「チャンとしなきゃ星人」VS主体的選択
久々に、桜を見に行きました!。山梨の神代桜。多くの人見守り、その子孫は宇宙にも行きました。宇宙から帰還した種は、宇宙桜として世代をつないでおります。
つなぐ命を感じます。
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今日のテーマは「チャンとしなきゃ星人」
「ちゃんとしなきゃ」って頑張っている人、多いですよね。
私自身も、
「人に迷惑をかけてはいけない」
「ダメと思われたくない」など・・
思って、大変なことを、ずいぶん頑張ってきたと思います。
それ自体は、たぶん、良くも悪くもなのだと思います。
メリットもあるし、デメリットもある。
「ちゃんとする」のは、立派なことだと思います。
しかし、自分の中にもいる
「ちゃんとしなきゃ星人」
なんだか、疲れるなぁと思うことが多くなりました。
私は、「ちゃんとしなきゃ星人」着いていけないのです。
「ちゃんとしなきゃ星人」さんといると、すごく疲れるのです。
何が?
①「ちゃんとしなきゃ星人」と、
②「ちゃんとしたい星人」の、
違い わかりますか?
ズバリ、
①「ちゃんとしなきゃ」と、
②「ちゃんとしたい」は、
違いがあります。
?????
①「ちゃんとしなきゃ」は、外部準拠思考
②「ちゃんとしたい」は、内部準拠思考
つまり、
①「ちゃんとしなきゃ星人」は、外部の価値観だから、
自分の心や体と相談(調整)できていないときがあるのです。
そして、もっと極端に言えば、
自分自身のことに、目を向けるのが苦手で、
自分や他人の、主体的動機が見えないことが多いです。
主体的動機を、「わがまま」と、決めつけている方もいます。
「ちゃんとしなきゃ星人」は、
ご自分の心や体や状況と相談(調整)する柔軟さがないために、
他人に対しても、心や体や状況を、見ない習性がうかがえます。
ココロという見えないモノの話が、苦手な方が多いです。
対して、
内的動機ならば、
②「ちゃんとしたい」となる主体的な言い回しになります。
そもそも、
「ちゃんとしなきゃ」の外部準拠的な、
価値観や概念がどのように根付いたかと考えると、
「ちゃんとしていない」ことを避けるための、
防衛的な動機が、元になっていると見立てます。
防衛的な動機は、
養育期に、否定的評価を受けた中で、習得した価値観である場合が多いです。
肯定的環境下と、否定的環境下で、獲得する心理テーマが違うことは、
エリクソンの発達心理学の通りです。
そして、
論理的思考が発達する前の10歳以下で、否定的価値観の中で習得した概念は、
それが、本当に有効なケースか?
あるいは、吟味が必要なケースなのかを、
吟味する工程を省いて、固定概念として、
インプットされている場合が多いです。
そして、固定概念を持った養育者は、
その固定概念を子どもに託し、
その子供も、また、固定概念を、
次の世代につないでいってしまう・・
世代間連鎖、してしまうことが多いです。
世代間連鎖が、止まる時は、
様々な価値観の交流や、
「考えるチカラ」が必要になります。
そもそも、「ちゃんと」って何?
具体的な目標を立てた方が、
現実的で、達成感的にも、
自尊心的にも、効果的になります。
行動療法の仕組みです。
諸行無常・・・
常なるものは、ないという、仏教の言葉がありますが、
永らえるものは、変化の中にあるだと、私も感じます。
私自身ですら、知識や、容姿や、体力、周囲、人間関係、
多くのモノが、変わってきました。
私自身ですら、常なるものはないのです。
この体の細胞も、数年で入れ替わっているらしいです。
時代も、価値観も、技術も、出来ることも、
想像をこえたスピードで、
今は、どんどん変わっていく。
便利になったのか、難しくなったのかすら、
よくわからず、
ただただ、時代についていくことすら、
必死です(苦笑)。
自分を摩耗している感がやりきれないときは、
価値観の変化も大事ですよね。
全部「ちゃんとしなきゃ」はもう無理。
自分にとって、大事なものは何か?
吟味する
そして、
自分の人生を、
主体的に選択する。
「考えるチカラ」があれば、
自分の身体と、命と、尊厳を、守ることができます。
私は、主体的な人間でいよう!。
私は、主体的な人間が好きだ!。
私は、主体的な人間の魅力を知っている!。
私は、1人の、人間だ!。
時々、人に迷惑をかけてしまうこともありますが、
だからこそ、
人の、気持ちもわかるようになる。
いつか、助け合える。
そうな風に思う今です。
今、「ちゃんとしなかきゃ星人」から見て、
私は、「ちゃんとして」いなくても、
いつか、私は、助け合える!。
助け合う!。
そうな風に思う今です。