ココロド_黄月家K's weblog

考えすぎ? ココロド_心理カウンセラー_黄月家Kの 思考いろいろ、ものづくり、カウンセリング心理学、時々庭、時々日記です。

人生脚本、自分を「生きる」ために。

9月は、防災の月でもありますが、

東京都の「自殺対策強化月間」でもありますね。


母の亡くなった翌日、山梨の実家前から望む虹

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今日のお題は、交流分析心理学の「人生シナリオ(脚本)」です。

交流分析では、「脚本分析」のことです。

 

人は、知らず知らずのうちに、
「こう生きよう」と、既に自分の生き方のプランを持ち、
それを特に大事な場面で、強化して生きていると習性があります。


簡単に言うと、

自分で情報を吟味する能力が発達する前(物心つく前)に、
親や環境の影響を受けて、
無意識的に「このように生きよう」と、
無意識に自分に架してしまっている「人生プラン」のことを言います。


俗な言い方をすれば、
「刷り込み」であったり、
「思い込み」であったり、
昔の物語上でたとえると、
「呪い」に近いものであったりもします。


自分に不利な生き方を選ぶ方、
失敗や自虐を繰り返すクセがある方、
こだわりが強すぎる方、
などは、概ね、人生脚本に、自虐が組み込まれているかもしれません。


自殺も、うつも、人生脚本が多く見られます。


人生脚本は、
ドラマの脚本に似ています。
ドラマでも、展開は、人生脚本の装置(架せや条件)と、
同じ役割が、同じように使われます。


しかし、「人生脚本」は、
脚本に気づき、変えたいという気持ちがあれば、
シナリオを書き換えることも、可能になります。

 

自虐的なシナリオを、変えるために「再決断する」療法もありますし、

書き込んだ時の強いトラウマの記憶を、紐解くことで、
別の視線からの科学的な解釈で、
強い感情を癒やしながら、
望むシナリオに、書き換えることも可能になります。

 
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交流分析の脚本について、もう少し詳しく知りたい方のために、
参考文献と、webサイトを下記に紹介しておきます。

 

心理カウンセラーの種

脚本分析(人生脚本)とは|無意識に繰り返される人生のパターン - 心理カウンセラーの種

 

脚本分析 (Transactional analysis series (5))

脚本分析 (Transactional analysis series (5))

 

 

ビジネス心理学_人生脚本とは

人生脚本とは | ビジネス・心理学用語集:意味・解説など | ビジネス心理学

 

 

 

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この夏に、母が亡くなりました。
度々、実家に帰り、実家の人間関係に障ると、
ひどく、心が乱れたり、疲労したり、体調を崩したりします。

自分の心の整理も兼ねて、私自身の「人生脚本」を振り返りたいと思います。

 
母は老衰。徐々に弱っていたので、突然のことでもなく。

母が亡くなり、喪主の父のサポートをするために、
距離のある実家に、行ったり来たりしました。

いろいろ考えました。

 


一説には、人は「親を選んでくる」といいますが、
私にはその意味がわかりません。

 


私はなぜ、あの母の子に生まれたのか?

逆に、「子は親を選べない」ともいいます。
私には、その言葉の方が納得できます。

出来ることなら、親なんて居ない方が良いとさえ思い続けた日があります。
そう言うと、私の事情を聴きもしないで、
私のことを、「悪い子とか、ダメな子とか、不良」とか言うのでしょう。

 

今は、そういう人々が、自動思考が染みついた
歪んだ人々と、解釈できます。

 

何も知らないのに、
親が正しくて、子どもが悪いという、
親子の上下関係が固定化した
絶対的二分法思考(決めつけ)の自動思考(思い込み)が、
未だに、根強いと感じます。

自動思考(思い込み)で歪んだ人間ほど、
人の話や事情や言葉を聴かない(苦笑)。
思考しないから客観的で対等で平等な目線を持たないのが
認知の歪み(否定的自動思考)の特徴です。
考えないから、創造力がなく、決めつけが得意な思考です。


みなさん、そろって一方的に言います。
「あなたが立派になったのは、母のおかげ、母に感謝しなさい。」
その言葉を聴く度に、吐き気がし身体の節々が痛くなり、呼吸するのがやっとです。

 
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今回感じたいのは、
私の知っている母と、他人の知っている母は違うのだという事実です。

参列くださった、他人は、母は面倒見が良い優しい人だったと言いましたが、
私の記憶には、怒り狂った鬼か妖怪か?という顔の記憶しか残っていません。

率直に母が亡くなったことは、私にとって、
「あぁ、もうあの人に傷つけられることはなくなる」という、平坦な気持ちでした。
私の平坦な気持ちを、非難する人も居るでしょうけど、

心理カウンセラーとして、この言葉を聴くと、「どうして?」と、
事情を聴きたくなります。
心を観る人と、心を観ない人の違いなのでしょうか?

 

誰だって、親に愛されたいし、
親に可愛がってほしいですから、
親におべっか使うことすら、覚えます。

 

しかし、そうして、本当の自分と、否定的な親に好かれたい私の、
二つが分離してしまうと、病理になりなります。

そうして、母のもう一人の子ども(私とは縁の遠い兄弟)も、
統合できない自分を抱え、病理になって行きました。

病理に至らなくても、人格の同一性が無い状態では、
依存か、共依存か、いずれにしても、自律は難しくなります。


依然、答えの見つからない疑問、
「私はなぜ、母の子どもに産まれたのか?」


私が「物心ついたとき」から、
「私はなぜ生まれたのか?」という疑問がありました。

後に、大学で哲学を学び、実存主義「人の存在」を研究する発端になった
疑問だったと思います。


幸せな人は、自分がなぜ生まれれたかなど、考えないですよね。
「自分を疑う」、根底が、「物心つた時」からあったことになります。


「私はなぜ生まれたのか?」
の答えは、未だに分かりませんが、
生まれて良かったとか、思えないから、
生んでくれてありがとうと思うこともありません。

依然、なぜ、「私を産んだのか?」
私の否定をつづけ、私が居るために、母の苦労が増すと言う、
「お前のために、苦労している」という母、

なおのこと、なぜ、「私を産んだのか?」
私に知識が増えるほど、疑問の強さが増します。


私は愛された記憶はありません。
学費などは、出して頂きましたが、
幼い頃は抱っこされた記憶も、
手を繋いだ記憶も残っていません。
あったのか、なかったのか。

両親は忙しく、私はいつも一人でした、


小学生頃は、犬と夕方の空や夜の星を眺めて毎日を過ごしました。
ご飯はテレビと共に。
私は居なくてもよい存在でした。

私の家は、家業があり、両親の仕事場で、
私にとっては家ではありませんでした。

私の居場所はありませんでした。

私の友達は、風と、水と、山と、空。
夜の月と星。

家に帰るより、夕暮れや夜の空を見ている方が、心が楽だった。


私が忙しい母を気遣って、「何か手伝おうか?」と、
幼いなりに、声をかけたら、
むしろ、
母は忙しい時に、子どもの私を見ているとむかつくらしく
「お前の顔を見ているとムカムカする、あっちへ行け」と、
言い捨てました。

私は存在してはいけない存在でした。

これ、交流分析的心理学の、人生脚本でいう、
禁止令の一つ、
「存在の禁止」がかかる状況です。
「存在してはいけない」という、
親の未熟さから発せられた言葉を、
物心ついていない幼心には、命令のように潜在意識に組み込まれます。
そして、この禁止令が、無意識に、自分の人生に作用して行きます。


私の中の「存在の禁止」は、かなり、ガッツリ強かった。

私は物心ついた時から、「死のう」「私は死ぬ」と思っていました。
子どもの頃から、17才になったら、死ななければ、とも思っていたし、
私は、必要ない人間で、死んだ方が良いと、子どもの頃からずっと
なんとなく思っていました。

大人になってからも、
「死」を意識して生きました。
「死」の近い危険な深い海の仕事を選んだり、
「死」が近づくまで、自分を駆使して、過労を続けました。
まるで、「死」に急いでいるように。


人生脚本を紐解いて行くと、
もっと、いろいろ出来てきます。

私が生まれて、嫉妬した10才年上の訳あり兄弟が、
私に言い続けた言葉は
「お前なんて死んじまえ!、お前なんて死んじまえ!」
あげく、私が初めて覚えた言葉が
「お前なんて死んじまえ!」だったとか、
後に聴かされた。

家の人は、その兄弟を哀れんで、放置。

虐待は、それを放置する人の存在で、強化されるもの。
兄弟の行為を放任した家族。
母の言動を放置する家族、美化するた親類。
家族という、闇。


母は常に私に言っていた。
「そんな子は、要らない。」
「お前は、橋の下から拾ってきた。」
「お前は、ダメな子」

私が、小学校から帰っても、
「おかえり」の言葉もない。
私は、いつも存在していないのと同じ。
母や兄弟のためにも、存在しては、いけなかった。
ずっとそう感じて来た。

母の気持ちに添わない時は、
目上に逆らうな、という母のルールを忠実に守る無抵抗の私を
母は、乱暴にたたきつけ、
私の髪をつかんでコンクリートの床を引きずった。
翌日、私は唇腫らして中学に登校した。
友達に、お前んち変だな、と言われたけど、
その時は、私は、変の意味が分からなかった。
そんな、変な家だった。

結局大人になっても、

私は、母に好かれたいがために、
優秀でありたいと思い、
優秀を示す職業について、知識を沢山つけた。
だから、母のご機嫌取りのために、
実家の仕事を継ぎたくはなくなった。


私が結婚した後、

母は言った、
「あ~あ、結婚するなんて・・大学行かせて損した。」
と、私の幸福を望まず、私自身の気持ちを知ろうともしなかった。
性別の偏見も、強かった。

そもそも、跡取りの私が、女だったことで・・・
たくさんの、職業や結婚など、
差別的な言い方を、沢山された。

ということで、
私には、「性別の禁止」(禁止令)もかかっている。

私が、幼い頃から、男勝りであったり、
現在も中性的なのは、性別の禁止の、影響は否めない。

生徒会のやって、大学も卒業して、
教員免許も取って、就職もして、結婚もして、
親の描く良い子は叶えたと思うが、
私のどこが「ダメな子」なのか?
と 突き詰めると、親の私への偏った欲求を感じざるを得なかった。


母は、いつも、私にはヒステリーで、
結局、母の意に沿わない私に、
自分の目が黒いうちは、家に帰ってくるな!、出て行け!
二度と返ってくるな!!。と、
私を、追放した。
それが、私と母の、関係の最後です。

最初から、
私は、橋の下で拾われた訳で、
私は、親は居ない訳で、

ただ、私が18才まで育った、環境から、
排除されたこと、
返る故郷がなくなったことで、
私が思うより、心がダメージを受けたようで、
母が繰り返した「お前はダメ」という、メッセージを
無意識に入ってしまっていたのもあり、

その出来事の後、私は、
18才以前の、楽しい事が思い出せないという、
部分的な記憶障害になり、
実家の友達や知人のとの縁も遠くなる。
私の18才以前の人生が、暗黒に書き換わった、
という、いわゆる、「ウツ」に陥った。
18年ほど前のことだった。

「ウツ」に陥った2年間、
私は「死」ばかり、追った。

まんまと、私の人生脚本に組み込まれている、
「存在の禁止」という、禁止令に導かれ、
「死」を望む、時期が、あった。


私の「人生脚本」を、更に、紐解くと

私の、禁止令への「対抗指令」は、「頭が良い」こと、だった。
「対抗指令」とは、禁止令をかいくぐる、条件として働く。
導き手でもあり、「ドライバー」でもある。

母は、常に私を「ダメ」と言い続けたが、
学生時代、私はIQが高かったという話を先生から聴かされて、
心が救われたこと、
その先生が、私を認めてくれたこと、
そんな経験が、「頭が良い」がドライバーになっているのかもしれない。

(私なりの「頭が良い」が、成績の概念でなかったことは救いでした。)

そして、私は、
母の意に沿わず、私なりの「頭の良い」道を選び、
沢山のことを学び、ウツも克服し、生き続けるて来た。
ことになる。

ただ、「ドライバー」はドライバーで、
強すぎる場合、負荷もあるので、
一概に、良いだけのものでも、ないのですが・・。

私が「ウツ抜け」した時、思ったのは、
自分のが生きているのは、「奇跡」だと、
それほど、自分が「死」に呑み込まれていた時期があった。
18年経つ今は、忘れてつつある痛みもあるけど、
確かに、そう思った、時があった。
人は、生きるために忘れてしまうことも・・あるね。
不思議だか。
生きていけないぐらい・・強い出来事や環境も・・
人生のうちに、起こったりすることもあるね。


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・禁止令、
・対抗指令、の他にも、
・結末(否定的な結果のイメージ)
・誘発刺激(否定的な結末を挑発する働き、悪魔のささやき)
・行動範例(親の行動モデル見本)
・脚本衝動(脚本からの脱却を壊す衝動)
などなど、他の脚本装置があります。

たとえば、

「人は早死にする」「自分は病気になる」
「自分は不幸になる」などと、言う人は、

「人生脚本」に、そういう否定的な要素が組み込まれている
ということになります。

紐解いていくと、原因が解り、その脚本を実行する必要性が、
本当にあるのか?、
今の視点と、現在の感覚や知識で、
再検討すれば、良いのです。

必要なら、新たな、
「心地よい人生脚本」に書き換えればば良いのです(笑)。

 

自分自身が、自分自身のために、選ぶ人生のために。

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私自身の話、

私は感性豊かで、音楽やものづくりが好きで、

母は、それが嫌いで、
私のやることなすこと、否定しました。
「「哲学」「芸術」気違いのやること」
そう言い放たれた私は、それでも
「哲学」も「芸術」も選んだ私は、
いつも、自分は狂ってしまうのではないか、と、
どこかで思っていたりした。
これも、
母の言葉でかかった、「結末」だったと、解ると、
私は、狂わない、と、自分の脚本を決めることで、
私の維持できる範囲での活動で、自分らしい自信を持つことが出来た。

--

人は人の中で生きて、
だからこそ、

多かれ少なかれ、人の影響を受ける。

それが、もし、不必要で、不自由な、否定的な未来なら、

脚本を見直して見るのも、一つの手だということを、
今回は、ここに記したいです。

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そして、


今回一連のことで、
子どもの頃からの疑問の答えを、
今回、自分に出した気がしました。

あぁ、私は、家を出て良かった。

あのまま、あの家にいたら、
間違いなく、(脚本を実行して)「死」を選んでいた。


あぁ、私は、親に排除されたのでなく、
私は、親の描いた人生を捨てて、
自分の人生を、選んだのだ。


私は、家を出て良かった。

 


家族の優しさは結局得られなかったけれど、
家の居たとて、家族の優しさはなかったと、
やっと解った。

子どもに犠牲を強いる、そんな風潮は、
あそこには、今でも顕在だと感じた。

 

何より、母自身も、母の「人生脚本」に囚われていた人なのだと思う。
彼女自身、家族や姉妹から、幼さをバカにされ、
否定的な扱いを受けていたことを、母を知る度の中で知った、時があった。

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そして、
私がかぜ、あの母の子に、生まれたのか?


その疑問の答えは、
私が、自分で自分の人生を生きる、今のため、じゃなかろうか?。

その、知識と知恵と、チカラと心意気を、
私は手に入れたのではなかろうか?

私は、今、「本当の私と共に生きている」

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不統合とか、
統合失調とか、

あっちの世界に行ってしまった感覚、

あっちの世界とは、
「本当の自分が不在の世界」なのだ、と
今回感じました。

いろいろな研究を見ると、
否定的な圧迫が、発症の原因になることが見えてきます。

 

「自分を、空け渡してはいけない」・・と、
苦しい時に聴いたamazarashiさんの歌詞が、頭の中に流れます。


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前回のweblogから、随分間だが空きました。
とにかく、忙しかったです。

徹夜続きになってしまったり、ようやく、
夏休みかと思った矢先に、母の訃報。
お盆前日の夜に亡くなり、お寺や葬儀が都合が付かず、
葬儀まで1週間かかり、いろいろバタバタと、大変な日々が続いておりました。

徹夜や多忙が続きますと、やはり、
脳も心も体も疲れます。
実感します。

人間ですから。
身体も心も、お互いに作用しますね。

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災害も多く、
大変な方も、おられると思います。
その唐突で、理不尽な痛み、どうお声をお掛けしたら良いか・・。


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