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黄月家K's weblog

考えすぎ? 黄月家Kの 思考いろいろ、ものづくり、カウンセリング心理学、時々庭、時々日記です。

庭の花、ユリとか。 随筆_「死」について

随筆

庭の花、今、ユリが綺麗です。

このオレンジのユリ、背丈が1.2mぐらいで背高のっぽです。

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咲きそろうとこんな感じです。ヴォリームあって、なかなか美しいです。

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こんな色も↓、これは、70cmぐらいの背丈。

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この辺りも綺麗です。純粋な黄色、ピンク。

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いつのまにか、こんなに群生していました。
もう、植えて、4年目ぐらいかな?、植えっぱなしで毎年咲いてくれます。

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こんな色も。

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ピンク、綺麗です。

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ラベンダーも。これも4年目ぐらい。

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ガウラもかわいい。これも5年目ぐらい。

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今年初めての、種植えで咲いてくれました。蛍ぶくろ。

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これ↓、ロベリア・プリンセスブルー。これ、実は、葉が地面に近くて、
花までの首が細く長いので、ゆらゆらひらひら揺れて、とてもかわいいんです。
この色、品のある瑠璃色、まさに、プリンセスブルーです。
開花時期も長くて、涼しげで魅力的なお花です。
(以前、名前わからなかったのですがわかりました)

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以前のロベリア・プリンセスブルーのブログはこちら、 

kizuki-ya-k.hatenablog.com

 これは、家の植栽で植えてあった花、もう、8年目。
今年も咲いてくれました。

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昨年の残りでしたが、今年も咲いてくれました。

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以前の日記はこちら 

kizuki-ya-k.hatenablog.com

 これは、パンジー。大輪種。

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こどもが幼稚園で拾ってきた種を植えてみたら・・こんな花が↓。
これ何という花でしょう? わかりません。
花部の茎がだんだん赤くなってきました。

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みんな知ってる、ミニトマトのお花。

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勝手に生えてきたパンジー?

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ほぼ、毎年咲いてくれるお花ですが、みんなとってもステキです。
たぶん、今が一番花が多い季節のような気がします。

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今日は、「死」ついて、

「死」とはなんでしょうか?
人それぞれだと思いますし、
マイナス要素を強く抱いている人には、
タブー的なものであったりするのかもしれません。

核家族になったり、地域や近隣の付き合いがなくなったり、
心の問題がデリートな分野で、踏みいることが難しくなったり、
いろいろなことから、「死」というものが、
身近なものではなくなくなって来ている昨今。
「死」を忌み嫌う人もいるみたいです。

あなたにとって「死」とは何ですか?
哲学的な質問を聞いたり、
「人は必ず死にます」と客観的で必然的な事実を聞いても、
不快感を表す人もいます。

「死」について考えられないぐらい、
「死」を恐れているのかもしれません。

私は最初の大学で実存主義を研究していたわけですが、
「生きること」ということを考えると同時に、
「死」についても意識して来た気がします。

人それぞれの思考や論理があると思いますが、

現在の私にとっての「死」とは、タイムリミットのようなものと考えいます。

いろいろな事象や場面に遭遇して、解釈が変化することもあるので、
現在の私に限定の感覚とご理解ください。

タイムリミットであると同時に、
「死」とはどんな人間にも必ず例外なくやがては来るものです。
それまでの時間は、平等ではなく、
他者の悪意やアクシデントによる場合を除けば、、
生活習慣や、遺伝子的なものや、人格形成環境や、指向や思考、
生活環境や、交流の影響を受けて、
ある程度、変化するのだと考えます。

自分でコントロールできる部分もありますが、
コントロールによってどうこうならない部分の要素が未知数あるように思います。
なので、希望的に生きるなら、ある程度養生することもできると思いますが、
意に沿わない事態もあるように思います。

たとえコンロール出来たとしても、
人間は、欲望的な生き物なので、最初の目標(予定)の寿命まで生きれたとしても、
それで満足はしないので、次なる目標を持ってしまう習性から、
人間は、意に沿わない「死」と感じる方が多い動物なのかもしれません。

私のように、「死」を期限と考えると、
期限までに、一つでも多くのことを、学び、
一つでも多くのことを、やっておきたいと
あくせく、あくせく、オーバーワーク状態の人間になってしまうのかもしれません。
それはそれで、結構大変な毎日です。
でも、常に全力で生きているという、ことは、言えます。

もし、リミットがやってきたとき、
多少の細かい後悔はあったとしても、
自分を自分でほめてやれるんじゃないかと・・少し思ったりもします。
というか、自分を認めてやれるような自分でいたいと、思っているのだと思います。

できたら、もう少し、余裕をもって生きた方が楽なのかもしれませんが。
楽をすることより、私にとっての大事なことがあると感じているのだと思います。

私にとっては、「死」は時間的な量の問題じゃなくて、
何を出来たかという「内容」の問題なのだと思います。

そう言いながらも、
内容って、質じゃなくて、やっぱり量を問題にしているのかな?と、
今自分自身に気づいた部分もあります。
ともあれ、ありったけの時間を充分に(生きること)のために使いたい。

私の常なる、「時間がない」という強迫症的な感覚は、
こんな考え方が原因なのかもしれません。

「必ず死ぬ」と書いて 「必死」と書きますが、
こういうことなのかもしれませんね・・と
ふと気づき的に思いました。

いつも「必死」な私です。
ふっふっふっ(笑)。

内観期、まだもうしばらく続きそうです。

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過ごしやすい季節になりました。
どうぞ、良き季節をお過ごしください。