ココロド_黄月家K's weblog

考えすぎ? ココロド_心理カウンセラー_黄月家Kの 思考いろいろ、心理分析、ものづくり、時々庭、時々日記です。

「チャンとしなきゃ星人」VS主体的選択

久々に、桜を見に行きました!。山梨の神代桜。多くの人見守り、その子孫は宇宙にも行きました。宇宙から帰還した種は、宇宙桜として世代をつないでおります。
つなぐ命を感じます。

山梨県北杜市 神代桜 二千年越え桜

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今日のテーマは「チャンとしなきゃ星人」

「ちゃんとしなきゃ」って頑張っている人、多いですよね。

私自身も、
「人に迷惑をかけてはいけない」
「ダメと思われたくない」など・・
思って、大変なことを、ずいぶん頑張ってきたと思います。

それ自体は、たぶん、良くも悪くもなのだと思います。

メリットもあるし、デメリットもある。


「ちゃんとする」のは、立派なことだと思います。


しかし、自分の中にもいる

「ちゃんとしなきゃ星人」

なんだか、疲れるなぁと思うことが多くなりました。
私は、「ちゃんとしなきゃ星人」着いていけないのです。
「ちゃんとしなきゃ星人」さんといると、すごく疲れるのです。

何が?


①「ちゃんとしなきゃ星人」と、
②「ちゃんとしたい星人」の、
違い わかりますか?

ズバリ、
①「ちゃんとしなきゃ」と、
②「ちゃんとしたい」は、
違いがあります。

?????

①「ちゃんとしなきゃ」は、外部準拠思考
「ちゃんとしたい」は、内部準拠思考

つまり、
①「ちゃんとしなきゃ星人」は、外部の価値観だから、
自分の心や体と相談(調整)できていないときがあるのです。

そして、もっと極端に言えば、
自分自身のことに、目を向けるのが苦手で、
自分や他人の、主体的動機が見えないことが多いです。
主体的動機を、「わがまま」と、決めつけている方もいます。

「ちゃんとしなきゃ星人」は、
ご自分の心や体や状況と相談(調整)する柔軟さがないために、
他人に対しても、心や体や状況を、見ない習性がうかがえます。
ココロという見えないモノの話が、苦手な方が多いです。

対して、
内的動機ならば、
②「ちゃんとしたい」となる主体的な言い回しになります。


そもそも、
「ちゃんとしなきゃ」の外部準拠的な、
価値観や概念がどのように根付いたかと考えると、

「ちゃんとしていない」ことを避けるための、
防衛的な動機が、元になっていると見立てます。


防衛的な動機は、
養育期に、否定的評価を受けた中で、習得した価値観である場合が多いです。

肯定的環境下と、否定的環境下で、獲得する心理テーマが違うことは、
エリクソン発達心理学の通りです。

そして、
論理的思考が発達する前の10歳以下で、否定的価値観の中で習得した概念は、

それが、本当に有効なケースか?
あるいは、吟味が必要なケースなのかを、
吟味する工程を省いて、固定概念として、
インプットされている場合が多いです。

そして、固定概念を持った養育者は、
その固定概念子どもに託し
その子供も、また、固定概念を、
次の世代につないでいってしまう・・
世代間連鎖、してしまうことが多いです。

世代間連鎖が、止まる時は、
様々な価値観の交流や、
「考えるチカラ」が必要になります。


そもそも、「ちゃんと」って何?

 

具体的な目標を立てた方が、
現実的で、達成感的にも、
自尊心的にも、効果的になります。

行動療法の仕組みです。


諸行無常・・・

常なるものは、ないという、仏教の言葉がありますが、

永らえるものは、変化の中にあるだと、私も感じます。


私自身ですら、知識や、容姿や、体力、周囲、人間関係、
多くのモノが、変わってきました。
私自身ですら、常なるものはないのです。

この体の細胞も、数年で入れ替わっているらしいです。

時代も、価値観も、技術も、出来ることも、
想像をこえたスピードで、
今は、どんどん変わっていく。

便利になったのか、難しくなったのかすら、
よくわからず、
ただただ、時代についていくことすら、
必死です(苦笑)。

自分を摩耗している感がやりきれないときは、
価値観の変化も大事ですよね。
全部「ちゃんとしなきゃ」はもう無理。

 

自分にとって、大事なものは何か?

吟味する

そして、
自分の人生を、
主体的選択する。

 

「考えるチカラ」があれば、
自分の身体と、命と、尊厳を、守ることができます。

私は、主体的な人間でいよう!。
私は、主体的な人間が好きだ!。
私は、主体的な人間の魅力を知っている!。

私は、1人の、人間だ!。

時々、人に迷惑をかけてしまうこともありますが、
だからこそ、
人の、気持ちもわかるようになる。
いつか、助け合える。

そうな風に思う今です。

今、「ちゃんとしなかきゃ星人」から見て、
私は、「ちゃんとして」いなくても、
いつか、私は、助け合える!。
助け合う!。

そうな風に思う今です。