを、割って出てきたつくし、
なんか、すごいなぁ・・って、思います。

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家の中の胡蝶蘭も、咲き始めました。

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私の方は、状況は悪くないはずなのですが、
心がバタバタで、あせりを感じたり、
そういう時は、いろいろ空回りしたり(苦笑)。
落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせたこの頃の、最近でした。
もっと、春を感じる余裕をつくれば、いいのでしょうけど・・
自分のことは・・なんとやら・・ですね(笑)。

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4月から、心理カウンセリング分野を広げていこうと思いまして、
このweblogでも、タイトルや解説に、心理カウンセラーを追記しました。

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今日のお題は、「自分ファースト」

 

最近、政治などでは、小池東京都知事の「都民ファースト」とか、
トランプ米国大統領の「アメリカ・ファースト」なんて言葉がよく聴かれます。
そのファーストという考え方、カウンセリング心理学的に読み砕いてみます。


「人のコトで悩むのではなく、自分はどうすかを考える。」


これが、カウンセリング心理学的に考える、
「自分ファースト」の中味です。

この言葉に、不安や抵抗を持つ方は、
他人より、自分のことを優先させるとなると、
自己中心的で、ワガママで、無秩序な状態になってしまうような気持ち、
なりますか?


「人のコトで悩むのではなく、自分はどうすかを考える。」

という言葉の真意は、自分のアイデンティティーを確立する。
つまり、「自律」という意図があります。

「自律」は、自己中やワガママや無秩序とは正反対の
「良く吟味する」、「客観的に考えること」が必要になり、
そして、選択や行動の「責任」を自分で負うことなので、
決して、子ども返りを意味することではありません。

 

「人のコトで悩む」ことは、他人の分野のことをあれこれ考えて操作を試みる状態、
つまり、外部準拠の共依存傾向が根底にあります。
あとえば、アドラー心理学で言うところの、
他者のことは、基本的には「他者の課題」で、他者が決めること。
というわけです。

「人のことで悩む」方の大多数は、
自分のことを決める判断基準が、自分の外にあるために、
「人のことで悩み」、外部に自分をあわせて、
失敗すると、自分の選択の責任を、
他者に押しつける、という、
外部準拠の共依存傾向のパターンが、隠れています。

 

だから、
他人がどうであれ、他人に対しても、
理解しつつ、どう対応するか、
自分の考え方を吟味して、「自分がどうするかを考えて」、
自分の考えと行動に責任を持つ、ことが大事ということです。

つまり、責任が自分にあるのだから、
状況を理解しながら、
よく考えて、慎重に行動するという、
自律した行動ができるようになります。


東京都も、アメリカも、自分も、
他者をコントロールせずに、
他者を理解しながらも、
自分のことを考えていける、自律を、
実現できたらいいなぁと思います。


「過去と他人は変えられない」という交流分析の言葉があります。


他人を変えようとしないで、
自分の人生をどう生きていくのかを考えると、
「自分の生き方」が見えてきます。

自分の行動や考えに責任をもつことがその一歩です。
つまり、これが、「自分ファースト」。

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他人の不快に自分が被害を受けていると思うときは、
不快な気持ちと理由と要望を適切に伝えて、
自分の自分に対する責任を果たしましょう。
伝えたあと問題を解決しないのは誰なのか責任がはっきりします。

「して欲しい」、「してくれない」気持ちは「お願いします」、
心が勇気づけられたときは「ありがとう」、
違っていることに気づいたら「ごめんなさい」、
の気持ちを伝えて、自分と他人の関係を区切ると、
ずっと続く気持ちにもキリがつけられます。

私は私、他人は他人だと解ってくると、伝える必要性も感じます。

 人のために生きるのでなはく、自分を生きながら他者につながる領域が大事です。

 「不快な関係」には距離を置く、必要性も感じます。

「不快な」状態の中にいると、
どんどん「嫌な自分」になって行きます。
怒りや嫉妬や劣等感や恨みやねたみや束縛感、嫌な感情、
嫌な気持ちにきづいたら、
関係から距離をおけるような自分になることが大事です。

 距離をつくれない「さみしい自分」に気づいたら、
気づいた勇気ある自分は「ステキ」です。とってもステキです!。
優しくしたり、褒めたりしてあげたいです。

自分に気づける人はステキですばらしいです。

そして「さみしい自分」に向き合ってあげて下さい。
実はそのさみしさは、
過去の「本当の自分」の気持ちを、
気づいてもらえなかった寂しさだとわかるかもしれません。

「さみしい」と言えずに「なんでもないや」と言った、
「愛して」といえずに「嫌い」といった、
本当の自分に嘘をついて、本当の自分を置き去りにした、
置き去りにされた「本当の自分」の寂しさだと解るかもしれません。

「本当の自分」をひとりにぼっちにしているのは、
自分自身だと。

今できることは、本当の自分の「さみしさ」に気づいてあげたことで、
本当の自分に「さみしいんだね」と声をかけてあげることで、
本当の自分の心に寄り添ってあげることができることに、
繋がる気づきなのですから。

自分を知ることが、自律の第一歩(ファースト)で、あったりします。

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明日からは、新年度ですね。
どうぞ、季節や、自分を、感じる時間を大事に!。

 

 

 

「認知の歪み」と、うつ傾向に。春の気配

2月になりました。家の庭でも、ちらほら春の気配です。
スノードロップ、寒いのに、凛として可愛い。

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クリスマスローズ、地植え、まだつぼみです、楽しみ。

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クロッカス、今日、咲いてました。今年初咲き。

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今日のお題は「認知の歪み」


これは、心理カウンセリングの療法の
認知行動療法(米/Aaron T Beck博士がうつ傾向に対して開発した療法)の
理論の中で出てくる用語です。

なんか最近、私の心の中で、ヒットしてます。


どういう風にヒットしたかと言いますと、

ちょっと前まで、私の中で、心の絶望感が
陰ではあるけれど、ずっと心の奥深くに煙っていた感じがあったのですが、、
それの原因が、解ったという感覚と、
原因がわかったことによって、改善でき、
また、それを発展させることで、希望的な未来を描くことも出来る
と、思える見通しを得た気がしたからでした。

認知行動療法とは、認知、つまり、思考的な部分にアプローチする療法で、
いくつかの質問を通して、自分の考えや考え方を改めて意識することで、
否定的に考えてしまうクセ(認知の歪み)に、気づいてもらい、
思いグセに、生きづらさがあるのなら、
事実を客観的に吟味し、熟考することで、
思いグセ =「認知の歪み」を修正していくという仕組みです。

私ふうの解釈を入れて、説明しますと、

「認知の歪み」とは、否定的に考える思いグセで、
理論的には6種ほどありますが、

たとえば、
メリット・デメリットの両方を吟味せず、
何でも悪い方悪い方へと考えてしまう傾向や、
「自分は呪われている」など、
根拠のない迷信や運命づけ的な考えで判断したり、
「全ての人間が○○だ」と、一部の人間が、全てに思えてしまったり、

これ、私にも経験があります。
ママ友のコミュニティーで、、
「あなたは、みんなに悪く言われている。
私はあなたのために忠告している、あなたを変えなさい。」
と、言われたことがあり、
これ、そもそも、批評して、あからさまに他者をコントロールする
外部準拠(共依存傾向)の方の独特の言い回しですし、
自分が「悪く思って」いるのではなく、
「みんなが」と、他者に軸をおく言い回しも、
心ない説得力のかける外部準拠(共依存傾向)の方の独特の言い回しで、

私は、それに気づいていて、
「本当に私のことを思っていてくれているかは、
あなたの行動をみれば、わかりますよ」と返答したのですが、
知らず知らずのうちに、心にダメージを受けてしまって、
「みんなに悪く言われている」という気持ちをぬぐえない時が3年ほど続きました。

考えてみれば、彼女の言う、「みんな」の真実は、「1名」でした。
あとは、傍観者の方が、多かったとも言えますが、
私に励ましの言葉をかけてくれる方もありましたので、
客観的に考えれば、「みんな」ではなかったのは、事実ですが、
私の劣等感といいますか、自信のなさが、
「みんな」という誇大・誇張した言い方に、
怯えをもったことが原因だと思います。
つまり、「認知の歪み」の状態が私の中で、腰を下ろしてしまっていました。

他のパターンの認知の歪みは、
自分の良いところを謙そんしてしまって、
自分を褒めるコトが出来ず、自分を責めるクセが強いとか、
なんでも「自分のせい」と考えがちなタイプや、
「絶対」とか、「必ず」とか、「完璧」とか、
物事を極端に仕分けしてしまう非柔軟な思考グセも、
「認知の歪み」になります。

 

私は、複数個の「認知の歪み」傾向を持っていることに気づきます。
たとえば、私の場合は、
CGを始めてからは、職人気質の「完璧思考」な部分もかなりありますし、
上手く行かないと、「自分のせい」と自分を責めるクセもあります。
意外と従順なところもあり、
人の言うことや迷信を受け入れてしまうところも少なくないです。

この、「認知の歪み」傾向は、
客観視でない状態に時に、起こります。
つまり、不安な状態や、緊張状態や、余裕がない状態、心身共に疲れている状態、
そういう時は、客観的な吟味が出来ずに、
思考がパターン化してしまう、自動思考状態という訳です。

自動思考とは、パターン化思考のことですが、
往々にして、形成された時は、思考力が発達する前の人格形成期つまり、
思考力を強化するのが小学生高学年だとすると、
10才以前に、思考パターンとして入り込んでいる可能性が高いものと言われている、
いわゆるスキーマ

仮に「歪み」傾向が、トラウマを経て、
性格傾向としてプログラムされていたとしても、
気づいて、意識的に書き換えれば、修正できるということです。

そして、私が一番、強く思ったのは、
「認知の歪み」は次の「認知の歪み」を産んでしまうということ、
たとえば、
理不尽が曲がり通るものや人、組織、社会では、
「認知の歪み」は、強化されるということを痛感します。

出来るなら、個人的に、
時間を作って、「歪みのない」人や、モノや、作品や、社会や組織を、
体験する時間を、少しでも増やすことをオススメします。

「歪みのない」人や、モノや、作品や、社会や組織は、
「認知の歪み」の特効薬となると私は考えます。

そして、私自身、CGの仕事やアートでエンターテイメントを
創っている端くれとして、
私は、「歪みのない」エンターテイメントを創っていこうと、
更に、強く思ったのでした。

ま、私が、黄月家Artsを始めた時は、
「愛あるモノをつくる」なんてキャッチで始めましたが、
やっぱり、そこに私の主軸があると再確認したこの頃でした。
「歪みのない」世界が希望であり、
エンターテイメントは「希望」であって欲しいと、個人的に思っているのです。


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さて、節分も過ぎ、私的には、いよいよ今年に、本格的に突入です。

当たり前(思いグセ)の外に、「希望」はある。と、

つくづく感じるこの頃です。
そんなこんなで、CGと心理学二刀流で、私らしく。

2月を感じて参りましょう。

今の自分。「白内障」手術を終えて

2017年になりました。

以前つくった「ハートのはなし」という絵本の内容を
黄月家artsのHpにアップしました。1から7まで。

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黄月家Arts_TOPページ

心のお話しです。

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昨年の自分の一年を振り返って、漢字一文字に表すと「己」という漢字にでした。
昨年は、いろいろな変化もあり、いろんな意味で、
自分を見直す年となりました。

仕事して、育児して、家事して、勉強して
自分を見つめたり、自分を振り返る時間はほぼ皆無に等しく、
ここ10年ほどの時間が過ぎてきまして、
体も、心も、大変な状態だったのに、メンテナンスすらしていなかった・・
なんてことに・・気づいたり、
かつての自分と、環境の違う今の中で、
自分がどうあるべきか、自分自身を再構築の時期だと、気づいたり、
(発達心理学的には、アイデンティティーの再構築の年頃)
そんなこんなで、自分をみつめる一年になった気がします。

今年は、相変わらず、やりたいことが沢山有ります。
心理カウンセリング分野、CG分野、アート分野、育児分野。
考えると楽しくやる気がみなぎる一方で、
そのための、稼働時間をどうするのか、なんて課題もあります。
一つづつ、積み上げて行きましょう。
私は、やりたいことは、やります!。
でも、今は内緒。カタチにしていくことで、表したいと想う次第です。

稼働時間は、ムリするという私の悪いクセを、変えてゆくために、
工夫が必要になります・・これが今年課題ですね・たぶん。
結局、体や心がまいってしまうと、
なかなか上手くいかなくなってしまうものなんですよね・・

わかっているんですけどね・・(苦笑)。
わかっているけど・・やってしまう・・というのが、「悪いクセ」。
いわゆる、否定的自動思考が隠れています。
「ダメ」という気持ちがどっかにある。
「認められたい」の裏側にも、「ダメ」という否定的自動思考が隠れていますね、
ダメと自分を評価しないために、頑張り過ぎる。
そのうち、体が心が悲鳴をあげていることすら気づかない状態になります。
私も、自分で気づけない状態だった気がします。

でも、ありがちですよ・・、
「24時間戦えますか!」なんて、CMのキャッチコピーがありましたね、
私も、そんな時代の仕事戦士だったから・・。

でも、今は、時代の知識も大事なことも変化してきている。
自分の心と体も変化している。
しみついた否定的自動思考を、再思考吟味して、
本当に行きたい方向へ、柔軟に、変わりましょう!。と、想います。
それでも、変わらないものがあるなら、それは、自己の本質、本当の私です。
ホンモノは、チカラ強い。それを、最大限活かしたらいい。

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年末に「白内障」の手術をしました。

白内障は、眼の水晶体が、本来は柔らかいアミノ酸でできている部分が、
結晶化してしまい、光が乱反射してしまい、
光が膨張してまぶしくなり、白っぽくかすんで見えたりする症状があります。

一度結晶化してしまうと、元に戻ることはなく、治療は、薬で進行を遅らせるか、
手術して、水晶体を人工レンズに交換するというのが、現状の治療にです。

白内障の原因は、老化や、紫外線や、ステロイドなどの薬など、
いろいろありますが、私は、どれもこれも、思い当たります。

若い頃はスキューバダイビングのインストラクターもやってましたから、
紫外線浴び浴びでしたし、
ここのところ身体にムリを続けてきたのもあるし、いろいろ老化もあるでしょう。
おまけに花粉症がひどく、病院で処方さたステロイドが入った目薬を
知識なく使っていましたから・・。

私の感覚だと、寝不足の時に、
眼がピキピキと結晶化して亀裂するような痛みがあったりしたし、
あとは、花粉症の目薬の後も、ピキピキ痛んだし、
プールや水道水で眼を塩素にさらした後も、ピキピキしました。
まぁ、寝不足や身体もムリが大きな原因のような気もします。

そうはいっても、年を取れば、
80才以上ではほぼ90%以上の人が白内障になるというくらい、
老化のポピュラーな症状でもあります。

が、私はまだ40代・・。
しかも、CGや、アート、仕事で、眼が要ですし。
眼の変化には敏感でした。
最初、眼科に行ったときは、
眼科の医者も見逃して「ドライアイ」と診断されまして・・
早めの対処治療の時期を逃しました経緯があります。

白内障が進んで来るにつれて、一番不便に感じたのは、夕方や夜の車の運転。
まぶしいので、いろいろ見えないことがあります。
あとは、逆光での会話、逆光だと人の表情が全く見えませんでした。
どれも、映像制作では、情緒をつくるために、
わざわざ作り込みような視覚効果ですが、現実は情緒的でというより、不便です。
心理カウンセリング試験の時、昼間で逆光で、全く相手の表情が見えなくて、
気持ちがくめず、その時の試験は落ちました(苦笑)。
レンズが結晶化して硬くなっていくせいか、老眼の進みも加速的に感じました。

CGや、アートは、意外にも、あまり苦労はしませんでした。
色はそもそも、比較視覚ですし、デジタル上では数値化されているので、
デジタル化で、安定した色彩を、使う事ができましたし
RGBは、色認識もしやすい。
ただし、近くに窓や強い光があるとモニターが反射するので、
作業部屋のカーテンは遮光カーテンに変えて、
昼もカーテン閉めっぱなしになりましたけど。
CGで、とくに、不便を感じたコトはありませんでした。

日常で光に埋もれて、見えないものが増えていくのを感じて、
仕事で、眼が要という意識も有り、手術を受ける覚悟をしました。

左、右と、順番に数日おいて、手術しました。
手術をしてくださる先生は、直感で信頼出来る感覚があり、
不安もなく順調に終わりました。

先生は、手術中「頑張りましょうね」「私も頑張りますよ」なんて、
優しい口調で術中、ずっと声かけしてくださって、
本当に、丁寧で心のあたたまる感動がありました。
安心して手術を受かられたことに感謝です。

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それで、ここからが本当に書きたいことなんですが・・。

術後の眼、今までとは違いました。
私の場合は、術前の眼より、ものが小さく見えます。
片目だけ手術した時は、両方の見える大きさが違うので、
眼がとても疲れたし、ものの距離感が混乱したり、動作すると酔ったり。

視野の端、光が歪んでいて、少し明るくなり、光を吸収するカーブが見えたり、
視野の端が暗く見え、その部分から外側が、ものが2重に見えます。
しかも、それが、眼球を動かすたびに、チラチラと光を拡散します。

そいつの正体は、なんと
眼の中の、新しいレンズのエッジ。見えるんです。外側、120°ぐらい。

人工レンスが、人のアベレージサイズに作ってあるとすると、
レンズのエッジが見えてしまう人が時々まれに、いるらしい。
私は、まれな人・・らしい。
それで、判明したことは、
私は、アベレージ方よりも、これまでは視野が広かったのだっ。
という事実。
(術後の今となっては、レンズのエッジがあるので視野が広い利点はない)

正直、視野なんて、人と比べたことがないから、
なかなかそれをデータとして認知することは無かった。
だけど、想いおこせば、いろいろなことがあった。

私がスキューバダイビングのイントラの試験を受けたときのこと、
25年ほど前のことですが、
当時私の所属する協会は、プロ志向で、マイナーな協会で、
試験のコースディレクターは半数以上が沖縄の米軍基地の方。
昔のことですし、能力テストも兼ねていろんなやんちゃな取り組みがあって、
パニックの耐性や冷静な判断ができるかなどをチェッする為に、
背後から、空気タンクのバルブを閉められたり、
パニックになった生徒役の方(本当はコースディレクター)に、
無茶な動きをされたりなどなど、いろいろありました。

陸で、コースディレクターが、私の背後から、
やんちゃに、水をかけようとしたときに、
私は、影の動きを察知して、とっさに、避けました。、
「君は、後ろに眼があるのか!、すごいな!」と言われました。
その方は、元グリーンベレーの方。

そんな記憶が思い出されました。

そうそう、最近忘れてましたけど、
実は、私、以前は「気配」とか察知するタイプで、
感覚の鋭い人だった(過去形です)ことを思い出しました。

同じような、耳の話もあって、京都での学生時代、
音楽やっていたのですが、音はよく聞こえるのに、
人の話を、聞き間違いすることがあったりして、耳がおかしいのかな?と思って、
大学の保健室に相談にいって、聴力を検査してもらったら、
「むしろ、人より聞こえる周波数の範囲が広いですよ」と
言われたことも思い出しました。
(今は、年相応に聞こえなくなっている音もあるとおもいます。)

たぶん、嗅覚も同じように、においで気配を察知できた出来事が沢山あった。

つまり、標準?な人より、データ的には、
授受している情報量が、視野と、聴覚では多かったということになり、
それが、「気配の察知」の根底にあったのでは、と、
なんだか、妙に、納得できて、嬉しくも、自己受容できるような気がしました。

多くの人に解らない「気配」や、「違い」を解ることが、
今いる環境では、不気味だと言われたり、気味悪がられてり、
怖がられたり、嘘つき系におもわれたり、
でも、その解ることを、うまく説明、解説できなかったりして、

無闇に否定されることに、疲れて、

ここ数年は、人の解らないことを、解るということが、
自分を負にしているような気持ちにもなっていました。
ここ数年、音に耳を塞ぎ、ものに焦点をあわさず、
本来の自分を否定して、にぶいの人になろうとしていた、自分がいました。

自分の本質を、否定してしまっていた。
「察知」は、誰にも通じない、ことだった。
それは、私を孤独にしていた。
けど、自分の本質を否定するのは、自分を殺すのと同じでした。

でも、その原因がわかって、納得できた。なんかすっきりした。
人と違う、自分を認めてあげることが出来そうな気分です。

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新しい眼(人工レンズ)は、
医療の専門家の、すばらしい技術で開発された優れものなのだと思いますが、

やっぱり、人間の本当の眼は、精巧で、優れものだったと、失ってから感じます。

人工レンズは、とてもよく見えます。曇りもなく、色も深く美しい、
けど、ピントが固定なので、視力検査では、1.0でも、携帯メールの文字がみえない(笑)。
近くと、遠くを見るためには、メガネが欠かせません。

それに、今は、術後で、
まだ、眼の周りの筋肉が、焦点を合わせようと勝手に動作するから、
慣れるまでは、もの凄く、あちこち張って疲れます。

レンズの歪みや、レンズのエッヂの光のちらつきも、慣れてないので、
動作が伴う、視覚は、まだ酔ってしまいます。

そのうち慣れるといいなと思います。

けど、その代わり、眼をつむって、身体と脳をやすませるので、
しらないうちに、マインドフルネスが出来そう!。これは利点(笑)。
あと、眼をつむった世界が、
意外と、深くて心に優しい世界が広がっていたことにも気づきました。

たぶん、眼をつむれる世界って、安心できる世界なんでしょうね。

--

みなさんには、どんな出来事があったでしょうか?
そこから、どんなことを感じたでしょうか?

そんなことを話したり、聴いたり出来る日が来るといいな、と思っております。

どうぞ、今を感じる機会がありますように。

 

庭のみかん、最近の生活報告

うちの庭に、今年は、みかんが なりました。

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昨年は、初めて実がなって、3つでしたが、
今年は、沢山、こんなに・・。
まだ、すっぱいです!!。もう少しまってみます!。

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ちょっと前ですが、空に龍のような雲が、
鱗雲が、頭の上を、東西に長く大きく伸びていて、
これは、東側を撮ったもの。(10/14)
鱗雲の先が、龍の顔に見えるのは、私だけでしょうか?

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イメージを補足しますと、こんな感じにみえました。

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とっても、スケールが大きく感じて、気持ちが良い雲でした。
いいことありそう!!。

私の方は、

11月から、縁ありまして、早稲田にあるゲーム系の専門学校で、
「デッサン」の講師をさせていただいたおります!

哲学と、美術、3DCGと、心理学の、知識と技術が詰まった、
特別な、個性的な、私にしか出来ない授業内容になってます!!。
他の先生方の学生さんへの思いやりが、あったかくて、
とっても、ステキな雰囲気を感じます。
デッサンは、教室や学校のスタイルに合わせて、
カリキュラムを考えて、授業に取り組みさせていただいています!!。
ご縁を下さいました皆様に感謝です。

同時に、11月と、12月は、心理ガウンセリング関係の試験が続き、

なんと・・ ようやく・・

アートセラピスト、
心理カウンセラー2級、
インナーチャイルドファシリテータ
認定資格試験に合格し、視覚取得、叶いました!!。
(正直、がんばりました!!。これまで受からなかったので・・)

応援してくださったみなさまに感謝です。
資格をとったらやろうと思っていたことも、沢山あります。
徐々に、実現して行きたいです。

そして、3DCGのお仕事もさせて頂いています。
やはり、私は、「ものを作ること」が好き、天職だと思うぐらい。
しかし、心や想いが、大事、だから、心理学も、CGも、
両方が、今の私には、必要、どちらも自分の大事な側面と、
この1年、自己洞察を深めながら、改めて、思った次第です。
そして、そのバランスは、おそらく、
他の人には理解しがたいかも方もいるかも知れないけれど、
私にとっては、唯一無二の、私の個性なのだと・・自己受容して。
それを、活かしていく方向が、自分を活かすことなのだと、思ったわけです。
CGのお仕事関係の皆様、お仕事に支えてられています、感謝です!。

そして、先週末、白内障の眼の手術をしまして、
年末また、片方手術予定です。
今は、片目ずつ、見え方が違う状態なので、
結構、眼を使うと、いろんなところ(筋肉や筋や脳や・・)が疲れてしまうので、
そのお話は後日にします。

そんなこんなの最近です。
結構、それなりに、スゴイペースで動いている感じ。

感覚的には、波にのって行く手を冒険しているかんじです!。
手術の合間に、少し体をお休みさせていただこうと思ったりしてます。

今日は、自分のことばかりになりました。
心理学のテーマは、また後日にします。

どうぞ、自分らしい12月を楽しんでください!。