ココロド_黄月家K's weblog

考えすぎ? ココロド_心理カウンセラー_黄月家Kの 思考いろいろ、ものづくり、カウンセリング心理学、時々庭、時々日記です。

「傍観者」の創る世界

2年ぶりぐらいに、花が咲いてくれました。

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また咲いてくれて、ありがとう。甘い匂いがステキです!。

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今日のお題は、「傍観者」

最近、子供の虐待死の痛ましいニュースが胸を痛めます。

問題行動を繰り返す、親・大人と、
問題行動に、怯え、防衛で、子供を守らなかった大人達
痛いです。心が痛いです。


全然関係ないですけど、

「3年A組 ―今から皆さんは、人質です―」(日本テレビ - 2019年1月期日曜ドラマ)
私はストーリーをTVで視聴している範囲でしか解らないですけど、
「傍観者へのメッセージ性」を感じるのは私だけでしょうか?

現代社会って、本気で人の心の成長に向きあおうとするなら、
誹謗中傷されるだろうリスクや、
誤解される怖さを、超えるだけの勇気やリスクを追う覚悟が必要なのかもしれません。
そんなドラマなのかな・・と、今の時点では、
一般視聴者的な目線で、感想を持ったりしました。

痛い現代社会、否定や批判におびえる現代社会、
そう感じるのは私だけでしょうか?

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ここからは、私が最近感じること。

大抵は、「傍観者」

隣に誰かが悲しんでいても、気にしない。
そのうち、
自分の心が、悲しんでいても、気にしない。

むしろ、
「気にしたくない」から、わざと別の話をしたり、別のコトをしたり、
「悲しみ」なんてなかったことにしてしまう。
問題なんて、なかったことにしてしまう。

問題があっても、「自分は関係ない」と、お決まりのセリフ。

それで、本当に自分を守り切れている(つもり)のでしょうか?


「虐待」が成立する背景には「傍観者」の影の存在があります。
「いじめ」も同じです。
誰かが、止められたら、孤立しないし、
孤立しなければ、間違ったことは、修正できる機会を可能にします。

「孤立」や、「カプセル化」してしまうと、
歪みは増大します。
歪んでいる人間や、人をコントロールしたい人間は、
情報や他者との交流を制限するし「カプセル化」を好む傾向があります。

隠す、嘘をつく、交流を制限する人間は、
「歪み」を疑ったほうがよいです。
「歪み」の領域の人々。上か下か、弱肉強食。

 

「傍観者」は、加害者と被害者のカプセル化に加担する役割をします。
歪みや問題行動を、行う環境を提供している存在、ということです。

事実上は、幇助(ほうじょ)役です。
気分的には、「自分には関係ない」つもりなのでしょうけど。
無知の知」知らないことは、しらないうちに罪を犯しているという罪の原理に
相当すると考えることができます。

「傍観」とは、
向上的な動機でなく、否定的な動機の産物だということ。
つまり、「防衛」で「回避」の産物。

そこから、何が生まれるでしょうか?

もちろん、
一時的に、苦痛を回避できるかもしれません。
直接的な、加害者と被害者の問題で、
「傍観者」は、関係ない、という主張の、気持ちは解りますけど、
防衛で、「眼が曇った人」であると、私は言いたいです。


「傍観者」が増えると、明るい住みやすい世の中になりますか?

実際は逆です。

観て観ぬふりする人が増えると、
弱肉強食、歪みの世界が展開さる傾向が発揮されます。

「傍観者」は、否定も肯定もしない代わりに、
誰にも「愛」をもたらしません。
「愛情不足の場所」を作り出します。

そうすると「愛」は、奪うモノになります。

「愛」とは、
今回は、交流分析の理論で説明します。
交流分析心理学では、ストローク(存在認知)という定義を
「心の栄養」、つまり「愛」と解釈します。
(参考文献:※1)

ストローク(存在認知)を解りやすく、私の流の言葉に代えると、
「関心」だったり、「気に留める」ことだったりします。

人は、成長期に、ストロークを沢山必要とします。
弱っている人の回復にも、ストロークが必要になります。
声かけした方が、成長・上達するという学術データも沢山ありますし、
最近だと、対面で話すことや、感情を感じることで、
幸せホルモン(オキシトシン)やセロトニンが出るという、
脳科学のデータもあります。(参考文献:※2)
逆に、否定的ストロークで、子供の脳が萎縮するという脳科学の本もあります。
参考文献:※3)


「愛=ストローク(存在認知)」が不足すると、
人は、否定的なストロークすら得ようとする習性があります。
喉が渇きが深刻化すると、泥水でも飲む原理と同じ。

子供が、悪いことをしてまでも、親や先生の関心を引こうとしたりするのは、
ストローク不足の結果です。

最近、若い人の無茶な犯罪の理由も、
「注目を浴びたかった」という、理由づけを聴きます。
SNSで、問題行動を公表する人も、
「注目を浴びたかった」って動機を、ワイドショーなどで聴きますよね。
あれも、これもストローク不足の産物。


「傍観者」が増えると、明るい住みやすい世の中になりますか?


一方で、人を元気にさせるような
肯定的ストローク(暖かい声かけや関わり)を、与える人がいても、
「傍観者」により、「無視」されることで、
「肯定的ストローク」は、関係性から消滅して行きます。

 

「無視」は、消極的イメージで、気軽に使う人がいますが、
実は、「悪質な否定的ストローク」だったりします。
「悪意」がある場合があります。

 

「傍観者」がつくる世界は、
「奪うモノ=傷つける者」を生み出します。

「傍観者」は、危険で信頼できない世界を、
自ら生み出していることに、
おそらく気が付いていないのですが、
実際には、悪循環なサイクルを生んでしまいます。

「傍観者」は、愛を途絶えさせ、不安な世界を生成し、
更に、「傍観」を強化していく、
愛の不足により、無差別に「奪うモノ」を生み、
更に「傍観」を強化するか、
「尋問者」か「脅迫者」に役割交代が起こるか?という悪循環。

「傍観者」の多いところは、殺伐としています。
「傍観者」の言うことには、自分は関係なく、「他人のせい」らしいですけど。
「傍観」が許されなくなると、「尋問者」に転じることも。

みなさんのまわりは、いかがですか?

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この悪循環を変える方法(理論)は、あります。

適切な距離感を持ちながら、
肯定的ストローク(=肯定的に関心・気にかける)を、循環させることで、
お互いを確認し合い、お互いのために、自分を保つ、
自分の関われる場所と、貢献できる自分になる方向性を、
感じれる場所を、生み出していけるのが、
ストローク経済の法則(交流分析用語)の良い側面です。

適切な距離とは、自律的な距離のことでです。
自分は自分、人は人。違ってOK。
自分の気持ちや行動の責任を持つこと、
他人のせいにしないことであったりします。

 

肯定的ストローク(心地よい存在認知)は、
更なる肯定的ストロークを呼びます。

 

逆に、否定的ストローク(不快な存在認知)は、更なる否定的なストロークを生み、
毒のように、たまると、交流を壊したり腐らせたりします。
ストロークを制御すると、偏った歪んだ人間関係が生まれます。
ストロークを拒否してばかりだと、生きるチカラが低下します。
生きるチカラとは、意欲であったり向上心であったりします。


最近、「意欲」が低下している人、
廻りに、「傍観者」いませんか?


心地よい、生きやすい、場所、関係が欲しければ、
肯定的ストロークの授受ができる関係を創ればよい。
ことになります。

「傍観者」の交流パターンとは、逆です。


「傍観者」は、悪くない?

理由があって、事情があって、
「傍観者」になってしまっているのだと思いますが、

「傍観者」でいても、「傍観者」と居ても、
心地よい関係からは、遠ざかります。


「傍観」という「回避の壁」を感じます。

--

「聖なるヴィジョン」(角川文庫)ジェームズ・レッドフィールド
の本の中で、(参考文献:※4)
「魂のコード」ジェイムズ・ヒルマンの考えを述べている箇所があります。
(参考文献:※5)

内容の要約:

親子の間でのエネルギーの奪い合いのパターンで習得してしまった
コントロールドラマ(交流の癖)についての内容

「犠牲者」の親は、自分の問題を子供のせいにして「お前がいなければ・・」などと・・いうことも、
「傍観者」の親は、条件付きの愛しか与えない。
「尋問者」は絶えず、欠点を見つけては叱りつけ
「脅迫者」は、恐怖におののく雰囲気を作り出す。
子供は、エネルギーを吸われ、ある時点になると(中略)防衛手段を発達させる。

「犠牲者」と「傍観者」に対しては、子供は「尋問者」の立場を発達させ、
親の性格や行動を批判する
「尋問者」に対しては、「尋問者」となって問い詰めるか、
「傍観者」の無関心な仮面をかぶろうとする。
「脅迫者」の場合は、複雑。子供の頃虐待や恐怖で過ごすと、
最初は、「犠牲者」として反応し、犠牲者の反応が効果的でない場合、
命にかかわるエネルギーの収奪に対抗する唯一の手段は、
子供自身が「脅迫者」になることである。
たいていの場合は、自分より弱い存在に「脅迫」が向かう。

とのこと。

この内容から、

「犠牲者」、「傍観者」は、「尋問者」を生み、
「傍観者」は、偽物の愛しか与えないので、愛情不足を生み
「尋問者」は「尋問者」か、「傍観者」を生み、
「脅迫者」は、「犠牲者」か「脅迫者」を生む
悲しみと防衛の連鎖の構造がうかがえます。

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この内容から、言えることは、
コントロールドラマ、人生脚本、人生プログラム、交流パターンの癖、人生の構え、
など、沢山の言い方がありますが、

人格形成期に習得してしまった、生き方や、交流パターン、自他への構えは、
繰り返し、自分のパターンとして、癖を強化してしまう傾向があります。
(↑交流分析の理論と同じ)


「傍観者」は「尋問者」「脅迫者」「犠牲者」よりマシか?

そういうものでもないですよね。

役割は、入れ替わります。
「防衛心」の領域の人達 という枠組みの中で、
回避パターンを模索している結果です。

「防衛」や「回避」のパターンが生むモノは・・
ってな感じです。

悪循環から、抜け出すには、

まず、

「回避」パターンに気づくこと。
自分の、繰り返す、行動パターンに気づくこと。

そして、これからの自分をどうするか、自分の行動を選ぶこと。

--

では、私はどうしたいのか?

私も、やっぱり、
頭では気づいていても、挑発的な場面に遭遇すると、
自分が幼い頃習得した役割が出てきてしまいます。

そして、「傍観者」は、
私の未熟さを見つけて、「尋問者」に役割転換します。

そして、関係者が回避に逃げてしまう・という結果が、
おそらく、いつものパターンなのかもしれません。

はたして、私にとって、それは、ベストなことなか?

今は、後からでも、
少し考えることができます。

挑発を感じる相手との交流からは、
距離を置くのが、セオリーではあります。

間をおいたり、物理的な距離を取ったりします。

--

そして、私はどうしたいのか?

未熟さは認めます。
だからといって、自分を放棄すると、
自分を好きになれません。


私に残された時間を、使うなら、
肯定的ストロークの授受の場を創っていきたいです。
私もみんなも、自分を活かして、生きていこうとすることができるような。

時間は有限なので、
「傍観者」を貫きたい大人を、
変えていこうとするのは、難しい。

そもそも、「他人と過去は変えられない」という
交流分析心理学の自律の大前提があります。

「変えるなら自分を変えていく」のだとすると、

関わるものを変えていく方向性が見えてきます。


変えてゆくのなら、
「防衛」でなく、「建設的」な方向へ

お互いの為になる関係の方に、
限られた時間を、
費やしたいと思うこの頃です。


迷うなら、
どちらが、自分が成長するか?
成長する方を選べば良いのだ思います。

私に向上心があれば、
適切な時に、適切な変化がやってくると、
これから起こることを、肯定的に受け止めることもできます。

安心したい方に考えるのも、
合理化という防衛機制だったりする部分もありますけど(笑)。

自分が変わることも、
本当は、防衛したいくらい、勇気がいることだったりします。

人は矛盾だらけですね(笑)。

それでも、建設的な方へ進んで行きたいと思います。
「非力なりにですが・・。
今、私にできることを、後悔しないために。」

--

参考文献
※1「交流分析のすすめ」/杉田峰康/日本文化科学社

※2「脳の疲れ」がとれる生活術」有田秀穂/PHP文庫

※3「子どもの脳を傷つける親たち」/NHK出版新書/友田 明美

※4「聖なるヴィジョン」 /角川文庫/ジェームズ レッドフィールド

※5「魂のコード―心のとびらをひらく」ジェイムズ ヒルマン、

 

交流分析のすすめ―人間関係に悩むあなたへ (日文選書)

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「脳の疲れ」がとれる生活術 (PHP文庫)

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子どもの脳を傷つける親たち (NHK出版新書 523)

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聖なるヴィジョン (角川文庫)

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魂のコード―心のとびらをひらく

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