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ココロド_黄月家K's weblog

考えすぎ? ココロド_心理カウンセラー_黄月家Kの 思考いろいろ、ものづくり、カウンセリング心理学、時々庭、時々日記です。

富士山 と 書くこと

今日は朝から晴れ、家から富士山が見えます。

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電線のと屋根の隙間に、かろうじて富士山。
まだ、山頂に、雪が残ってますね。

書く練習として、このブログはじめたんですけど、
なかなか書いている時間がないこともり、
写真とそのコメントくらいになってしまう。
時間もないけど、やっぱり書くことは怖い。
せっかくブログ書いても、アクセス件数がないと安心する(笑)。

「書くこと」って「考える事」なんじゃないかと、ふと、思った。
もっと、言えば、「考える過程」。
書くことによって考えることができるということか・・。
「描くこと」と同じ。絵を「描くこと」によって、
新たに見えてくるものもあり、気付きに出会い
新たな疑問も生まれ、さらなる探求が芽生える。

「描くこと」とは、体を動かして、感じること、
それは、体の動きを通して、思考することだと思うのです。
「書くこと」も同じなのではないか・・・
書くことによって、書くという気持ちの中に新たな何かを発見する。
「思考の過程」なのではないだろうか?

書く時間がないというのは、全くもって、
「思考する機会がない」のと同じ・・これでいいのかな?
「思考するのが怖い」と同じ、それはちょっと理解できる。
けど、怖がっていては、その先に進めない。

最近のいろいろな活動を通して感じるのは、
文章力の低下、
これ、情報過多の弊害ですかね?
これだけ、情報が多いと、はしょって、文章を抜粋して情報収集する傾向はいなめない。
自分に都合の良いところだけを都合の良いように切り取って、持ち出し、
批評・批判して、勝ち負けでことを片付ける。

文章の読解力を養う前に、批評・批判を覚えて、
文章の意味など分かろうとしない。
人の気持ちなど分かろうとしない。
なんて、感じる場面も多々あります。

文書や論理の全文が正しく読めない。
文書の言葉に込められた気持ちが読めない、行間に込められて気持ちが読めない、
客観的に文書を読めない。
そんな場面(方)が多いと感じる。
この現実を怖いと感じる。
書くことが、怖いと感じる。

これでいいのか?

と思いつつ、私は自分の「書くこと」への恐怖を克服するために、
何ができるのだろう?

なんて・・書いて(考えて)みた。

さ、今日がはじまります。
気持ちのいいお天気です!!
今日の、土曜日を楽しみましょう!

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