ココロド_黄月家K's weblog

考えすぎ? ココロド_心理カウンセラー_黄月家Kの 思考いろいろ、心理分析、ものづくり、時々庭、時々日記です。

うちの ネコ にゃん玉

うちの にゃん玉

うちの にゃん玉

今日のお題は「うちの ネコ」

推定約1歳の猫ちゃん、にゃん玉
彼と出会ったのは、保護ネコ譲渡会昨年の8月のこと。

にゃん玉は当時推定3、4か月。
彼は、1人ぼっちで、ケージの隅っこに大人しくいた。
愛想がいい子猫が人気だが、私がにゃん玉を選んだのは、
たぶん、自分を投影していたのだろうと思う。
家なき子で、神経と感が鋭く、警戒心強くて、耳や鼻が利く、愛想もなく、どこか孤高でスマートな顔立ち、子猫なのに、可愛いというよりは、どことなくカッコイイ。

お試しだっこのときに、にゃん玉は私を怖がらずに、上着の内側に潜り込んできた。似たもの同士、お互い引き寄せあったのかもしれない。
食が細いらしく、譲渡までに一カ月半もかかった。
うちに来てからは、思いの外ヤンチャで大暴れ、だんだん甘え上手になったが、基本ツンデレ。気の合うネコちゃん。

うちに来て、8カ月、推定1歳のにゃん玉
最近、あまり遊ばなくなった。
もう子供ではなくなったのかもと思っていた。
ところが、
近々ご飯や水も取らなくなった。
昨日、病院でFIPの疑いと言われてた。
webで病名を調べると、死亡率100%って書いてあった。

私は感受性が強すぎるので、生活していくために、
あまり感情にとらわれないよう、
論理的思考や合理主義で生きるようにしている。

しかし、やっぱり、動揺する。
にゃん玉は、ぐったりしていても、撫でるとしっぽと振るのだ。
にゃん玉を見ているだけで、涙があふれ出てくる。

論理的思考や合理主義の私は、
努力とか、知識とか、ものの捉え方とか、で何でもなんとかして来た。
いや、むしろ、努力とは、「防衛規制」の一種なのかもしれない。
納得のいかないことに傷つくことを、努力することで、
ごまかしてきたのかもしれない、
なんて、今は、弱気な解釈も出てきてしまう。

まだ、1歳
私は、悔いのない人生をと、
いつも死を想定して、いつもギリギリまで精一杯生きてきた。
できることなら、私の寿命など、10年でも20年でも、にゃん玉にあげるよ。

だけど、今の科学ではどうにもならないことも、あるのだ。

にゃん玉を、最後まで看とるという仕事を、
受け入れることが、私の、今の精一杯だのだろうと思うけど、
覚悟がまだできていないんだ。

どうして、みんな私より早く逝ってしまうんだ!。