ココロド_黄月家K's weblog

考えすぎ? ココロド_心理カウンセラー_黄月家Kの 思考いろいろ、心理分析、ものづくり、時々庭、時々日記です。

「ネガティブ」と「ポジティブ」。1月の庭

うちの庭、今年は花が沢山咲いています。
季節がちょっと・・。

これは、1月のホタルブクロ。

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1月のマリーゴールド

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1月のなんだけ、この花?

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1月のキンギョソウ

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1月の日本水仙

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1月のスノードロップ

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1月のスノーポール

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1月のプリムラ

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1月の柑橘。

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昨日、今日は、東京多摩地方、ようやく結構冷え込み
朝は、霜で一面真っ白でした。
しかし、庭は、季節がよくわかりません(笑)。

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さて、今日のお題は、

「ネガティブ」と「ポジティブ」


「ネガティブ」は悪いこと?

そんなふうな風潮を感じるのは、私だけでしょうか?

落ち込むのは、悪いこと?
悩むのは、悪いこと?

むやみに、ポジティブ仮面をかぶることが良いことなのでしょうか?

私自身は、
このweblogを始めたとき、「ネガティブ日記」と題したぐらいですが、
ネガティブにも、良さがあるのでは・・なんて・・思ったり、
そんなことを書いたりしていました。

では、ネガティブとは、いったい何でしょうか?

形容的なネガティブとは、webで調べますと、
否定的なさま。消極的。という意味だそうです。

なるほど。
思考的には否定的で、行動的には消極的、ということですね。

確かに、物事を否定的に捉えると、行動力が落ちて消極的になります。

だけど、「私は本当はすっごくネガティブな人間です」という人の方が、
人の心に残る大作を作ったり、
人の気持ちにヒットする音楽をつくったり、
人のためになる発明をしたりすると、
感じます。

なせでしょう?

私の思うに、
ネガティブな人は、感受性が豊かで、傷つきやすいという特性があり、
それゆえに、落ち込みやすく、落ち込みを重ねると、
否定的で消極的になりやすいとも考えれます。

しかし、厳密には、感受性が豊かで落ち込み易いことは、
ネガティブではありません。
その後の、受け止め方と、行動でネガティブか否かということになるのだとすると、
私の中のネガティブの概念が変わります。

「否定的」という側面について言えば、
本来生まれたばかりの人間は「否定的」ではありません。
赤ちゃんを観るとわかります。
何でも怖がらずに触ったり、なめたり、口にしたり。
何も怖がらずに、人を直視したり。

つまり、「否定的」は、学習の産物と言えます。
つまり、育つ環境によるところが大きいとも言えます。

特に、人間関係上は、親や養育者の、
共依存的な否定的コントロール下で、身につけた思考(思い癖)と言えます。

否定的コントロールとは、
否定的な側面を想像させて、行動や気持ちを制御しようとする行為です。
たとえば、「○○しないと、××になってしまう」などです。

親としては、ありがちです・・
(私も良くそういう言い方をすることがあります。私の母親もその手の人でした。)

なので、否定的なネガティブは、養育者から引き継がれたものということになります。
しかし、それを受け止めて考え、どう行動するかしなかで、
ネガティブ100%なのか否かの分かれ道なのだと、とらえることが出来ます。


では、逆の
ポジティブとはなんでしょう?

肯定的であるさま。積極的なさま。と調べられました。

思考的に肯定的で、行動が積極的ということになります。

確かに、否定的思考より、肯定的思考の方が、心の負荷がなく、楽です。
楽しさも感じやすいと思われます。
消極的より、積極的の方が、発展が有り、進歩しやすく、成長しやすく、
たとえ、失敗があったとしても、
肯定的に捉えることで、次の行動につながり
よりよりものに近づける率も上がるモノかもしれません。

風潮が言うように、
ネガティブは悪く、ポジティブが良いというのも、よく解ります。

 

だけど、私の中で、どうしても、ひっかかるのです。

思慮深いことは、ポジティブ的印象ではありません。
どちらかというと、ネガティブ。
無頓着で脳天気は、ネガティブではありません。
どちらかというと、ポジティブ。

しかし、思慮深いことが悪く、脳天気が良い、ということは、言いがたい。
確かに、心は脳天気の方が楽なのかもしれませんが、
感動的な、人間的な厚み有る成果物は、思慮深い人の方が作れると思うのは私だけでしょうか?

結局のところ、
ネガティブと、ポジティブ、どちらが良いかは、
自分の求めているところがどこなのかによる部分もあるんじゃないでしょうか?
一概に、ネガティブは悪く、ポジティブが良いとは、私は言いにくいです。

結局のところ、
私には、もの凄くネガティブ(思慮深い)な側面と、
もの凄いポジティブな行動力がありますから、
私は、両方の側面を持っていることになります。

おそらく、みなさんの中にも、時と場合によって両方の側面があるのではないでしょうか?

その、時と場合を、読み分ける感覚は、
感受性が豊かな人間の方が、得意なのかもしれません。

だとすると、どちらが良いとするのは、
総合的に考えると、意味のない評価なのではないでしょうか?

私の思うに、
そもそも、人間は矛盾を内包した存在なのですから、
その相対する矛盾を、肯定的に捉えるなら、
是非や、上下や、善悪を決めるのでなく、
その相対する側面の、バランスを見つける方が、賢いのではないでしょうか?

と言うわけで、
多くの皆さんは、ネガティブを否定しますが、
私は、あえて、ネガティブを否定しません。

今日も独り言・・続きます(笑)。

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ほんとに、寒いですね。

みなさま、どうぞ、暖かくしてお過ごしください。

主婦的「イライラ」と、「共依存」

あけましておめでとうございます!。
いよいよ2016年になりました。

みなさま、どんなお正月でしょうか?
私にとっては、いろいろ内観が必要な感じです・・。

今年も、どうぞ、よろしくお願いいたします。

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箱根九頭竜神社の手水。昨日は、雪が舞っていました。

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今日の今日のお題は、「共依存

年末年始は、子どもも夫もお休みで家に居ますので、
なぜか、イライラしてしまう、主婦はいませんか?

私はその一人です(笑)。

その苦痛は、おそらく、共依存かもしれません。

共依存」とは、「外部準拠状態」のことで、
物質や他人や出来事によって自分の気持ちや価値が決まる状態のことです。
愛情や、喜びも、悲しみも、苦痛も、他から与えられるもの思っている状態です。
自分の外のものに基準があるため、
結果的に、いつも振り回されるという感覚があり、
確立した安心と自己の自身を得ることができない状態で、
常に不安や不満を抱えやすい状態となります。

たとえば、
お金があれば幸せ。モノがあれば幸せ。資格、学歴、結婚、王子様はきっと来る・・etc
いろいろなものがあります。
戦後の日本は物質主義社会だったので、多くの方がそうなのかもしれません。
いわゆる、他者物依存。共依存がフツーなのかもしれません。
でも、これが辛さをもたらす原因であることが多いのも事実です。

対して、「内部準拠状態」とは、
愛情も喜びも悲しみも、自分の内側からもたらされると思える状態のことです。
自分の価値は自分の心と行動によるので、自分を信じることができ、
自分の中に、自分の価値の基準があるので、結果的に、捉え方しだいで、
自分を救うことができ、失敗を成功に転化することも出来ます。
安心と自信を自ら確立しやすい状態となります。
つまり、自律した状態と言えましょう。

共依存」と言う言葉、20年ほど前に習ったカウンセリング心理学では、
一番最初に学びました。

共依存」が辛い心の現況といっても、言い過ぎではないのです。

わりと、日本人の文化は、「共依存」的な部分があるのかもしれません。
他者を気にするというのは、ある意味では、「気が利く」ことであり、
「共感力」があって、人の気持ちを察する、思いやりの能力とも言えます。
そこまでは、日本人的に、否定したくない、利点だと思っています。

しかし、自分の心までも他者に空け渡してしまっている・・
というのは、自分でない、ただの、物体のようなもので、
それで、心を持つ人間としては、矛盾を抱え、辛さを感じるようになる
という仕組みなのだと私には思われます。

さて、家族(他者)が始終家にいるこの時期、
「イライラ」してしまう私は、
家族によって、自分の心が乱れる外部準拠状態で、
つまり、共依存状態にあると気づきます。

では、イライラしない自分をつくるためにはどうしたら良いかというと、
家族(他者)が終始家にいても、
自分は自分、という自分を確立することなのでしょう。
たとえば、家族の世話で忙しく、自分らしい時間が作れないのであれば、
家族が居ても、自分らしい時間を作ればよいことになります。
はい、そういう時間を作って良いのです。
もし、それで、家族が私に怒るのなら、家族が共依存状態なのだと思われます。
家族にも自律を促しましょう(笑)。

あるいは、他者に時間を捧げるのでなく、
自分がやりたいからやっていると思えるようにすれば良いのです。
思えるところで、一線を引けば良いのです。
他者の評価を気にせず、自分で評価してやれば良いのです。
と、思いながら
明日を過ごしてみます(苦笑)。がんばれ私。


みなさま、心新たに、どうぞ、良き1月をお過ごしください。

12月と、今年の私の漢字は「心」

Merry Christmas!

あっという間に、もう年の瀬ですね。

先月、洗面兼脱衣所の棚をつくりました。

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ドアや、洗面所や洗濯機の位置関係もあり、棚を置くのが難しいところでして。
これまでは、向かって正面に、洗濯機と隣接して市販の棚を置いていました。
正面が棚(h120×w80×d29)で、棚の形や色もとりあえずだったので、
圧迫感があったので、棚を変えたかったのですが、なかなか合った棚がみつからず、
結局作ることに。

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こんな感じ。ホームセンターで木材をかって、板以外はカットしていいただきました。

板は、斜めカットが出来ないということで、私が、電動ノコギリでカットしまして、
こんな感じにできました。やっぱり、難しい(笑)。結構、ぐらぐら(笑)。
でも、見た目、スペースが、随分すっきりしました。良かった!。
すっきしすぎて、つまらないと子どもが、板の正面に柄テープを貼りまして、
こんな感じになりました。

12/4 庭のモミジもやっと、紅葉。

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12/7 ベランダからの空。
以前、ステキな美しい空は、一日頑張った人へのご褒美なんて
ブログに書きましたけど、最近、空を楽しんでいませんでした。
もったいない(笑)。久々の美空(ビそら)、心がうるうるです。

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ここ一ヶ月は、お友達の展示会やLiveや、いろいろお誘いやご案内をいただき、
いろいろ観て、感じていました。みなさん、とてもステキです。

心理学の勉強の方も、忙しく、バタバタと時間が過ぎて、
いろいろあった割に、私は心がイイ感じでフラットな状態の12月だった気がします。

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今年の漢字は「安」ということで、
みなさん、安心したいんだぁ・・と感じつつ、

私の一年の漢字は、と考えてみますと、「心」です、きっと。
今年は、カウンセリング心理学を改めて、約20年ぶりに学びはじめまして、
いろいろ心理学的な論理や考察を改めて学びまして、
いろいろ、考えることも、考えさせられることも、多かったですし、
これまでの、私スタイルの哲学的な自己洞察も好きでしたが、

心理学的、自己洞察は、人間関係を核に分析洞察する見地からからの自己洞察で、
改めて、自分が、誰かに影響しあって、今の自分になっていると、
良い意味でも、良くない意味でも、そう感じる複雑な心境を、
自覚する一年でもありました。
心を見つめ直して、自分の心を改めて感じ始めている一年です。

来年も自己洞察続きます(笑)。

みなさまにとっては、どんな一年でしたでしょうか?

どうぞ、良き年の瀬をお過ごしください。

衝動買いパーテンション。 「恋」の仮説

こんにちは!。
一昨日、衝動買いしてしまいました・・パーテンション!。
一目惚れです!。

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中古なので、壊れる部分もありますが、こんな細かい手仕事作品、
今時新品でかったら、むっちゃむちゃ高いのでは・・と想像します。

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この色合いと手仕事の細かさと、
光を通す空間的な・・感覚と、
やっぱり、一目惚れです(笑)!!。

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こんな感じで、部屋のしきりに立てみました。

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私の作業部屋、壁が白、カーテンが、焦げ茶の白柄レースが手前仕様ですが、
私的には、シンプルで、味気ない感じでした。
長年そんな感じだと・・私自身もだいぶ、味気ない感じになったと
最近感じておりまして・・
だから、思い切って、理屈抜きに、衝動買いしてみようという気分になりまして・・。
思い切りました・・。
良かったです!。
なんだか、ミラクル感が気持ちにプラスされた感じがしています!。
へっへっへっ!。

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今日のお題は、「恋」

最近、カウンセリング心理学を勉強しているのですが、
一作月、「恋愛心理分析講座」の受講を修了した!。
(パチッ!パチッ!パチッ!)

結婚して、20年以上も経ちますので、
今更恋愛もないだろう・・と・興味なさげながら、
とりあえず感のまま受けたのですが、
内容的にかなり、興味深く、教養として、速攻役立つ知識がてんこ盛りでした。

内容は、受けてみてのお楽しみとして欲しいところなので、
深く言いませんが、

私は、この講座を通して、
「人が何を求め、何を恐れているか」ということが、解りました。
深いです。

 

そんなこんなもあり、

私の今、現時点の「恋」について、
ちょっと書いてみたくなりました。

ある時期から、「恋とは、病気」という他者の言葉が私の概念になっていました。
確かに、データ的には、ホルモンの影響下にある行動心理でもあるようです。
(ここでは、愛と区別しています。)

輝いている人が時々いいますね、
「恋をせよ!」と。

ちょっと前、疲れは果てていた私は、
「恋なんてエネルギーの無駄使い」とすら思っていましたが・・・(笑)。

そして、今、
自分を見つめ直したり、おそらく、自分の変換期にさしかかりつつかる今、
パーテーションに一目惚れして、感じたのですが、

恋とは、おそらく「求める」=「ベクトルをもたらすもの」なのではないかと。
つまり、やる気、前向き、前進、的な力が
「恋」によってもたらされるのではないかと・・。
仮説できたわけです。

輝いている人が「恋をせよ!」という理由がここにあるような。

健全であるかぎりは、
おそらく、前向きホルモンがでる代物なのだと、気づいた訳です。

さて、私が今恋しているモノは、
購入したパーテーション、
ギターリスト西川進さんの音や曲、
深夜アニメ「ノラガミ
Tvドラマ「掟上今日子の備忘録」
などなど(笑)。

自分が生き生きして来るような気がしています。
これ「恋」の効能かもしれません。

そう考えると、もっと恋してもいいかな・と(笑)。

今の私にとっては、なぜか、現実の人間より
作品や、音やモノの方が今は魅力的です(笑)。
それらを通して、作者の想いに想いをはせているのかもしれません。
というか、ここに私の「恐れ」が隠れているのでしょう(笑)。

(効能が、苦痛や恨みにかわったら、共依存・依存注意報です。
そんな時は、心理カウンセラーなどの専門家にご相談をオススメします!。)

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最近は、私的には、なんだか忙しくあっというまに、11月も後半になりました。

今日は、だいぶ寒くなって来ましたね。
どうぞ、良き11月をお過ごしください!。

Happy Halloween!!

Happy Halloween です!。

今年の仮装は、憧れのティム・バートン監督の
コープスブライドに、挑戦してみました。

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骨は、子どもが描きました。

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頬のタトゥーシールも手作り。

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材料は、Tシャツ2枚(白・黒)アクリル絵の具、
ダイソーのレースカーテン、レーステープ、カチューシャ。
手持ちの黒手袋と、腹帯です。カツラもダイソー

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こんな感じになりました。

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近くのお祭りパレードに参加!。

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10月最終日の今日は、東京多摩地方、急に冷え込んでいます。
どうぞ、暖かくして、お過ごしくださいね。

バッタカマキリ。「言えない」心理_他パターン

東京多摩地方、今日は薄曇り。
私の方は、10月は、心理学の講座受講を増やしたので、
結構ハードな月になりました。
けど、通学の合間に大好きなギターリストの西川進さんの曲をどっぷり聴いたり、
無意識をどっぷり意識したり、とても心に有意義な10月となりました。
そのぶん、あまり、外界を意識できなかったんですけど・・(笑)
なので、庭の写真もちょっと前の。

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うちの庭の住人、
7月にあった時は、若々しいかった。カマキリさん。

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今月お逢いした時は、りりしく、色も、身体の太さも・・すっかり大人びて。

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パッタさんは、8月は、一人。

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9月の終わりには、二人になってました。

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みんな元気で何よりです。

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本日のお題は、「言えない」の別のパターンについて、


前回、「言えない」は、
厄介な関係のバロメーターみたいなことを書きたかったのですが、
言葉足らずでした。

人間関係に問題を抱えやすい人のパターンとして、
私の仮説では、次の1パターンになるのでは?と
最近考えるようになりました。

1)言いたいことが言えないタイプ
2)言いたいことを言えないから、つい、湾曲して伝えるタイプ
3)言いたいことを、シンプルに言えなくて、言い過ぎるタイプ

※言いたいことを「言えない」のではなく、「言わない」のは、
この範囲外として考察を進めます。

私の場合は、主に、3)ですが、立場の概念に縛られて、1)の時もあります。
気持ちが高ぶっていると、過大表現的もあるので、
2)も時々あるのかもしれません。

考えてみると、
1)の「言えない」タイプも、更に細分化できます。

1_1)言いたいことがあるのに、言えない
1_2)言いたいことがわからいが、言いたいことがある気がしてモヤモヤ感が残る
1_3)言いたいことはないが、モヤモヤ感が残る


前回は、1_1)について書いたことになります。

1_2)と1_3)は、意識と無意識の違いです。

カウンセリング心理学によると、

人は、
「体験」を、「考察」して、「気持ち」が沸き、
それを踏まえ、次の「行動」をする、そして、また「体験」する。

というループの連鎖が、人の毎日を構成しているとのこと。

「体験」「考え」「気持ち」「行動」は、時々、飛び飛びになったりもしますし、
心が乱れている時は、特に、順不同になることもあります。

そして、「考え」と「気持ち」が明確な人は、めずらしく、
大抵の人は、これまでの経験から、いろいろ簡略化しています。
「考え」は、思い癖(慣れた思考パターン)を持っていて、
「気持ち」を忘れがちの方がいたり。
「考え」と「気持ち」が矛盾していることに、気づかないで、
ただ、「モヤモヤ」感を感じているだけだったり・・。
ま、いろいろなパターンがあるわけです。

カウンセリング心理学によりますと、その
「考え」と「気持ち」を拾い出して、
自分を再確認していただくことが第一歩になります。

しかし、
「○○せねば」とか、「○○でしょ!」とか、「○○するべき」とか、
「考え」が強くて、
「気持ち」がなかなか出てこない方が、現代には多いような気もします。

これは、1_1)か、1_2)のタイプ。
「考え」主体、「気持ち」置き去りタイプ

マニュアル社会の障害ですかね?

逆に、「気持ち」先行タイプは、
「私あれダメ!」「嫌い!」などの感覚に似た形で、受け取る感じでしょうか?
「気持ち」主体タイプ。

それでも、どちらかが、主体をとっていれば、
行動そして、次の体験につながることができます。

「考え」と「気持ち」がバラバラの時、
人は、動きが止まるような気がします。
「動けない」という感じになります。
(たぶん、1_3)タイプ)

このとき、どうしたら、良いか?

バラバラな「考え」と「気持ち」をまず、引き合わせて、
矛盾した状態を自己認識する作業が必要になります。

最終的には、
矛盾を自己認識した上で、統合できるところは統合して、
統合できないところは、対決して、動ける思考と心を取り戻すことになります。

しかし、
まず、「考え」と「気持ち」を、表出するのがとっても大変です。
なぜなら、表出させたくない理由があるから、消しているわけですから、
いろんな抵抗が思考と気持ちに先に出てきちゃいます。

そういう場合は、アート療法や、○○療法などで、
無意識にコンタクトして、無意識から、自己洞察をはじめるという手法もあります。

そして、その課程を人に見守ってもらって、
自分を認知してくれている人を持つということが
かなり大事だったりしします。
それが、カウンセラーだったり、
本来は、親であったり、家族であったり、するのだと思います。
人は、誰かに認知して欲しいという「本能」がありますから。


私の場合、
私は、孤独だという気持ちがものすごく強い人間ですが、
最近、つくづく、そう、感じます。
いろんな意味で、ほんとに遠くからですが、私を見守っていてくださる方に感謝です。


話はそれましたが、

「言いたいこと」は、出来るだけ、言いましょう!。
できるだけ、言いたい時に、言いましょう!。
立場に関係なく、話会えるのが、本来の「親密な関係」です。
もし、言って、受け取らない人は、「親密な関係」にはなれない人ですから、
もし、そうなら、割り切りましょう!。

そして、できれば、「言いたいこと」の最後に、
「私はそう思っている」と付け加えましょう。

他者と、自分を区別する言葉で、人のせいにしないための言葉です。
人をむやみに批判したりしないための言葉です。
本当の自分を引き受ける言葉です。
本当の自分を好きになるための言葉です。

くれぐれも、「人がそう言っていた」とか、
「世間がそう言っている」「みんなそう言っている」というような
人に責任転嫁するような言い方は、しないでください。
言いたいことは、自分の言葉で話せば、きっと伝わります。

もし、伝わらないのなら、その関係はなくてもよい関係なのだと思います。

あぁ、ちょっと熱く書いてしまいました(笑)
私らしい。

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ではでは、どうぞ、良き内観の秋をお過ごしください!。
いやいや、食の秋か? 読書の秋か?

あけび。随筆_「言えない」

すっかり、収穫の秋になりました。

今年は、あけびが初めて実をつけました。
依然住んでいたところのベランダで育てはじめから、おそらく12、3年ほど経ちます。
直植えにしてからも、もう4年目ぐらいだと思いますが、
実がなったのは、今年初めて!

花をつけたのは、4/15

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実を発見しましたのは、6/15

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ちょっと色づきはじめ、ちょっと美味しそうに。桃みたい 9/20

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もっと、いい色になってきました。9/27

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台風の影響で、風が強いに、気がついたら熟して落ちてました。10/1

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スプーンで、頂きましたら、淡泊なあっさりした甘さでした。
ふっふっふっ(笑)!。

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さて、随筆コーナー、

本日のお題は、「言えない」について。

人と話していると、
「私、そんなこと言えない!」とか、聞きます。

私も、言葉を躊躇することは、多々あります。
特に、権威・権力を振り回す方や、
自己に気づいていないと思われる方などに対して、私は言葉が詰まります。

「言えない」理由は何でしょうか?

怖くて言えない、
かわいそうで言えない、
相手のために、言えない、
自分に勇気がなくて言えない。

いろいろ、あると思いますが、

言わなくていいことは、「言えない」と言いません。

「言えない」という言葉に封印されるのは、
軽い重いの差はあれど、本来言えること言うべきことの類いなのではないでしょうか?

本来、言えることや伝えるべき言葉を、どうして「言えない」のでしょうか?

それは、問題を回避したい真意が隠れていると思いませんか?


しかし、本来言えることや言うべきことを「言えない」ことは、
ほぼ、更なるトラブルと作っている、という実態があります。

もう、皆さんは、おわかりでしょうか?

「言えない」ことを作るのは、実は一時的な回避に過ぎず、
問題をより大きく長引かせるだけなんですね。

「言えない」ことは、作らない方が良い
「言えない」こと自体が、問題そのものなんです。

もっと過ぎるほどに言えば(苦笑)、
「言えない」を連発する場面は、問題の巣窟で、
「言えない」という言葉を多用する方は、
要注意人物と察することができるやもしれません。

という、私も、つい先日まで、人の虚栄の威厳に合わせてあげて、
本当の気持ちを言えない癖を抱えていました。
立場上立てるべきだから「言えない」と思っていました。
それで、随分、もやもやがたまりました。
やがて、その相手と会話することが苦痛になりました。
まぁ、共依存的な言葉を使えば、「空気読めよ!」と、ずっと心で思っていました。
けどね、結局、そういう方は共依存されることに慣れていて、
自分の心もみえないんでしょうけど、
だから人の心も見えないんですよね。
心をみる経験がない(浅い)ということかもれませんね。

結局、言わねば解らない。
けど、言ったところで、理解してもらえるかどうかもわかりません。

けど、言わぬよりは、言った方が、
自分の心が明確化します。
言ったら理解してもらえたら、良かった。
言っても理解してくれない方だったら、
そういう人と思って割り切って距離をとれます。

もしくは、相手の方から距離をとってくれるかもしれません。
それなりに苦痛に距離ができます。

「言えない」は、問題発生のバロメーターだな・・と、
最近、思いました。

前回の「親密な関係」の定義から、派生しましたが、
つまり、親密な関係とは、お互いに尊重できる良い関係のことで、
立場を超えて、言いたいことが言い合える関係のこと、です。

そう考えると、「言えない」関係は、
実際の関係がどうであれ、良い関係ではないのだと結論づけられます。
もっと、俗的な表現でいえば、厄介で面倒な関係、なのです。

「嘘つきは、泥棒の始まり」とは、よく言ったものですね。
「言えない」人は、心に「嘘」をつく、そして次第に本当に「嘘」をつく。
嘘を隠すために、更に嘘を重ねて、やがて大きな問題となる。

「嘘」は、本当のことを言えない回避の結果である場合もあれば、
攻撃である「嘘」もあるわけですので・・
「言えない」=「嘘」とも言いがたい部分もあるのかもしれませんが・・
今日はこの辺にて。

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みなさま、どうぞ、良き10月をお過ごしください。