庭をリメイクしてみました。
4月頃から、少しづつ頑張りまして、9月1週ぐらいになんとか、
ひとまず完成しました。
元々は、植栽を整えてあった庭で、芝植えでしたが、
木の陰や、よく通るところの芝が傷んできたり、
芝の手入れもなかなか出来なかったりで、思い切ってリメイクを試みました。
結局5ヶ月ぐらい掛かったので、季節も変わってしまい
before after 比較しづらいですが、
↓before 庭の入り口から。
↓after 庭の入り口から。
↓before ベランダから見下ろした感じ。
↓after ベランダから見下ろした感じ。
左のファームを少し拡張しまして、手前窓側にも小さいファームを新設しました。
まずは、芝を剥がして、地面を整形して足踏みで固めまして、
全部手作業で、ほぼ私一人で作業、
地面を鞣すときは、子どもがたまに手伝ってくれました。結構、体力仕事でした。
忙しかったので、日曜の夕方3時間とかそんな感じでの作業になりました。
ベンチエリア↓
はきだし窓からの通路↓。まさ土で固めてます。
端の木は、庭の木を整えた時の枝で↓、
端にあしらった貝殻は、スーパーで売っていた貝の食べた後の殻です(笑)。
↓ベンチの前のお砂場スペース。
↓キレイな石や貝殻など・・も混ざってます。
見つけるのが楽しい。
アルビノの石を敷いた、ハートエリア↓。
ここも、再生可能なように、まさ土で固めています。
雨水も染みこむ工夫です。ところどころに、ビー玉がキラキラ↓。
全体的に、雨水が染みこむ作りにしています。
ここ最近、激雨が気になりますので・・
自然にやさしいものが、人にも優しいのではないかと思った次第です。
木の根は、実家の父から頂きまして、こんな演出も↓。
だいぶ、小さく楽しめるスペースが増えた感じがします。
うれしいです。
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諸行無常なんて言葉がありますが、
あらゆること、常なるものはない、変わらぬモノはないという仏教の言葉ですが、
私の解釈によりますと
変化しづづけるということが、生きることなのだと、たまに思います。
裏を返せば、変わらぬモノは、やがて滅びる運命にある
なんて、思うこともあります。
人も生まれた以上やがて死にます。だけど、生きているというのは身体だけで無く、
形を変えて、その後の文化に、あるいは他の人に心に、生き続けるなんてこともあります。姿形とは、そういうモノかもしれません。あるいは技術もそういうもののように思えることがあります。つまり、全てが完全じゃない。
人の心もたぶん、変化します。
経験が増えて、知識や教養が増えれば、これまで見えなかった角度から物事が見えてきます。その時、変わらないのだとしたら、意地とかプライドとか何かへの執着が変化を邪魔しているのかもしれません。
変化は時に未知で、時に恐いモノと感じることもあります。
恐怖から逃げるのも人間の性かもしれません。
変化といっても、望んだ方向に変わる場合だけじゃない。
苦節の末、変わって行くということも沢山ある。
私は子どもの頃の私じゃないし、学生の頃の私でもないし、
随分、変わって来たと思う。そらが正なのか負なのかはわからないけど、
それだけ生きて、いろんなことを感じてきた経緯がそこにある
という事実だけはあると思います。
それを正とみる人もいれば、負とみる人もいるでしょう。
けど、たぶん、今の私も一つの経過の過程なのだとも思えます。
正負を判断されることに、どういう意味があるのか?
一つの形から、その経緯や経過が見えたら、
一つの形からその100倍の事象が見えてくる。
変化を見るということ、変化を感じるということ、変化を解釈するということ、
実に面白いと思う訳です。
未知は恐いですけどね。変化にこそ、心が詰まっていると思うのです。
人って、モノを見る目の深さは、人それだとつくづく感じます。
空間的な奥行きの他に、時間的な奥行きもある、
我々の生きてる世界は、単純な3次元じゃなくて、
時間軸もあるんですよね・・。
どの軸まで見ている人か・・そいう人の見方も面白いでしょ?。
では、変わらぬものはあるか?
と疑問もあるかもしれません。
私の解釈によれば、それはたぶん、形のないものだと思うのです。
意志だとか、志だとか、そういったたぐいのも、
それを人は魂と呼ぶのかもしれません。
動きをみて、世界を知る。動いてもぶれないものを見て、魂を知る。
そんな感じでしょうか?
今日は、なんでこんなこと考えてしまたんでしょう?。
自分を解釈できません(笑)。すみません。
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みなさま、変化も楽しいですよ。
どうぞ、変わる空や季節を楽しんでみてください。
どうぞ、良き水曜日を!。