ココロド_黄月家K's weblog

考えすぎ? ココロド_心理カウンセラー_黄月家Kの 思考いろいろ、心理分析、ものづくり、時々庭、時々日記です。

変化と「出会いの交差」

人は、思いの外、
他人の影響を受けている。

しかし、人は弱いが故に、
人と共に生きる、外的・内的構造になっている。


だからこそ、
自分を維持しながら、他者(外界)と接する。

自他のバランスを調整することが、
成長であり、自律性の確立条件であったり、するのだと思います。


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今日のお題は「出会いの交差」


ここ数ヶ月の出会いで、いろいろことを思いました。
そして、自分の考えが変わりつつあることを、感じます。


それは、ある意味、否定的な要素を含んでしまうけど、
「変わる」という要素には、ある意味、

段階として、「否定的な感覚」は、
あっても「良い」のではないかと思うのです。


「否定」は、極力したくない、というのが、
近頃の私だった気がします。

「I'm OK. You're OK.」(交流分析語録)

を常に意識しているからだと思います。

 

しかし、「否定」しないということは、
他者のコントロール(求められる)が、
自分の意志と違う場合は、
「違うと伝える」ことが必要になります。


往々にして、他者依存傾向が強い方は、
それを、「否定された」と捉えがちなので、
言葉や場面が難しい。


それでも、「否定」と捕らわれたとしても、
伝えることが、自分と他人の境界(バウンダリー)を維持すること
なわけで、

つまり、自分確保、自分の自律性、のために、
「必要なこと」なわけです。


今年、その「否定」を覚える(感じる)やり取りに違和感を感じたこと。

自分が「否定」を避けるがために、
片足を沼に引きづられそうになった出来事で、

いろいろなことを思いました。


それは、自分は思いの外、「独り」ではないということであり、
人のアドバイスや、人の助けで、泥沼に填まりすぎないで、
回帰できた気がします。

人は、自分のことは、自分で見えにくいですからね・・。


それは、「感謝」とともに、心が痛くて、
心が熱くなる感情でもありました。


なんでも、「独り」でやりきる私、からの、
変わりめだったのかもしれません。

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自分が自分でありながら、

思って、行動して、それが何かしら他者に影響する。


一時期、自分は「透明人間」になりたいと思っていた時期があります。
自分の影響を他者に及ぼしたくないと思ったからです。

「自己表現が恐い」という感覚だと思います。

自分のせいで、他者を変えたくない。


私の感覚は、少し変わっているようで、
自分の感覚を「否定」されないために、
自分を出さないという選択をしたのかもしれません。


そう思っているうちに、自分を表現するすることが、
しづらくなっていたと感じます。

自己表現が恐い時期があった。


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私の内側には「異物感」があります。

私は「異物?」「異人?」「異端」。


交流分析療法の、人生脚本的に理解するなら、
おそらく、「存在の禁止」や「仲間入りの禁止」という
トラウマがあるのかもしれません。


プロファイル的、理屈は、パターンを変えるための知識として役にたつけれど、
逆に、脚本に捕らわれすぎてしまう、要素にも成りかねないなって、
思う出会いがあった。


「脚本に捕られている」なぁと、
他人を見て思ってしまったのが、
この夏の気づきのきっかけだったと思います。
(これもまた、出会い)


「人生脚本」は、まんまの脚本と、反脚本の2種。

本当の「自由」とは、「脚本フリー」。


「脚本フリー」とは、脚本通りでも良いし、脚本に反しても良い。
その時々で良い。
パターン化していないことが、「脚本フリー」。

つまり、「意外性」にこそ、「出口」になるということなのかもしれません。

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本当に、自分の素質を活かすということは、


つまり、私は「異物」「異人」「異端」で良い。
むしろ、その、利点を活かせる、

自分に自信を持てる方が大事。

自分は、「異端」で良い、
「異端」で良いと思える自分になれば良いわけです。

「ふつう」にならなくても、良いんです。


だって、私の人生は「ふつう」になるような、
組み合わせではなかったんだよね・・・。

どんなに もがいても「ふつう」にはなれない自分がいるんだよね。


「ふつう」になれない自分だから、
「ふつう」の人には理解されない自分だから、
「独り」で何でもできるように、
自分は「独りだ」と自分に言い聞かせて踏ん張って生きてきた。


人を求めず、人を頼らず、人に屈せずも、
それでも、人を尊重しながら、
「独り」でありながら、出来る範囲で共存を願った。


それが、今ふり返る、私

なんとなく、変わり目を感じる

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エンタメって、不思議。

生き方が変わるような、作品との出会いが、時々あります。


作者の意図とは違うところで、
視聴者は、いろいろな自己投影をして、影響をうける。

それが、エンタメという刺激。
それでも、そこには、意味がないようで、
それでも、意味を見出すことは、受け取る方の内部の作用だから、
そこは自由に感じたいし、感じて、影響されてよいと思いたい。


今回は、

まふまふ氏の「ひともどき」という作品との出会いが、
私にとっての、変わり目と交差(出会い)となりました。

生き方が変わるぐらいの衝撃だった。

最初から、一気にもの凄い印象の情報の音とイメージが流れ込んできた。

もちろん、それは、自己投影と分化が難しいので、
体験を伝えることは難しい。

けど・・。


【MV】ひともどき/まふまふ

自分の中に流れ込んで広がった音とイメージと、
誰のものか分からない感情と、
今の自分が、混ざって、
生まれた感覚は、

「異端の自分で生きよう」ってことだった。

まふさんの音と出会えてよかった。ありがとう。
まふさんが生きてくれてよかった。ありがとう。

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人(人の作品も含む)に、影響を受ける生き物。

人は、思いの外、
他人の影響を受けている。

それでいい。

そう思える、自分に、変化しているんだなぁと、
思うこの頃です。

読んでくださって、ありがとうございます。
みなさんの、存在に感謝です!。

庭と、人魚と、インナーチャイルド

7月になりました。熱いです。
22:00なのに、この部屋、31°です。

庭に桃の木を去年植えまして、今年、花も少々さきました。
実は、2つ、つきまして、とっても美味しく出来たみたいです。
(私は食べてない(笑)。)

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最近、好きな花、「ベリウム、ベビリアンデージー」

グランドカバーにと思って、セレクトしましたら、なかなか可愛いんです。
花は、4~10月まで咲きます。
小さくて可憐なデージー調の花が、可愛いんです(笑)。

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このピンクの花は雑草のクローバーの花。
意外と可愛いんで、そのままにして、鑑賞してしまいました。

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ここ数日、はまっている曲があります。

SETSUNA SPIRALさんの「人魚」

ITunes 配信限定シングルということで、早速、購入してみましたら、
なんか、はまってしまいました。
スゴイ体感です、
純粋で、張り詰めた空気の中で、迷い込みそうな、痛みの空間。
溺れそうだ。・・スゴイ世界感だ。
たまりません・・・。
サウンドプロデュースが、あの、ギターリストの西川進さん。
 感情直結・・してしまった・・またしても・・。

www.youtube.com

 

 

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最近、心に直結する曲を聴いて、フォーカシングをするようにしています。
本当の自分の声を聴く練習といいますか、内的な自分との会話の練習といいますか。

 

今日のお題は、「インナーチャイルド・セラピーワーク」

昨年の秋から、インナーチャイルドファシリテータの資格を取ろうと、
講座を受けています。
詳しい内容は、著作権の関係で書けませんが、
インナーチャイルド」とは、講座の中では、
「内なる子供」とか、「自己の中核」とか言ったりしますが、
私の解釈に変えますと、「本当の私」という感じでしょうか。
「裸の魂」とかでもいいかもしれません。

ここからも、私の解釈です・・。
それぞれの「本当の私」は、それぞれの個性があって、
生まれ持った素質や、育った課程で身につけた能力もあります。
その「本当の私」が発揮出来る環境が、自己実現しやすい環境といえますが、
人は、経験の痛み蓄積で、「本当の自分」を守ろうとする故に、
「本当の自分」を封印したり、制御しようとして威圧してしまったり、
隠してしまったりしていることがあります。
つまり、自分に無理している生活の状態です。

そうなると、なかなか、自己の能力を充分発揮できなくなり、
そのうち、「本当の自分」を見失うようなことが、多々あります。

常に、仮面をかぶっているような自分や、
自分の素質と合わない様式に囚われて、自己嫌悪のループにはまったり、
それ、大抵は、「本当の自分」とコンタクトが取れない状態だと思えます。

 

インナーチャイルド・セラピーワーク」というと、

生きづらさの原因になっている、子供の頃のトラウマに気づき、
嘆き、感情をはき出すためのワークみたいな印象がありますね。
私も、他のセラピーワークで取り組んだときはそんな感じでした。

けど、今回受けているインナーチャイルドセラピーワークは、
その奥の、ハイヤーセルフ(高次の自己)までの内容も含まれていて
とっても、私にとっては、魅力的な内容でした。
時空を超えた繋がりのような感覚です。7次元に繋がる感じでしょうか・・。
これも、私の解釈ですので、ご了承ください。

ハイヤーセルフ(高次の自己)に繋がると、
大抵の答えが返ってきます。
私の解釈で言い換えると「内なる神」とかそんな感じですかね?
神との対話、みたいな本がありましたが、それと同じだと私は解釈します。

ま、そんなこんながあり、

私は、「本当の自分」と対話する練習を最近しています。
元々、作品のアイデアや、気づきは、「本当の自分」の領域なので、
私は、得意なことだったりします。

つまり、防衛を働かせてしまう外側(仮面)の私では、
真実は見えないわけで、感覚もにぶりますし、
直感もさえませんし、
防衛ための習性の活動だけで、疲れ果ててしまう感覚が私にはあります。

そんなこんなで、
時々、答えてくれる高次の自己の感覚や存在も私にはよくわかりますので、
解釈は早かったです。

というわけで、「本当の私」との会話を訓練中なわけです。
「本当の私」は、結構、面白いです。
自由だし、泣いたり、すねたりも、、最近ちょっと、解るようになりました。

ま、その、

インナーチャイルド・セラピーワークの目的は、
自分のインナーチャイルド(本当の私)のお世話を
自分で出来るようになることなのですが、
つまり、結構、みなさん、
自分の心が乱れたりしたら、
他人に泣きついたり、他人の反応で、心の穴を埋めたり、
モノに依存してしまったり、と、
自分の心のお世話を、他のものや人にさせることありませんか?
その辺のことを、自分で出来るようになるためのワークなのです。

最近、自分の一人の時間が増えました。
これ、実は、「本当の私」のお世話をしている時間なんです。
以前は、友達との交流や、ネットやメールや飲み会に時間を沢山使ってた頃がありました。誰かと関わっていないと、さみしい自分がいた気がします。
これ、他人に自分のお世話を求めている状態だったような気がします。

今は、逆に一人の時間が持てないと、
本当の私が、ざわつきますし、
人に対しても、自分に対しても、結構、キツクなってしうのが、わかります。
そうやって、自分の調整も試みて行くのでしょうね(笑)。

興味のある方は、「本当の私」の声に耳を傾けてみてくだい。

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では、どうぞ、ステキな夏の始まりを!

 

巣箱と、自己洞察と、傾聴トレーニング

今日は、2/29 4年に一度のうるう年ですね。
weblogを今月1回でも書くことができて、なんとか、間に合って、よかったです。

巣箱。
子どもが、国立市市民祭りに行った時に、巣箱を出店のコーナーで
なんと無料で作らせて頂きまして、その巣箱に、色や加工をしまして、
こんな仕上がりになりました。制作は、うちの子ども(小学低学年)です。

屋根は、葉っぱ、壁は、張り板風の仕上がり。

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葉っぱの境目は、彫刻刀で溝を、私が掘りました。
入り口、穴の下に、止まり木もつけて。

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庭の木に、つけてみました。

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とりさん、来てくれるとうれしいです!。

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最近は、心理カウンセリングの養成講座が、いろいろ架橋に入り、
心理カウンセリングを行うための、傾聴トレーニングを受けたり、
交流分析の講座が架橋を迎えたり、
自分自身が、習った心理学論理を用いて、自己洞察を深めたり、
先生に心理カウンセリング受けながら、自分の問題に取り組んだり、
なかなか、心が、ざわざわと、していたこの頃でした。

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最近気づいたのは、

「人の心を動かすのは、心だ」と言うこと。

気づいたというより、思い出したという感じです。

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傾聴トレーニングのエピソード

最近、心理学の講座をうけつつ、
心理カウンセリングのトレーニングをしたりしています。

カウンセラー役(CO)も、クライエント役(CL)のやります。

その中で、
私がカウンセラー役をして、CL役の方の話を傾聴します。

が、CL役の方が、どんな悲しいと言っても、
どんなに、怖いと言っても、
そういうお話しを聞いても、共感できない自分がいました。
そんなこんなで、自分は、失感情ではないかと、気づいたわけです。

それで、次の回に、
私がCL役をして、人の話を聞いても何とも思わないことや、
昔はいろいろなことを感じて、音楽やCGの活動をしきたけど、
今は、何も感じないという、自分の中が、がらんどうで、空虚だと感じること、
を話しました。

トレーニングですと、
心理学理論に沿って分析し、適切な療法や技法をどう適応していくかを
考える、「見立て」をします。
つまり、分析されて、告知されるということになります。
これ、私結構私には快感なんのですが、
普通のカウンセリングでは、
CL自身がまだ気づいていない自分の心の状況をや見立てがあっても、
CLが受け入れられないので、見立てをCLに話すことはしません。
私が快感に感じるのは、自分が失感情だからかもしれません。

トレーナーの見立てでは、
私の感情が沸き起こらない状態を、心理学理論に置き換えると、
「防衛機制の隔離」という心の状態と分析し、
適応する療法を、「フォーカシング」としました。

「隔離」とは、
受け入れがたい感情部分を切り離し、
体験にまつわる感情を麻痺させる無意識的な心の働きです。

「フォーカシング」とは、
感情や、気持ちの言語化が難しい段階の人のための療法で、
身体の感覚を感じていただき、その感覚にしっくりくる言葉を探し、
自分の心に気づくという、
療法なのです。

私、これまで、個人的に、好きな音楽(特にギターリストの西川進さんの音楽)を
聴いて、誰にいわれたでもなく、
ずっと「フォーカシング」やってきたなぁ・・って!!!
音に感じる自分の感覚を言語化してきたな、って。

そういう、時間って、だいじなんだなぁって、思ったこの頃でした。

10数年前に、私、鬱病を2年ほど患いました。

あの頃、私は、CGの仕事がとっても忙しく
掛け持ち掛け持ちで、睡眠時間も1週間で2時間なんてことを、
やってましたら、鬱病になりまして、2年ほど、心が真っ暗闇の住人のでした。

あの時から、あれだけ好きだった人の音楽や言葉は、
私の分厚い壁(防衛機制)に遮られ、私の心に入ってこない。
みたいなことが数年続きました。
けど、西川進さんのギターの音だけは、勝手に心に入り込んで来る。
私にとっては、特別な音。

今は、回復していると思っていたけど、
情緒が、付いてこなかったと、今頃、気づきました。
だから、「私は死でいる」という、気持ちが離れないのだと思います。

情緒を、気持ちを、心を、取り戻したいと、
今、思います。

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そんなこんなで、気が付けば、2月も、あっちゅう間。

そして、更に、思い出したことがありました。

--

それは、

「愛とは、理解すること」

私は、人のことを理解しようと、しなくなっていた。
心が自分の苦しみでいっぱいで、人のことを受け付けなくなっていた。

思い出した。

あぁ、これ、私が、CG作品にCGキャラに込めてきた、愛の形だった。

草も、木も、水も、花も、動物も、モノも、
他人も。
みんな、全部、理解しようとしていた私が、かつて、いた。
それを、作品に込めていた私がいた。

そして、私が大好きな
ギターリストの西川さんの音にも、それを感じる(笑)。

なんてことを、今日は感じております。

「理解」って、心理カウンセリングで言ううところの、
共感的理解と同じだと、気づいた訳です。

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さ、そろそろ、春近し、ですかね?

みなさま、どうぞ、ステキな春をお過ごしください。

随筆_「感情」は、心の扉の鍵(キー)

もう日付が変わってしまいましたが・・
東京多摩地方、今日は、うてかわって、真夏の暑さ、嬉しいやら、暑いやらでした(苦笑)。

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庭の赤いユリ、後咲きで、ユリのweblogの時に載せそびれましたので、
遅ればせながら。これ、6/13。この色もキレイです。

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ちなみに、他の色のユリの花のwbliogは 

kizuki-ya-k.hatenablog.com

 

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「感情」は、心の扉の鍵(キー)なんです。

前回の髄質「「感情」がキーなんだって」で上手にまとめられなかったので、
改めて、書き直し。

思うに、

心=感情 では、ありません。
感情は、心の扉を開けるための鍵です。
心の扉が閉まっている時は、「感情」を見つけることが有効です。

しかし、「感情」は、鍵であるが、真意は心の方です。

「感情」とは、心の原動力なのだと思います。
感動は、感じて動くと書きますが、心が動く時は、感じることが必要なんだと、
私は思う訳です。

だから、
生き生きと、心身伴った本物の自分を生きるためには、
切り刻んで硬く小さくなってしまった心を、基にもどして、
社会の変化に伴って、心を身体とともに動かして行くことが、
必要なのだと思います。

そのために、

感じる心をとり戻す必要が生じる訳です。

しかし、もう、心がどこかわからない。なんてことも。

我々は、自分が先を生きてゆくために、
障害になり得る深すぎる「痛い心」を棺桶にしまって、
意識の外に葬って来た訳です。
心の一部をなくした、心は、バランスを崩しがちになります。
問題対応に弱点を持つのと同じです。
そうして、気がつけば、残った心の負担は大きく、
柔軟性がなくなり、小さく硬くなってしまうわけです。
もう、何も感じない。感情が見つからない。


いざ、感情のカケラを運良く拾ったとしても、

「感情」は、本物もあれば、偽物もあります。
本当は、悲しいのに、それを怒りでしか表現出来ない人もいれば、
痛みを笑いでしか表現できなくなってしまった人もいます。
その「感情」が深く存在の深遠に関われば関わるほど、
人は生きるために、それを無意識にゆがめてしまう。
それに、「感情」は、制御にはある程度の訓練が必要で、
爆発しても困るという不安もある。

それでも、そこの感情の本物を見極めて、

勇気を持って、心の扉を開けたとしても、
最初は、葬った痛みが勢いよく吹き出て来て困惑するでしょう。

自分が葬ったものは、まるでパンドラの箱
自分の見たくないものばかり、自分を壊してしまいそうなものばかり。

でも、その一つ一つと向き合って、受け止められたら、
箱の底には、希望が残っているのではないでしょうか?
それは、自分自身の心のカケラ。
自由になった、心。


つまり、「感情」とは、そういう、
適切であれば、「心の原動力」なのだと。

そして、この行程は、心理カウンセリング技術に沿っておこなえば、
パンドラの箱を開ける不安を軽減できるのかもしれません。
それが、カウンセリング技術なのかも・・と思うこの頃です。

 

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今日(すでに昨日)は、西川進さんのLive

西川 進☆やるときゃやるでっTOUR 2015!!
7月11日(土) 東京 KICHIJOJI SHUFFLE に行って来ました。

何を隠そう(隠してませんが)私はギターリストの西川進さんのファンです。
今日のLiveは本当に最高でした!!。
彼の音や曲は、「感情直結」で知られていますが、
今日、新曲を披露されまして、これ、またまた、度肝を抜かれました。凄いです。
どう凄いかって?。私の勝手な印象ですが、太陽に吠えろ!の、ジーパン刑事殉職のような衝撃でした。ドラマティックです。
機会がありましたら、是非。12日も同じ場所でLiveあります。
私も行きます。

http://nishikawasusumu.com/temp/tour2015/index.html

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いよいよ夏本番ですね。
みなさま、どうぞ良き夏をお過ごしください。

“こころのチカラ” webギャラリー開設しました。

だんだん暖かくなって来ましたこの頃ですね。

webギャラリーで、「こころのチカラ」を開設しました。

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黄月家ギャラリー“こころのチカラ”

2012年の私の作品をwebギャラリーに、整えました。
元々は、幼い我が子と一緒に歌ったキッズソングを、子供との思い出に残したくて、
それを元に、絵を描いて、私の言葉をその裏に書いたカードを作ったものです。
26作品あります。
たとえば、「ボロボロロケット」という曲の思い出画、こんな感じ

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あっちこっちマーチ

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きみとぼく

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他に、23作品あります。

黄月家ギャラリー“こころのチカラ”

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うたは、不思議なチカラを持っていて、直接心に入り込んできます。時間や状況を変えるチカラさえ内包していると感じます。先人たちのステキなキッズソング(子供の歌)を「心」をテーマに26画にし、私の言葉を添えました。
 “三つ子の魂、百までも”という言葉が示すように子供の頃、親との関わりで育んだことは、その後の人生の岐路で幾度となくカギとなります。幼児期は実は親も子も心の育つ時期であると思います。そんな時期に心のうたを共有したことが、いつか独り独りになってからの、お互いの生きるヒントになると願います。
 添付した言葉は、いつか我が子が様々な経験を経て、私の言葉の真意を受け取とることができるようになるときまでのタイムカプセルでもあり、私の心が曇ったときの私への処方箋でもあります。また他者にとっては、エンゼルカード的な偶然の一致による言葉の出会いになるかもしれません。出会いが見いだす意味は必ずしも意図とは関係しないのも、偶然のおもしろ味だと思います。音と同様に言葉もチカラを持っていると私は思っています。もちろん色彩も画も。
 イラストを10枚ほど描き進めていた頃、東日本大震災が起きました。日本ごと動揺しました。そして、それぞれが強く願いました。子どもも大人も自分のチカラを超えた出来事に呑まれる日々、我々ができることは心を強く持つことだと思いました。いつの時代も子どもは社会や大人の都合に否応なしに翻弄されてしまう。だからこそ、流れ着いたその先で美しい花を咲かせられる心を持ち続けてほしい。心を未来へつなぐことを願って。

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このときの自分の言葉を、今振り返ると・・
ずいぶん・・今の私は、迷い子かもと・・はっとしました。
私の心の処方箋です(笑)。

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どうぞ、良き春の始まりを!。

日本の童謡 37曲音楽データ配信開始

今日は、曇り空ですが、少し暖かいです。

昨年、クリエイティブディレクションさせていただきました、
日本の童謡CD(MIO) の、37曲が音楽配信開始となりましたので、

日本の童謡CD TOP

YouTube動画を作りました。


日本の童謡 CD 全38曲 - YouTube

このCDは、
CDのジャケット中、歌詞カードが20ページもあります。
5番まである、長い歌詞も、全部、原作に忠実に載せていますので。
そして、全ページに絵をつけているリッチな作りなっているのです。
その絵の一部を動画にしました。

まだまだ、他にも絵があります。
公式HPの方で、是非観てみてください。

日本の童謡CD 絵の世界

音楽配信の方は、CDと違って、絵は見れませんが、

全37曲 ¥1500- で、かなりお得です。
(MP3単曲¥150-/1曲でも購入できます。) 

日本の童謡

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  • アーティスト: 熊澤弥緒&森口賢二
  • 出版社/メーカー: Mio KUMAZAWA & Kenji MORIGUCHI
  • 発売日: 2014/08/06
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熊澤弥緒  ピアノ・フルート 
森口賢二  バリトン  
ふじようちえんのおともだち (ボーナストラックうた)

 ピアノが優しく、懐かしくもあり、ステキな曲ばかりです。

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あっという間に、2月も最終週ですね・・
あ・・。

どうぞ、良き2月をお過ごしください。

前回「反物質」イメージビデオ応募作品。 メントレ1

東京北多摩地方、今日は、ずっと雨です。強い台風が来るらしいです。
明日は、近隣の学校も休校のようです。
みなさま、どうぞ、明日をお気をつけてお過ごしください!。

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先日、私の作った映像のご紹介しましたが、
前回の西川進さんのアルバムの「反物質」の時のイメージビデオ応募作品、
私の作った映像作品を、この機会についでにご紹介します。


反物質(middleさんの作品) - YouTube

反物質とは、アルバム名なんですが、反物質という曲が中にあります。

反物質」のイメージビデオ募集ということで、
てっきり「反物質」という曲でつくると勘違いしまして作った作品です(笑)。
2012年の夏に7月ぐらいの作品。
締め切り1週間前に、募集に気付き、あわてて、1週間で作った作品です。

反物質」とは、西川さんの言葉によれば、
「質量とスピンが全く同じだが心の構成が全く逆の「負」の性質を持つ精神によって組成される物質」と書かれていたのですが、その言葉を私なりに解釈するに、
反物質とは、つまり、その字のごとく、物質と反するもの、つまり、生命体のようなもの、そしてそれは意志を有しているようなもの」なのではないかと、思ったわけです。
そう思って、曲を聴くと、リズムが鼓動に聞こえてきまして、
その鼓動のリズムこそ、生命体の象徴の様に感じましたので、
こんな映像になりました。
実に意味深な、深遠でステキな曲です。

風景のモチーフイメージは、西川さんの故郷の滋賀県にある琵琶湖のような湖のイメージ、キノコといえば、赤いマッシュルームカット、西川さんヘアです。
なので、西川さんの作るリズムで、一見生命体でないモノ達が
鼓動をし始めるという内容です。

制作時間が短かったので、2D素材をコンポジットソフトでアニメーションさせています。心臓も2Dで描いたものを編集で動かしています。

1回目の学生の時は、京都にいました。その時何回か琵琶湖へ行ったことがあります。
もう二十数年も前の記憶ですが、北部のイメージが印象的でした。

他の方の応募作品はこちら↓

http://nishikawasusumu.com/temp/hanbusshitu/video.html

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先週は、メンタルが少し軟弱になったので、
メントレ(メンタルトレーニング)にチャレンジしてみました。
最初は、「願い事」を洗いざらいピックアップするという課題。
私の作品「ネガヰゴト」に、「願いなんてエゴの戯言」という台詞がありましたが、
願いが人間のエゴの塊に思えてしまう側面があって、
(もちろん願いには希望という相反する側面も内在しているわですが、)
不言実行が美徳という思いもあり、
願い事を言葉にしたことがなかなかなかったのですが、
思い切って、小さな事も含めて自分の希望(願い)と向き合ってみました。
並べて見えてきたのは、私の中には、仕事のこと、メンタルのこと、関わりのことの3つの課題があることに気づきました。
そして、なんと、それを実現するための工程の優先順位を
既に自分の中で決めていることにも気づきました。
そうやって希望を整理することで、大きな願いは優先順位上の問題で
すぐには叶わないことが私なりに納得出来て、でも、
小さな願いは、意外と着実に叶っていると気づけたので、
コツコツ努力してきた自分を少し認めてやることが出来ました。
そしたら、焦りがうすれて、メンタルが少し楽になりました。
ちゃんちゃん!。弱いメンタルの話しですみません(苦笑)。
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明日の台風心配もありますが、どうぞみなさま、良き台風一過を!。