ココロド_黄月家K's weblog

考えすぎ? ココロド_心理カウンセラー_黄月家Kの 思考いろいろ、ものづくり、カウンセリング心理学、時々庭、時々日記です。

「回避の壁」 痛み覆い隠し、目標を遠ざけるような壁

今日のお題は、「回避傾向」

 

「回避傾向」に向き合うか?

 

今、私は、考えています。

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その人が、
目的に向かって直接的に、行動したり、アプローチしたりすることの
障害となるのは、

間違った思いぐせ、思い込み
(否定的自動思考 ← 認知の歪み)

という理論がありますが、
これは、思考の分野の、状態解説になります。

もう一つ、最近気になるのは、

「回避癖」

衝動や行動など分野の、状態解説になると思われます。


恋愛共依存症の理論に、

「回避症者」というカテゴリーがありますが、

回避症者は、
関係で向き合う必要が生じる場合に、
「怒りや恐怖」、
「沈黙」、
「偽り成熟(平静をおよそう)」、
「快活さ(楽しくして内面に向き合わない)」、
「不調(体調不良)」、
「物理的な遠隔手法(テレビやスマホ)」などの、壁をつくり、
本音の交流を回避する。

という理論があります。

「病弱・弱者」のパターンも有ると私は感じます。

衝動や行動がパターン化している場合に、回避的な「壁」だと理解できます。

 
対象が、恋愛でない場合でも、

 

たとえば、

ものごと、仕事の課題、自分の人生の課題や、他人との関係、
内側の自分(本当の自分・仮面の下の自分)
あるいは、今ここの現実
に対しても、


「回避癖」のパターンを、
社会や、学校や、家族や、様々な場面で、よく感じます。


それは、確かに、
回避症者の「壁」という表現として、作用しているように感じます。

真剣な交流を拒み、痛みを覆い隠し、目標を遠ざけるような、「壁」のようにも、
他者からは、見えたりします。

「回避癖の壁」は、往々にして、
他人に違和感や、不快感をもたらします。

また? 
と感じる繰り返すパターンがあるので、

周囲は、「回避癖」とどう向き合うか?
悩みます。

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「回避癖」は、おそらく、
防衛機制」の理論と繋がると感じます。
また、交流分析の、「ゲーム理論」や、
「裏面交流」の理論とも繋がると感じます。

その行動パターンとして、
I'm not OK や、
You are not OK
の、「否定的な構え」を感じます。


人との関係で、
他人の「防衛機制」に接してしまったとき、嫌な気持ちになりますが、

同時に、自分が、「防衛機制」をしてしまったときも、
後味が悪かったり、自分に対しても後から嫌な気持ちになります。


「回避癖」をの習性が難しいのは、
「不快」の事態を、回避するために、
意識しないという、パターンを持っていることのように感じます。

「回避癖」を、子供の頃からもっている方は、
意識をしないうちに、
カタチのないもの、たとえば、概念や、意志などへの、
認識や思考力を想像・理解・解釈・把握するチカラが弱い傾向も、よく感じます。

「創造力」や「建設的な構築力」が、
苦痛を改善して、向上していく働きをするチカラだとすると、
「創造力」や「建設的な構築力」が、
弱い状態なのかもしれません。


防衛機制」は、一時的には必要な場合があります。
自己防衛機能なので、必要な場合があるから、防衛機制してしまうのだと思います。

しかし、パターン化してしまうと、
病理に近づくものでもあります。

 

「回避癖」の対応として、「防衛機制」の対応が応用できそうと感じました。

 

心理面の課題は、やはり、「気づく」ことが第1の課題です。
気づいたあとに。どうしたいか?が、次の課題になると思います。

 

では、「気づき」とは、どのようにしてたどりつくのでしょうか?

他人との関係や、諸々の不快を、少し掘り下げて、
意識してみることではないでしょうか?

 

そのために、
立場を入れ替えて、思ってみたりする療法や
質問したり、過去の繰り返すパターンを見つけたりする療法や、
性格傾向を自己分析する療法など、
いろいろな療法が有るわけです。

 

が、「回避癖」の方の目的は、回避にあるわけですから、
なかなか、ご本人が「気づき」を得るのは難しいと感じます。
回避していることすら、理解が難しい。

言い換えると、
気づいてしまうと、不都合は現状(自分)にも気づいてしまうので、
気づかないために、回避している訳ですから、
カウンセラーや、療法士が「気づき」を即せば即すほど、
無意識的にですが、回避をするために、セッションに向き合わなくなります。

 

「回避癖」とどう向き合うか?

 

回避したいのが、その人の目的なのだから、
その人の望むとおりにするのが良い、と、
自立支援的な気持ちからは思います。
自律支援の立場からは、原則的に、他人を操作しないので、

「回避癖」の望む生き方をしていただき、
その後の結果、メリットもデメリットも、
ご自分で招いていることを、理解していただくこと。
ですかね?
メリットとデメリットを理解することすら、「回避」するのだから、
難しさを感じます。

一線をおく必要はありそうです。
やはり、信じて待つ、ですかね。
その方の、内側の、向上的な側面が、機能するのを
「信じて待つ」ですかね。
見守るというスタンスになると感じます。

 

「回避癖」とどう向き合うか?


回避せざるを得ないほどの痛みや、
トラウマを抱えているのですから、
内面は、大変な状態なことも、察します。

しかし、

防衛パターンを繰り返すコトで、
壁が厚くなり、出入り口が、遠のいてしまうのではないでしょうか?
光も届きにくくなってしまうのではないでしょうか?

その人がそれで良いなら、それで良いのだ
その人の人生なのだから、その人が選べばよいのだから。
と、自律的な割り切りもありますが、
「見守る」のは、ジレンマ要素も少しあり、大変ですよね。

 

私自身にも、防衛機制はよくあります。

あっていい。

だから、他人の防衛や回避ついても、
気にしなくていいってことかですかね?

しかし、「気づいて欲しい」と願ってしまうのは、
余計なことなのでしょうけど・・。
思っちゃいますね「気づいてほしい」と。

 

人は影響し合っているから、
できたら、豊かな時間や空間を共にしたいですし、
私だけでなく、
私と関わるみなさんが、豊かな時間や空間を、空想できたら、いいなとも
思っちゃいますね。

難しいです。


「回避癖」とどう向き合うか?

いろいろ、思い巡ります。

 

関連のある過去のブログは、

 

kizuki-ya-k.hatenablog.com

 

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