ココロド_黄月家K's weblog

考えすぎ? ココロド_心理カウンセラー_黄月家Kの 思考いろいろ、心理分析、ものづくり、時々庭、時々日記です。

小鳥の巣立ち & 「夜」と「生きづらさ」

うちの巣箱に 小鳥が来まして、「夜」には、猫が巣箱を狙ってくるのでハラハラでしたが、今年は、全員(8羽ぐらい)が巣立ちました(春先のこと)。

巣立ったばかりの小鳥は、しばらく、まるふわで、よろよろでしたが、
午後には、親子で飛ぶ練習始めてました。良かった。

うちの巣箱に小鳥、巣立ちした子鳥

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今日のお題は、「夜」と「生きづらさ」

 

東京都では、9月と3月は自殺対策強化月間ですね。

表層の社会では、なかなか、話題にしずらいお話かもしれませんが、
心理家として、話に触れてみます。

Lineでも、相談ほっとLINE@東京 があります↓。

9月と3月は自殺対策強化月間です 東京都福祉保健局

 

自分の心や言葉を出せていない方は、
内側の、声や言葉を、出してみる方法もあります。


生きることの苦、

最近の心理用語では、「生きづらさ」という言葉を使うことがあります。

 

最近、自分が感じてたことは、

原因がはっきりしているものは、
原因を認識したり、一定の期間を経て、
安心な場所が、確保できるときは、
悲嘆療法や、嘆きも 有効になる時があります。

 

しかし、原因が芋ずる式に連鎖していたり、
パターン化していたり、
毎回、同じような 負の気分が、重くて心が動かなくなったりするような場合は、
「負の感情」事態が、
ラケット感情(交流分析用語)だったりするので、
気分を変えることを、優先させた方が良いということもあります。

※ラケット感情は
健全とは反対の自滅または抑圧傾向習性的な感情パターンみたいなもの。

目安は、パターン化しているかどうかです。


本来、生体としての人間は、
快いものに安心を感じ、
心地悪いものを不快と感じ、調整しようとするように、
生体(身体の機能)が成立しています。

 

知能や言語を獲得し、言葉や信念に囚われがちな人間は、
身体内部の、生物としての反応に気づきづらくなったりすることがあり、
自分のストレス反応に気づきづらい、
あるいは、過度の耐性を持ってしまったりすることもあるので、

 

自分の意識とは、違うところで、
身体の機能や感覚が、乱れていることがあり、
自身が気づけないことに、気づかないこともあります。

 

近年は、
「気分」は、脳内ホルモンの影響であることは、知られています。
そして、その脳内ホルモンは、
生成元の身体や、臓器の調子に左右されます。

つまり、
「気分」や「感情」は、

体調や、臓器の調子、しいては、生活習慣やパターンの
影響も大きいと考えられています。


生活パターンを整えるということが、
気分や感情の変化に有効なことは、知られています。


でも、負の感情で、眠れないということが、

更なる不安になったりもしますね。


数日、眠れなくて、

 

夜は、気分が堂々巡りになりやすかったり、
健全な関係パターンと、接点が薄い時間帯だったりしますので、

「とにかく、夜を乗り越えよう」と

自分に言い聞かせる時があります。


眠れてなくてもいい、

音楽聞いたり、本を読んだり、動画見たり、

とにかく夜を乗り越えたら、
それは、一つの成果です。
立派です!。

 

人間には、防衛機制という、
自分を守るための、本能が備わっています。

一次的なら、OK。

自傷他害 と 法律違反 以外なら、

一次的なら、OK。

時間の浪費を自分に許そう。


自分の存在を許そう。
自分のとりとめのない痛みを、抱きしめよう。

ヒリヒリ痛い心を、すぐに治すことはできないかもしれないけれど、
ただ、一緒にいるだけでいい。

痛いんだね。


自分は、自分を見捨てないでいよう。


生きていていい。

生きていてほしい。


かっこ悪くていい、
自分を嫌いでいい。

夜を超えよう。


心地よい自分の人生脚本シナリオ(交流分析用語)を自分で描くために、
「心地良い」を、1つ1つ探してみよう。

(心の奥の私へのメッセージでもあります。)


参照:人生シナリオ(脚本)の過去のブログ

 

kizuki-ya-k.hatenablog.com

 

kizuki-ya-k.hatenablog.com

 

kizuki-ya-k.hatenablog.com

kizuki-ya-k.hatenablog.com

 

奇妙な時間にスリップ & 「逆刃刀」の痛み

もう夏も残暑?になりました。
最近、うちの時計、奇妙な時間を示します。

夏だからですかねぇ・・。異次元にスリップした気分です。

奇妙な時間

奇妙な時間2

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今日のテーマは「逆刃刀」

るろうに剣心」の“逆刃刀” のことです。

刀そもそのは、武器であり、他者を負かすためのもの。
実際に、使用しなしなくても、抑止力(威力)としての効果もあるかもしれないもの。


「逆刃刀」は、通常の日本刀の造りとは異なり、刃と峰(刃のない側)の位置が逆になっている刀。
他者を切ることができず、むしろ、自身に刃を向けている、
「自分を傷つける」という、心理学的には、不合理な造りの刀でござる(笑)。

るろうに剣心」の 逆刃刀は、
「そもそも逆刃刀は、殺人刀を作り続けた新井赤空が、その罪を懺悔するため、御神刀として奉納する目的で打ったもの」とのこと。


剣心が逆刃刀を持つ意味は、
「殺さずの誓い」の意味、
過去の自分「人斬りの罪」への戒め。


私は、「るろうに剣心」に強く惹かれます。
それは、たぶん、内部の自分が共鳴する、
つまり、自分を強く投影してしまうストリーや感覚・感情が、あるのだと思います。


武器とは、一般的に、
交流分析的、人生の構えでいるならば、
I'm OK, You're not OK.(自分OK、他人NG) の構えの存在。

「逆刃刀」は、
他者を傷つけないための、
あるいは、自分への戒めだとするなら、やはり、
I'm not OK, You're OK.(自分否定、他人否定)の構えのように思います。

いずれにしても、自分であれ、他者であれ、
「not OK(否定)」があることは、「生きづらさ」に変わりありません。

「自分であれ、他者であれ」というのは、

「自分か、他人か」というシーソー的な選択肢は、
誰かが「not OK(否定)」で、結局自分も他人もだれも、心から喜べないからです。
やさしい人ほど、賢い人ほど、他人より自分の「not OK」を選ぶか、
あるいは、他者の「not OK」を目の前にして、後々自分を責めるから。

「逆刃」とは、自分を責める = 戒め 

戒め = 罪悪感は、
心で裁くには、量と時間の制限がなく、
過剰に、自分(の能力)を殺してしまう方向へ向かうことが、

心理分野では、よくあるような気がします。

特に、未成熟時代の自分の行動を、
自分の未熟さに自分で気が付く(メタ認知)という、
成長段階で、
自分を責める、戒める(自分 not OK = 自己否定)
段階が、成長の一段階として、必要なことだったりもします。

といいながら、

私自身、
るろうに剣心」の“逆刃刀”に共鳴する

矛盾を抱えた自分自身の存在の、是非を
痛みの中で探っているのだと
気が付く次第です。


心理の理論的は、
罪の報いの機会を得たり、
正当に社会貢献する機会を得たりして、
自己内で、調整が整えば、

調整やバランスという次元の、
「成熟」に進展(発達)することが可能ですが、

罪悪感が、沼になってしまうと
深みにはまりがち・・に、
なってしまうことも、しばしばです。

私という、
自分の存在を責める戒めの虜に、
OK、OK (自分肯定、他人肯定) の立場から、
どう声掛けするでしょう?
と自問自答するなら、

そうそう、言葉にならなくて・・


できることは、共に在る、存在でいること
なのだと、気が付くわけです。


理論は知っていることは、
光の欠片になりうるのかもしれません。

されど、理論通りにならない、
痛い私に、気が付きます。


痛みとともにいることは、
痛いことなのなのかもしれません。

そうして、私は痛い人であり、
痛い人である意味がそこにあるのかもしれません。

なんて・・意味の反映という、
療法テクに気が付くのだったりします。

私は痛い人ですね・・痛いとわかっているのに・・
戒めの自己分析力は、私にとっての逆刃刀だったりします(笑)。


痛い!痛い!。

そんなことも、そんな人もOK

自己受容も、心理療法テクの一つですね。

「混沌とした闇」 vs 考えるチカラ

今年もサボテンに花が咲きました!。
サボテン君が、踊って上げた手のその先に、花を掲げているように、見えるのは・・
私だけでしょうか?

とても、たくましく、カワイイです!

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サボテンの花

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今日のお題は、「混沌とした闇」


「混沌とした闇」の中で思う。


権力者が成立させた世界は、
混沌とした闇がある。

と感じます、
私も、幼少期から「混沌とした闇」を持っていて、
私は、それを「絶望」と呼んでいました。

そこから離れつつある私ですが、
やはり、環境が戻ると、
「混沌とした闇」が息を吹き返して来て、
動けなくなってしまう・・
なんて、思ったり、

今、世界で起こっている権力、戦事のよる、
「混沌」に、痛みの共鳴や、投影が起こったりします。

そんな気持ちで、今日のお題に至ります。

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ここでいう、「権力者」とは、

子供の頃の、親や養育者だったり、
若者にとっては、社会だったり、政治だったりするのかもしれないし、
国家にとっては、支配者だったり、
弱者にとっての、強者だったりするのかもしれない。


最近日本では、「考えチカラ」「論理的思考」というものが、

多様な社会で、
自分を守りながら、
他人を理解しつつ、
自他を尊重し、調整していくチカラとして、

「理論的に伝える」
「理解力」
「調整力」

の3構成をはぐくむ教育に、移行している。

「権力者」とは、
その「考えチカラ」「論理的思考」をも、
権力でねじ曲げる、操作する、ことによって、
人間関係や、社会や、国家に、「歪み」をもたらし、

長期の権力を、得ている状態があります。


そんな、「権力者」のつくる社会は、
「考えチカラ」「論理的思考」がないために、
工夫や、理論的な成功体験が、実らないために、

エリクソン発達心理学からみると、
10歳ぐらいから、発達するはずの、
「理論的思考」や成功体験により、
得られる「勤勉性」が得られず、
「劣等感」や虚しさを獲得することになります。

権力者下の社会(家庭、コミュニティー、国家)では、
精神の発達が負に傾くと見立てることが出来ます。

つまり、思考力の発達の不健全。

 

※気づけたなら、これから発達・成長することができます!。

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「混沌とした、漠然とした闇」は、
つまり、出口のない暗闇のような気持ち
なのだと、私は思います。

そして、
誰かを壊すか、奪うか、
誰かが我慢するとか、
奪う方も、我慢させる方も、
「罪悪感」に縛られ続けるというように、
どちらを向いても、
建設的な結果が見当たらない状態で、
選択ができないという
ジレンマの状態なのだと思います。

 

否定的な選択肢しか無い状態。

負のループ

 

矛盾があると、
人は、動けなくなります。

動くために、、「矛盾」を感じない、
「考えない」状態になるという、
悪化をたどる事態も、往々にしてあります。


もしも、
「考えチカラ」「論理的思考」が、あれば、

まず、

みんなが、建設的な方法を選択するために、
現状や状態を「理解」して、
利を分け合う方向で、
「調整」「交渉」する。

工夫やチャレンジ、することで、
工夫を思いつく、自分自身にも、希望を感ずることができるかもしれません。

1+1=2 
0.5+1.5=2 

式も、たくさんあります。
工夫や調整の余地があります。
答えだって、1つじゃない、たくさんあります。

しかし、
権力が、「考えチカラ」「論理的思考」をねじ曲げたらどうなるでしょう?


答えは、権力者が望む答えに決まっているから、

努力も、理解も、
現実も、真実も、ねじ曲げられてします。

そこに
工夫も、努力も、調整も空しい、

「混沌とした闇」が広がるわけです。

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「混沌とした闇」から出るためには、

「考えチカラ」「論理的思考」に糸口があります。

「考えチカラ」「論理的思考」の社会に、
自分自身を移行していくことで、

考えながら、尊重し合える人と、
出会える、繋がる、といことになります。

そして、自分自身で論理的に、新しい人生を構築していくことも可能になります。

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「混沌とした闇」は、

人々から、ネレルギーを奪い、
生きるチカラを停滞させるけど、

「考えチカラ」「論理的思考」

人間は、身体は、物理的制限を受けますが、
人間の発想や思考は、本来、自由です。

「考え」て良いのです。

どうしたいのか、

「考え」て、どうしたら実現できるのか、
「論理」を頭の中で、構成するは自由です!

「考え」たり、「想像」したりすることは、

人間に備わった、未来をつくるチカラなのだと
考える事もできます!。

明日に、希望を!

「頑固・意固地」の性格についてと、権威主義?

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田無神社の手水舎

田無神社の手水舎、キレイです。先日お参りしてきました。

「みんなが、心豊かに生きることができますように!」

 

今日は、3.11でもあります。

今、紛争や、情勢や、災害によって、苦しんでいらっしゃる方に、
心より、お見舞い申し上げます。

 

ロシアと ウクライナの 惨事に、心が痛みます。

私自身の非力さを痛感しますが、
眼をそむけることなく、自由な心で、痛みと共にありたいと思っています。

 

今の日本は、威力主義とは違い、精神の自由の国です。

そして、

「精神」や「心」は、場所や制限を超える事ができる、可能性の存在です。


「本当の自由」とは、痛みを抱えた成熟過程なのかもしれません。

 

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今日のお題は「頑固・意固地」に性格について、と、権威主義

 

頑固・意固地 とは、

自分を変えられない、柔軟性に欠けた性格傾向です。

理論や・思考が、「思い込み」に、汚染された状態です。

実際には、自分は理論を述べているつもりでも、
客観的な現実検討がむずかしく、観察力も発揮できていない状態で、
自分のことすら、客観的に吟味することが難しい状態に陥っているといえます。


交流分析の、(性格)構造分析によれば、(CP・NP)が優位で、
A(考えるチカラ)が未発達な状態です。

構造分析についての詳細は、過去のブログ「地雷女!・」の中盤を参照下さい。

kizuki-ya-k.hatenablog.com

「頑固・意固地」の状態は、
実際には、根底(無意識)の、「防衛心」により、
現実の受容や、把握、検討を、回避している状態で、

「思考を停止」している脳、の、状態です。

現実検討をしないで、
「思考しているつもり」の、理論を繰り返し、
結果的に、現実に沿わない偏ったモノの見方(防衛機制)なので、

他者からは、「でっち上げ」のような、説得力に欠ける論理を、
「繰り返し」ます。

この観察や吟味によらない、繰り返しを「自動思考」といいます。

「自動」とは、オートマティックな状態です。


「自動思考」の人の、「考え」や「行動」は、
なかなか止めることが難しいものでもあります。


防衛心(防衛機制)が基盤になるので、
「自動思考」は概ね、「否定的」で、人間関係の障害になるなることが多いです。


「否定的自動思考」は、「否定的」「繰り返し」パターン、で見抜くことができます。

「否定的自動思考」は、人間関係の障害にとどまらず、うつの原因の一つになります。

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そもそも、権威主義の国家や、集団は、社会、コミュニティーの、

権威による統制下では、公平な観察や、情報収集が、困難なので、
合理的な思考を学ぶことや、経験することが難しいため、

権威主義の国家内、集団内、コミュニティー内では、

合理的で建設的な思考(現実把握・リサーチ吟味)を経験する、
人間が育ちにくい環境にあります。


その結果、権威主義の国家内、集団内の、人間は、
合理的な思考(自分自身で考えるチカラ)が、
未発達の状態(環境)傾向と考える事ができます。


権威主義の国家や、集団にとっては、

合理的な思考(自分自身で考えるチカラ)が無い(未発達な)人員の方が、
統制がしやすく、権威的には、都合が良いので、

権威主義下では、合理的で建設的な思考ができない集団や、国家が
成立してしまうわけです。


権威主義の国家内、集団内が、
否定や、排除を繰り返す、「空洞的な脳」集団と化す仕組みです。


自他の構えは、

自分OK,他人not OKの、第三段階の、自己中排他的な、トラブルの多い
を、繰り返し強化していく、構えでがうかがえます。

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余談ですが、

今の、ロシアの主張は、
批判的(CP)と、世話的(NP)で、客観性も主体性もなく、
他人(他国)のせいにする表現で、終始、客観性を湾曲している言い回しを感じます。

客観性(A)が、未発達で、
気持ち(C)が、欠けている、状態のように、見受けます。

心理分析すると、「他人依存」や「共依存」による、
権威や脅しという、「否定的、他者コントロール」と、見立てることができます。

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もちろん、世界も、日本も、かつてそのような時代を超えて、
個々人の、知識や思考力を、幅広く底上げすることで、

権威主義が、不毛で、無謀で、非建設的な結果を生むことを理解し、
痛みや反省という過程を経て、建設的な協力を調整するという方向に
変化して来た訳です。

権威や脅しで、他国を無下にコントロールしようとする国や集団が残っていることは、

いまだ、世界には、現実把握の知識や思考力を学べない国(集団)も残っている現実なのだと思います。

 

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頑固や、意固地は、

「否定的自動思考」パターンに陥っている状態と言えます。

「否定的」の根底には、防衛心(防衛機制)があり、
現実把握能力や、建設的思考力の低下、あるいは、未発達があります。

最近では、世界は、昔より、変化のスピードが速いから、
昔ながらのやり方や常識では、変化に対応できません。

昔よりも、観察や吟味が必要になっている訳です。

頑固や、意固地が、権威主義で集団を形成するなら、

「空洞的な脳」集団に成ってしまう訳です。


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「頑固・意固地」への対応策は、

まず、(否定的ではなく)建設的な目標で、リサーチし吟味するチカラが必要です。

次に、自身の動機が「防衛」であることを、
自覚する、自己客観性を持てる人間関係を構築することです。

自分のことを、客観的に観ることは、
他人のことを観察する以上に、
高度な認識・認知力でもあり、多少の訓練が必要になります。

「防衛心」無意識にある方は、自分自身を、客観的に観察できにくい傾向がありますから。

心理師やカウンセラーなのど、心理専門家が役にたちます。


もし、「頑固・意固地」な人に巻き込まれそうになったら・・・

日常なら、「否定的」「繰り返し」「空洞的な脳」を意識して、行動を予測して、
距離をとり、巻き込まれないようにするのが、ベストです。

もし関わるのなら、
客観的に考えるチカラや、自己洞察の 発達を即す、関わりが方が必要になります。

心理療法で言うと、「認知再構成法」や、「認知行動療法」がそれにあたります。


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侵略や、武力になっている、今、何ができるか・・・。

その集団の中で、自己洞察環境をつくるという方法が必要だと、私は思います。

建設的な思考(可能性と希望)を、
いつでも、どこでも、届けることを、続けたいと、
今の私にできることの一つと思ったりしました。


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自己分析が、成長のカギになります。

 

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否定的自動思考についての、過去のブログ

kizuki-ya-k.hatenablog.com

防衛機制についての過去のブログ

kizuki-ya-k.hatenablog.com

人生の構えについての過去のブログ

kizuki-ya-k.hatenablog.com

「自分探し」と「アイデンティティークライシス」

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ゼフィランサス たますだれ の花

うちの庭の花も、すっかりお彼岸です。
ゼフィランサス たますだれ は、彼岸花科のお花。つぼみはピンクなのに、花は白、
なかなか可愛いお花です!。

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今日のテーマは、

「自分探し」と「アイデンティティークライシス」


成人期でも、「アイデンティティークライシス」
ってあります。

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ちょっと前に、

 

アイデンティティークライシス」という言葉がよく使われました。

 

これまでの、自分の価値感が崩れる段階、崩壊する段階のことですが、

変化する前段階です。

 

つまり、「自分の殻」をやぶる時に、
アイデンティティークライシス」という過程があります。

もちろん、
自分や、自分を取り巻く環境に 不快や 不自由がないのなら、
変化も必要ありません。

しかし、
なにがしかの、違和感や、「辛さ」があるのなら、
多かれ少なかれ、建設的な変化をもとめることは、人間として正常で健常だと思います。


これは、思春期に限らず、成人期でも、同じです。


成人期でも、

変化する環境、
変化する社会、
変化する家族構成、
変化する自分の身体、

これまでの、自分のままでは、上手くいかないことも多いので、
柔軟に「変化」する必要性は、年齢に限らず、生じます。

(かといって、これまでの自分を否定する必要もないです。)

成人期でも、
思考が凝り固まってしまったとき、

アイデンティティークライシス」という、
ショック状態を経過することもあると思います。


しかし、成人期は、
経済的自律と、親からの抑圧(支配)から自由な頻度が高いので、
思春期の「アイデンティティークライシス」よりは、
自他共に、ショック度は、いささか、楽なのではないかと思います。

(ただし、思考の硬さ(偏り・歪み)によっては、
ショックの度合いに差があるとも言えます。)

 

成人期の「アイデンティティークライシス」が、
大きなショックを伴う場合は、

思考の硬さ(自分の殻)が、
凝り固まっている状態の場合です。

大抵の場合は、「否定的自動思考(認知の歪み)」を生じています。
「否定的自動思考(認知の歪み)」について、
詳しくは、過去のweblogを参照ください↓。

 

kizuki-ya-k.hatenablog.com

思考が凝り固まる原因は「防衛心」です。

人間は、「防衛」が先に立つと、瞳が曇ります。
防衛心は、批判・批評に偏ります。


しかし、「防衛」は必要です。

「防衛」は、一時的に必要ですが、
固着すると、いろいろなものを、見失っていることにしすら気が付かないという
やっかいな状態に陥っていることが多いです。

まさか・・自分が・・・。

大人になればなるほど、自分が正しいと思いがちですし、
「とらわれ」も多くなってしまいます。

必死な時ほど、
いつの間にか、「自分を見失っている」ことも、
少なくないです。

見失っているなら、見つけたらいいのです。

「自分探し」

成人期だって、
成人期だからこそ、毎日に埋もれそうな・・自分を、
しっかり、「探し出して」やってください。


自分自身を置き去りにしないで!!!。


「過去と他人は変えられない、変えるなら自分を変えてゆく」
交流分析エリック・バーンの言葉)


自分が変われば、自分の周りや、環境も変わっていきます。

(他人コントロールは、新たな依存症の原因になります)

他人の影響をうけやすい方は、
「人間関係」を変えれば、自分や、モノゴトの捉え方も変わってきます。

人間関係(交流)を変えることも、
一つの方法です。


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「自分」を見失った大人へ


自分の殻を破るのは、

あなたが 未熟だからではなくて、
あなたが 、未来のあなたのために、
身軽になることが 必要な時期だからです。

これまでとは違う価値観と 出会うことは、
これまでの自分を 否定することではありません。

これまでの、あなたがあったから、
この出会いがあるのだから。

新しい価値感が、違うと感じた時は、
いつでも、自分でいられる選択を しなおせばいいのです。
だって、あなたには、選択するチカラがあるのですから。

価値感が、変わることは、勇敢なことです。
人間は、変化をこのまない習性(バイアス)があるから、
変化を防衛してしまうのも、また人間だからです。


だけれども、
必要な時に、必要な変化ができるのも、
人間の柔軟性です。

恐れに支配された時、
人は「自分を見失う」傾向があります。


変わって行く社会の中で

変わることも、変わらないことも、
あなたが勇敢に選択するのなら、
それは、あなたらしさです。


ご自分を信じて下さい。

ご自分の選択を信じて下さい。

間違ったら、すぐ、引き返せば良いじゃありませんか・・。

少しずつ、生まれ変われる自分がいると、
自分を育てるかいもありますね(笑)。

 

私は、そんな あなたが 大好きです!。

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「自分探し」と「厨二病 」モドキ

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カラスウリの花

写真は、カラスウリの花、夏の花です。
夜に咲き、朝にはしぼんでしまいます。

だから、健全な生活を送っていると、なかなかお目にかかれない花でもあります。

この花の、透明で妖艶な儚い美しさに、なぜか 惹かれてしまいます。

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季節はすっかり、過ぎて、もう・・お彼岸ですね。

 

今日のテーマは、「自分探し」 と 「厨二病 」モドキ

 

「自分とは何か?」を模索を経て、自分を確立する時期を、

心理学では、
アイデンティティーの確立」や「自己同一性」、「自己の確立」といいます。

「自分とは、こんな人。自分は、これで良い」と思える段階、

もしくは、、
「自分は、自分であろう!」と覚悟するような段階とも言えます。


自分の不器用さを受け入れつつ、

不器用さが内在するからこその、
自分なりの自分の活かし方に視点をシフト(リフレーミング)する

そんな風に解釈すると、
アイデンティティーの確立」や「自己同一性」という、
心理学用語を少し、理解しやすくなるかもしれません。

「自己同一性」というのは、
自分の、「考え」「行動」「気持ち」などの、統合性(同一性)がとれていて、
自己矛盾を、内面で調整出来てきる状態、

あるいは、自己内の矛盾を、「矛盾が存在している」として、

自己理解出来る状態でもあります。

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脳や身体の発達段階では、

12才(中学生)頃に、

仮説をたてて、検討したり、客観的に観たりするチカラが出てくる段階になり、

自分自身を客観的に観ることができるようになる年齢になります。

自分自身を 客観的に見ることが出来るようになると、

「自分とは何か?」

という内的探求が起こります。


自分自身を 吟味(検討)する過程で、
同種や他種の分類、比較検討が生じる時期でもあります。

そして、「これからの自分」を模索する中で、
これまでの自分を、一度、「否定的にとらえる段階」でもあります。

変化前段階には、過程として 「否定的段階」が生じるものです。

この、「否定的段階」を、
昔で言えば、「反抗期」といいました。
現代では、反抗というスタイルは少なくなり、
「批評」というスタイルや場面が多いのように 私は思います。


俗に言う厨二病


厨二病」とは、私の発達心理学的解釈では、

自己確立期前の、更に 変化前段階 の、否定的段階の、批評傾向

ということができると思います。

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その後、
否定的な段階を、有効に経て、変化し、「自分とは?」という問いに、
自分なりの、建設的な道筋を、模索し、

「自己の確立」「自我アイデンティティーの確立」、「自己同一性」
期に、進むという、過程をたどって行きますが、

「否定的な段階」が、自分の未来という目的や方向性を見失った状態で、

「否定的」な「批評」を繰り返す人を、


「永遠の厨二病


と 私は、呼んでいます。
(最近、成人期の厨二病が「多い」と感じているのは私だけでしょうか?)

とはいえ、「永遠」はキャッチフレーズ的に使用してみたものの、

実際には「永遠」なんてない(定説)ので、
人は、変わろうとすれば、いつでも、いつからでも、変われます。


「永遠の厨二病」の出口は、

「自分とは?」という問いに、
(否定的段階を卒業して、)
自分なりの、建設的な(肯定的な)道筋を、模索し
自分自身を生きる(進む)、
自分の考えや、気持ちや、行動は、「自分自身だ」と思って、
生きるということになります。

他人や、社会のせいにしている段階は、
自己確立前の、「依存」状態と言えます。

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さて、

厨二病」を含む、思春期をこえて、
大人?(成人期)になってからでも、

「自分を見失う」ことは、度々あります。

むしろ、成人期の方が、「責任」の重圧に、
自分を見失ってしまう場面が多々あります。


率直に言うと、
人間は、「防衛」が先に立つと、瞳が曇ります。
防衛心は、批判・批評を生み出します。

厨二病モドキ・・・。

しかし、「防衛」は必要です。

「防衛」は、一時的に必要ですが、
固着すると、いろいろなものを、見失っていることにすら気が付かないという
やっかいな状態に陥っていることが多いです。

まさか・・自分が・・・
一人前の大人のはずなのに・・。


考え方にも、適度な断捨離があれば、
柔軟な対応、柔軟な選択が可能になります。


厨二病モドキ」の出口は、

否定的な 批判・批評を、
建設的に(肯定的に)リフレーミングして、
自分自身に活かす。

他人を批評するので無く、
自分に活かす、自分を生きる(進む)、だと思います。


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「自分探し」から、
「自己の確立」までの 段階と経過をまとめます。


1)「自分とは?」という問い(自分を哲学すること)

2)「分類・比較」で検討する、リサーチ段階

3)「否定・批判段階」(反抗期)
  これまでの自分や自分を取り巻く環境に、
  否定的要素を見出す
  ※ 否定的要素とは、改善的要素でもある。
  
4)「否定の否定期」
  否定や批評のみでは、豊かさに繋がらないことに気づく。
  ※ 否定や批評のみでは、逆に、心が貧しくなることに気づく。
  
5)「自己受容期」
  自分や 社会や他人は、矛盾を内包した未完全な存在だと気づく。
  ※ 未完成な自分の存在を認める(許容する)。
   「未完全」は、「可能性」とリフレーミングできます!。
  
6)「建設的(肯定的)変換期」(リフレーミング
  ありのままの自分でも、未来の自分のために、出来る(出来た)ことを見出す。
  否定的要素を、肯定的に変換(リフレーミング)する。
  
7)「建設的(肯定的)行動期」
  「肯定的な考えや言葉」が、自分の心にエネルギーに成っていることを感じる。
  「肯定的な考えや言葉」が、循環して、肯定的なエネルギーを、自活できる。
  成りたい自分になるための、建設的(肯定的)な、行動を選択出来る。
  
8)「共存期」
  自分の肯定感が、自分の活かし、自己消耗せずに、他人や社会の役って居ると感じるコトができる。
  自分を発揮出来る関係や環境に、感謝出来る。
  
  
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私自身は、コトが起こったり、
イヤなことを思い出したりすると、

過程は、すぐ戻ってしまうし、振り出しに戻ったりもします。

それでも、
だんだんなれてきて、過程が分かっていれば、
一度通過したところは、再び通過するところは、
ベクトルが定まって、なれてきた気がします(笑)。

 

変化のコツは、「リフレーミング」です!。

 

自分以外のものに変わる必要なんて無くて・・・

自分らしさを、「リフレーミング」!!

 

お世話タイプの「共依存」と「繰りかえす 負のループ」

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田無神社、手水舎の あじさいと龍

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田無神社 てるてる短冊

最近は、私個人的に、非接触リモートワークが定着しており、
私個人的には、リモートワークの利点を感じております。

食料の買い出し以外に、外出することもなく、
気が付けば、足も細り(笑)・・・頭だけが、たんたんと作業をこなす毎日ですが、先日、久々に、田無神社に行きました。

手水舎の、浮かぶあじさいに囲まれている白龍をみて、
七色の雲海の中の龍を想像するのは、私だけでしょうか(笑)。

気が付かぬうちに、季節はもう・・・梅雨?

てるてる短冊が、梅雨と七夕という、微妙な季節を
私に教えてくれます!!

ネガヰゴト
「みんなが 自分らしさを 活かせる世界になあれ!」

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さて、今日のお題は、共依存と繰りかえす「負のループ」

 

発達心理学によれば、

概ね 20~30才ぐらいに、
内面(心理)の発達が 自己アイデンティティの確立/自律
という課題の達成時期を迎えます。
(実際には、年齢や度合いは個人差があり、人それぞれ)

その時期を、境に 「成人」期ととらえることができます。


本来は、「成人」とは、
カラダや年齢のみならず「内面」の成熟の要素もあるわけです。

もちろん、未熟な段階で生まれる人間の特性から、
人間は誰もが、依存する段階を経て、
成長する過程を通ります。
依存段階(養育期)に、程良く依存すること、依存できることは、
依存と自律のバランスの成長において、
必要不可欠なことでもあります。

 

その、
依存段階(養育期)に、どのような環境に置かれるか、
どのような行動範例と過ごすかで、
多かれ少なかれ、
対人との依存傾向に、2つのタイプ(傾向)を持ちます。

 

大抵は
「お世話役」タイプか、
「お世話され役、かまってちゃん」タイプ

状況によって、入れ替えもありますので、
絶対値ではないです。

 

私自身は、
両方の傾向を持っている、
少数派です(笑)。

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成人期においても、

内面(心理)の発達が
自己アイデンティティの確立/自律にいたっていない状態の場合は、
自分の存在を認知するために、

外部に依存する傾向があります。

 

外部が、
「仕事」なら仕事依存、
「酒」なら、アルコール依存
「薬」なら、薬依存
依存の対象は、モノから、行為、いろいろあります。
成人の他人依存も依存の一種です。

 

健常者は、生活に支障のない程度に、
依存傾向を適度に活用して、
自分自身を活性化していることも多いです。

 

生活に支障のない部分を
性格傾向として「依存傾向」といい、
生活や人間関係に支障がある状態を「依存・依存症」といい、
分けて考えると有用と害の境目が見えてきます。

「お世話役」タイプか、
「お世話され役、かまってちゃん」タイプの、
デメリットだけを、述べたい訳ではなく、
度合いの境界を示しつつ、
この先を書きたいと思います。

 

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人との関わりで、

依存のうち、「人」への依存するタイプの、「お世話役」の方を、
共依存」と言います。

共依存」は、
親子や、恋愛や、夫婦、組織、なのど関係でも、よく見られます。

 

「お世話役」と「お世話され役」の組み合わせのカプセル化が生じる場合は、
共依存関係です。

 

共依存」者は、
情報を遮断するか、恩を着せるか、恐怖を与えて
相手を支配コントロールする手法が行われる状態を、作り出します。

 

共依存傾向が強く、生活に支障がある度合いは、
カウンセリング心理の分野では、「共依存症」と言います。

 

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共依存症」の特徴(障害・症状)を列記します。

・自己評価が低く、自己消耗する。
・自分と他人の境界が曖昧で、介入しやすく、されやすい。
・主語は「私は」と言わず、「普通は」「みんな」「一般的に」という。
・自分の状態の現実検討が難しい
 (自身の身体の不具合や、自身の気持ちがわからない)。
・「気持ち」や「要望」などの、自己表現が難しい。
・否定的な条件呈示で、他人をコントロールする。
・自己消耗の末、怒りを貯めやすく、恨みを募らせる。
・自由や対等な関係に対応できず、外界との接触を遮断する。
・怒りや恨みを回避するために、他の依存症を誘発する
・(個が確立していないので)立場や役割に頼らない対等な本音のやり取りができない。

 

共依存」は、
アダオルトチルドレンや、インナナーチャイルド理論から派生した言葉です。

 

本来の養育期に、
親などの養育者の心のケア(お世話や要望に応えるなど)を
せざるを得なかった環境にいた場合、
共依存」傾向が見られます。

 

発達心理学でいえば、
2、3才頃の「自律」vs「罪悪感」の課題期に、
排泄や自己主張などトライアルで、
失敗やそそうという あたりまえのことを、
責められることで、
「自律」ではなく、「罪悪感」を獲得し、

10才以降の、理論的思考が発達する時期に、
理論的な思考に、接する機会が少なかったり、

理不尽(理論的なでない)や不合理な権力下の環境下にいた場合、
構築的な行動と 成功体験の関連した体験が 得られない場合、
などの、背景を察することができます。

 

私の個人的な見解ですが、

共依存」傾向の強い方は、

理論的な思考が苦手。

区別が大ざっぱで、2極思考の場合が多い。
具体的な事象や、個別の事象を分けて考えることが苦手。

「みんな」とか、「世間」とか、「一般的」にという、大きなくくりで、
思考するために、
モノゴトの違いや 精度や、度合いや、
別の視野からの理解が苦手なように感じます。

言語(言葉でのやりとり、会話など)の中で、
回復・成長するのが、難しいと言われる所以は、
言語理解の精度が大ざっぱなところに所以すると理解できます。

ですので、「共依存」傾向の強い方には、
「行動療法」が向いていると言われています。

 

しかし、「お世話役」傾向なので、
自分のことを、未成熟という自覚はおろか、

自分はしっかりしている。
自分は大丈夫と思い込んでいるところが、

自分理解や、自己成長や、
現実検討を更に難しくしていると、
感じます。

 

失礼ながら、
「厄介」と、毎回、感じてしまいます。

 

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TA(交流分析)の構造分析(パーソナリティー分析)に
置き換えると、
NP(ナチュラルペアレント)お世話や優しさが高く、
A(アダルト)理論的思考や判断力が低く
FC(フリーチャイルド)持って生まれた素質や無邪気さも低く、
AC(アダプテッドチャイルド)従順な部分が高い
N型のパーソナリティーに該当します。

N型の方は、心身症傾向型とも言われます。
自己犠牲(献身的)で、自己調整が苦手ですから。

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今回「共依存」について、
あらためて気づいたのは、

共依存」と、否定的自動思考のなどの、「負のループ」の

関連を感じました。

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共依存」の人は、
お世話役になるために、
ダメな人や、弱い人を見つけるのが得意です。

つまり、「ダメ(not Ok や 否定的な部分)」を見つけるのが得意。

つまり、「ダメ」を 探す習性がある。

と改めて気づきました。

 

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人の良いところは見ません。
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良いところを見つけてしまうと、
自分がお世話役になる意味がなくなる。
自分は、不必要な人間だと、無意識が感じてしまうからです。

逆を言えば、
自分で自分を認めることができないために、
「必要とされたい」と思い、
他人に必要とされるこでしか、
自分の価値を認めることができないので、
「ダメな相方」が必要になるわけです。

 

とにかく欠点をみつけることが得意です。
欠点しか見ないので、一緒にいても疲れます。

共依存」傾向の強い方との距離感は、
本当に難しいです。

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共依存症の方と関わる時は、

私とあなたは、違って良いと言い続けること。


適度な距離感を主張すること。

 

否定的な要素が攻撃にかわったら、

ためらわず、距離をとる(逃げる)。


ミイラ取りがミイラにならないよう、
自分を守ることを
心がけなければなりません。

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負と正のループ

自分の原動力になる、
気持ちや動機には、

大きくわけて、2種類に分かれます。

①回避(防衛)型の気持ち・外的動機

②好奇心・向上心型の気持ち、内的動機

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「負のループ」と「正のループ」

①の、回避・防衛型(外的動機)での努力する場合は、
ダメ(原因)を見つけることで、誰かや何かを否定することが、
結論になる、否定形・非建設的な思考・行動パターンです。

結果的に、自分も誰かもダメという結論になりますので、
努力は、報われないパターンです。

②の、好奇心・向上心型(内的動機)での努力や行動は、
たとえ失敗や原因があったとしても、
そこから学習して、
目的にむかって、できることを見つけていき、
行動できる建設的な動機・思考・行動パターンです。

少しづつ行動することで、体験を通して、
成長や、発達、繋がりも広がり、相乗的な効果のパターンです。

 

そして、原動力が「怒り」の場合の行動も、
負のパターンの場合があります。
目的が、建設的なループにならずに、
後始末が付いて来るからです。

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①の負のループは、
「ダメ(not OK」を見つけるベクトルが固定している場合です。

②の正のループは、
「良い(OK)」を見つけようとするベクトルです。

 

正のループ(好奇心・向上心型(内的動機))へ、
マインドチェンジすることができれば、
行動も生活も人間関係も循環していくことが可能になります。

 

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そう考えると、

理屈より、マインドチェンジの方向へ、
行動をうつして行く方が、
良いのだろうと、思うわけですが・・。

「ダメ(not OK」を見つけることが、
何よりも好きな「共依存症さん」の習性から、
「良い(OK)」を見つける体験に、
すんなり移行が むずかしいのも、
もどかしいところでもあります。

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気持ちも、人間関係も・・季節と共に、
循環することを願っております。

自分でいて良い と思う、
時間と、人間関係を持ちたいものです。。